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神殿は夜の闇が降りつつある中で、ほの白く姿を浮かび上がらせていた。
「確かに『運命』が好みそうだな」
アシャは呟いて、するりと樹間から歩み出した。数歩進んではためらう、また思い切ったように数歩進む。不安そうな足取りで入り口に近づいていくと、まるでその姿を見ていたように、白くて長い裾を引きずる衣をまとった女が戸口から現れる。
「何か御用でしょうか」
微笑む口元は優しげだが、アシャの全身に走らせる瞳は冷ややかで猛々しい。猛禽類の前に素肌を晒すような感覚だ。
「ここは、湖の神さまにお仕えする巫女さま達のいらっしゃる神殿でしょうか」
片手を口元に添え、囁くように尋ねてみせると、相手はゆっくりと目を細めた。
「そうですが……あなたは?」
緑色の瞳が一層光を増して、アシャを舐め回すように見つめる。何かの違和感がある、だがそれが何だかわからない、そう警戒する顔だ。
「ああ、やっぱり」
アシャは小さく吐息をついて、涙ぐむように俯いて衣の袖で目元を押さえた。
「私、アーシャ、と申します。居場所を求めて、ずいぶん彷徨い歩いて参りました」
「それはそれは」
「実は数日前に……恋人を……失いました…」
「まあ」
「……もうこの世に何の望みも持っておりません。が、親兄弟は私が死ぬのを許してくれません」
「そうでしょうとも」
「ならば一生どなたにも嫁がぬと言いますと、とんだ親不孝ものだと詰られ、ついには家を追い出されてしまいました」
ひた、と上目づかいに相手を見つめる。
「旅の途中でこちらの湖の神さまのことをお聞きし、悲しい過去を弔うような情け深い神さまならば、きっと私の献身をお受け下さるだろうと思い、ようやくここまで辿りつきました」
「遠い所からいらっしゃったのね」
「ええ……近くの村人の情けにすがり、何とか身なりは整えましたが」
もう行くところなどないのです。
体を竦めて顔を覆うと、
「すると、身寄りはないも同然、そういうことですのね」
「はい」
「なるほど、ご事情、よくわかりました」
女はにっこりと親しげに微笑んだ。
「確かに我が神は情け深い方、どのような献身も受け入れて下さいますが、あなたのように美しい方が巫女に加われば、我が神の力もいや増すというもの…」
くすり、と最後に零した笑い声がねっとりと響いて、え、と首を傾げると、
「ほほほ、いえ、こちらのことです。さあいらっしゃい、こんな夜中に可哀想に」
女はいそいそと扉を大きく開いてアシャを迎え入れた。
「……これは……」
入ってすぐに小さな広間があった。そこからいくつかの通路が奥へと伸びているが、明かりはほとんど灯されておらず薄暗い。窓から入る月光がわずかに通路を照らす。
「嘆きを受け取るのは闇の深さと安らぎです……足下に気をつけておいでなさい」
こちらへ、と女はアシャを一本の通路に招き入れた。
微かなざわめきが遠くから響いてくるが、どこから聞こえてくるのかわからない。廊下は少し先で分岐していて、なるほど、こじんまりとした外見を裏切る複雑な造りになっているようだ。
「こちらでお待ちなさい」
「はい」
言い置いて女が部屋を出て行き、アシャはゆっくり周囲を見回した。
通されたのは並んだ小部屋の一つ、窓がないせいか、小さな灯皿が祖末な木の机の上で光を揺らせている。石の床には、簡素なベッド、一人用の机と椅子、私物を入れておくらしい木の箱が一つ置かれているだけだ。ごつごつとした壁、低い天井が押し迫るようで、こういう施設にありがちな敬う神の絵姿さえない。
「牢屋、か」
意外にそれが真実かもしれない。巫女志願の娘達が、本当に儀式を行い神に仕えているかどうかも怪しいものだ。
油断なく両腕で体を抱き締め、不安そうに振る舞いながら、アシャはさっきのざわめきを探る。意識の隅をちくちくと苛立たせる不快な感触、確かにただの神殿ではなさそうだ。
それほど待つまでもなく、再び扉が開いて先ほどの女が戻ってきた。
「幸いでした、大巫女さまが誓いの間でこれから我が神に捧げる儀式を行うところです。あなたも参加できるように取りはからってくださいましたよ」
「まあ、嬉しい」
「さあ、こちらへ」




