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「つまりだな」
仕方なしにとりあえずは店の中に腰を落ち着けたアシャは、集まってくる娘達の視線をうっとうしく感じながら、溜め息まじりに説明した。
「アグナイでは、麦の刈り入れの前に麦祭というのをやるんだ。実った麦を喜び、3日から5日間、ばか騒ぎをする。麦の実り方で気づいてもよかったんだが」
再び溜め息をついた。
「ちょっと変わった風習がある。祭りの前日、村の集会場なんかに集まって、集まりの点呼が終わってから、出口の扉を開けた最初の者を、祭りの間の女王に見立てるんだ」
「待て」
イルファが眉をしかめた。
「ユーノは男だぞ」
「老若男女、関係なしだ」
ぼそりと付け加える。
「別の村で、よぼよぼの老人が女王になったのを見たことがある」
「でもよ、小さな村だろ?」
納得し切れない顔でイルファが問い返す。
「最初に扉を開ける者って、旅人ぐらいしかいないんじゃねえか?」
「まあ、一番、旅の方が多いですな」
老人はアシャとイルファに再び酒と食物をすすめ、テーブルの上で手を組んでにこにこと笑った。
「だが、たとえば、それとはなく村はずれになっている者のこともあります。そういう者には集会の知らせが届きにくいのでな」
「一種の、村の団結を高める祭り、というわけだ」
アシャは手にしたゲト酒の味を確かめ、頷いた。濃い黄土色の泡立つ酒からは、麦を炒ったような香ばしい薫りが広がってくる。かなりの上物だ。
「そうですな。麦の刈り入れは村を上げての仕事、その前に一同の気持ちを合わせておくのが麦祭ですじゃ」
「でも、はずれ者も旅人もいない時は?」
イルファが不思議そうに尋ねた。
部屋のあちらこちらから含み笑いが聞こえる。何度も麦祭を経験してきて、そういう場合にも出くわしたことがある者らしい。
老人ももちろん、その一人なのだろう、穏やかな笑みを少し控え、澄ました顔で応じた。
「集まる場所には、どうにも我慢できぬものを果たせぬところを選びますのでな。酒を振る舞って待っておれば、そのうち誰かが扉を開けて走って出ていきますわい」
「そいつぁ、ひでえよ」
イルファが呆れた声を上げる。
く、くくっ、とアシャは笑った。
「それで、あいつはどうなるんだ?」
イルファは握りしめた骨付き肉で、くいくいと隣室を指した。
未だにそこではどたんばたんと激しい物音が響いている。時々、うわっ、とか、ええっ、とか、挙げ句にボクがやるっ、とか悲鳴じみた声が上がっており、ユーノはかなり抵抗しているらしい。
イルファ達とテーブルについて、ふんわりと焼いた丸い菓子をかじっていたレスファートが、ちょっと心配そうにそちらを見る。
「まず、『女王』として最高に美しく装って頂いて、後は祭りの間、この村に滞在して頂くだけです」
「大変なのは村人の方かもしれないな」
アシャはにやりと笑った。
「それぞれの畑の持ち主の家から一人、候補者が出る。彼らはその『女王』にひたすら愛の告白を繰り返し、『女王』の心を射止めることに努力する。『女王』はそれに応えて、祭りの最後に一人を選んでキスをする。と、その候補者の畑は来期の豊かな実りを約束される、というわけだ」
イルファが妙な顔になった。
「候補って……男か?」
「はい」
老人が予期していたように頷く。
「ユーノ、男だぞ」
「ですから、老若男女おかまいなし、でしてな。それが麦祭ですわい。こんな拙い村長の下でもできる、我が村にはよい祭りだと思っておりますよ」
老人の満足そうな口ぶりには村の充実と団結を誇る響きがあった。
「けれども確か、『女王』が候補者を選ぶ前に、一つ肝試しが行われるんでしたね?」
「ほう」
村長は目を細めた。
「よくご存知ですな。その通り、今年は村はずれのティアンカ神の神殿奥、神像の前に火を灯してくるというのが行われます」
「ふうん、神殿奥のね」
アシャも笑みに目を細めた。ふと思いついたと言いたげににこやかに話を続ける。
「どうでしょう、村長。私も参加させえてもらえないでしょうか、その肝試しに。もちろん、それまでの求愛に加わってもいいですよ。何せ、今あそこでどたばたやってる奴は生意気でしてね、この際、ちょっとからかってやりたいというのも本音で。祭りとあれば騒ぎもしないでしょうし」
「ふうむ」
「おいおい」
イルファが呆気にとられた顔になる。対して軽く片目をつぶってみせて、アシャは重ねてねだった。
「いや、ご迷惑をかけはしません。あいつも、仲間を選ぶような無粋はしないでしょう」
「そうですな」
村長はふいと目をあげ、にこりと笑った。
「よいでしょう。どうせ、祭りの間はこの村に泊まって頂くのだし、何かと退屈されるよりは、そうして一緒に楽しんで頂いたほうがいいかもしれぬ。それに、祭りは恵みを分つもの、喜びを与えるものですからな」
「おいってば」
イルファが我慢しきれなくなったようにアシャの袖を引いた。
「本気か?」
「本気だよ」
「いやしかし、ユーノだぞ? あいつだぞ、あの顔だぞ? いくら装ったってたかが知れてる、楽しみどころかうんざりしねえか? あ、それともやっぱり、男も嫌いじゃないとか、だからとりあえず手近のところで」
「イルファ」
最後のことばが妙な艶を帯びた気がして、慌てて否定する。
「そんなんじゃない」
「おお」
村長が唐突に嬉しそうな声を上げた。
「『女王』の装いが終わったようじゃな」
微かなきしみ音をたてて、ゆっくりと、これみよがしにゆっくりと境の扉が開かれる。くす、くすくす、と娘達のくすぐったそうな笑い声が零れ出してくる。
「ほおう」
「これはこれは」
開いた扉の向こうに仁王立ちになっているユーノの姿に、イルファと村長が意外そうに感嘆の声を上げた。




