10
闇が深くなるにつれ、求婚者達の姿はまばらになっていた。
それぞれの手には、青い染料で染めた小さな油の壺がある。その油を、神殿の一番奥まったところにある、神像の祭壇上に置かれた自分の灯皿に注ぎ、火を灯してくるのが今回の取り決めだ。
求婚者達は、時間を前後してユーノのいる村の酒場を出発し、星だけは呆れるほど出ている月のない夜の中を、神殿目指して黙々と歩いている。
唐突に間近に動いた気配に、アシャはちら、と目を向けた。
「よう」
イルファがぬっと姿を現す。
「手順は忘れなかったみたいだな?」
「あたぼうよ。俺がお前と組む作戦の手順を忘れたことが、今まで一度でもあったか?」
「なかったな」
にやりと笑うと、同じように不敵な笑みを返して、イルファは油の壺をアシャから受け取り、再びするすると闇の中に消えていく。イルファの役目は、いち早く神殿に辿りついて、神殿の灯皿にアシャと自分の灯をともし、他の者が妙な興味をアシャに向けないように見張ることだ。
イルファを見送ったアシャは唇を結び、小さな村にしては凝った造りの神殿を見上げた。
星空を背景に、建物の輪郭が黒々と夜闇に溶け入っている。
そっと手を伸ばして入り口を探る。昼間見たときの印象、地上から続く数段の階段、細かな彫りの柱、恐らくはレストニア式の神殿だろう。
(とすると)
アシャはゆっくりと神殿の中へ足を踏み入れた。
闇の中には既に幾つかの足音がひたひたと響いている。村人とはいえ、神殿内部を熟知している者は少ないだろうから、アシャの方が早く正確に目的の場所へ行けるはずだ。
(やっぱり、この奥が神像の安置場所だな)
夜の空気を透かして方向を見定める。
柱の向こうでチラチラと灯が動いている。
もう、気の早い、度胸のいいのが、灯皿に火を入れたらしい。
(…よし)
その光も目安に、別の方向に足を速める。柱と柱の間を静かな足取りで通り抜けていく。空気は重く沈んでいる。その湿った空気の粒子一つさえ乱すことを恐れるような密やかさ、他から見れば、その動きは、夜の河の中を泳ぎ渡っていく巨大な魚のように見えたもしれない。
(このあたりか)
見極めて、やがてアシャは立ち止まった。目を閉じ、位置を確かめるように前後に一歩ずつ動いてみて、もう一度確認し、元の位置に戻る。
「…」
微かな緊張が満ちた。外から見れば、自分の目が淡いきらめきに覆われていくように見えるだろう。だが、視界は澄んで透明だ。空気の流れさえ見えそうな気がする。
抜き放った短剣が黄金のオーラを放ち始める。金粉をまぶしたような輝きが、次第次第に剣全体にまとわりつき、密度を上げて濃くなっていく。僅かに震えているのは、あまりの高エネルギーを物体一つに凝縮させているため、暴走させずに力を縛り上げる、そのコントロールが全てだ。
十分に光が満ち渡った剣を、ゆっくりと掲げた。目の前の空間を切り取るように、中空に円弧を描く。
金の軌跡がきらきらと光り輝きながら空に漂って残る。視界を焼かれたせいではない、ただの光ではない、何かの力の実体が、その空間を円として切り取ったのだ。
その証拠に、辺りの神殿の柱や壁に反射して、すぐに闇に呑まれていくかに見えた軌跡は、消えることなく一時ごとに輝きを増し始める。同時に、その軌跡に囲まれた内側の空間から光が奪われたように、円の中央部からどす黒く、何かが濁り始める。
に、と唇を綻ばせたアシャの額から、汗が一筋、頬から首筋へと流れ落ちる。
「、っ」
体から一気に放出されるような無音の圧力が空間に加わった。
押し、歪める。
抵抗する、円弧の空間。
だがしかし。
「!」
突然、限界が来たように、ぼこりと円の内側の空間が『凹んだ』。見る間にその闇の奥へと崩れ去るように落ち込んでいき、暗い彼方へ続く道の入り口に変わる。
(レス!)
緊張を保ったまま、アシャは呼びかけた。久々に開いたせいか、それとも二百年祭の不安定さか、宙道の安定が悪い。
(来てくれ!)
レスファートがいなければ、この試みも成功しなかったかもしれない。