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十数日後。
(封印された『白の塔』に『紅の塔』)
ユーノはゆっくり首を巡らせて、二つの塔を交互に見やった。仮住まいにしている少し離れた場所の、国境を管理する大臣達の家からは、二つの塔が運命を語る一枚の絵のように見える。
(救済と破滅)
自らを律して運命を選ぶか、『運命』に組して自らを放棄するか。
「ユーノ」
背後からの声に振り返ると、テオが穏やかに笑っていた。
「御気分はいかがですか」
「もうぴんぴんしてるよ」
起きる事を許されたのは四日前、それまで十日以上もベッドから動くことさえ禁じられて、別種の拷問だった。
テオはユーノの側に並び、見ていたものに目をやった。
「二つの塔、ですね」
「大変だったね」
ユーノの声にテオは少し黙り込んだ。
風に舞うプラチナブロンドを指先で押さえ、塔を、そしてその上に広がる彼方の空をじっと見上げる。
「辺境のイワイヅタは、水も養分も与えられないところに育ちます」
静かな低い声が響いた。
「その種が持っているのは、いつも己のもつ生命力だけです」
亡くなってしまった人を、無くなってしまった繋がりを愛おしみながらも悔やまない、強い意志を含んだ声だった。
「ぼくら辺境の人間も、そのように生きることを、いつも自分に課しています。個の価値のないものはここでは暮らせない……ぼくもこれからが自分の命です」
ユーノは無言で頷いた。
「ユーノ」
「うん?」
「あなたは…」
言いかけて一瞬ためらい、やがて吹っ切るようにテオは続けた。
「ぼくの気のせいでなければ、あなたが生死の境を彷徨っている時に求めたのは、アシャだったと思うのですが」
まっすぐな問いに、ユーノは思わずテオから目を逸らせた。
『白の塔』を、続いて『紅の塔』を見つめる。
追い詰められ、殺されかけた。
たった一人で、けれどそれは、いつものことで。
けれど今度は、目覚めるとアシャの腕の中に居た。
安らかで、恐怖に怯えることもない、夢のような時間。
(でも)
あれは幻。
(あんなことは……二度と起こらない)
胸に強く言い聞かせる。
(二度と)
「テオの気のせいだよ」
きっぱりと言い放つ。
「ユーノ…」
テオが眉を寄せた。
「何かだめな理由があるんですか? あなたの想いを妨げるようなことがあるんですか?」
(無神経だよ、辺境の王)
ユーノはテオを振り返った。にこりと笑って、
「違うよ」
迷いのない声で言い切ろうと決めた。
「私はアシャを好きだけど、テオの言うような意味じゃない。兄さんみたいに、ずっと付き合っていける友人みたいに好きなんだ。テオもアシャを嫌いじゃないだろう? おんなじだよ」
(そうだ、そういうことだ)
揺れた想いは悪夢が見せたものだ。孤独に耐えかねた心が描いた儚い夢だ。
(そう、決める)
これ以上卑怯者にならないために。
「……あなたは強い方ですね」
テオはグレイの目を陰らせた。
「……うん」
もう一度、笑った。
「ユーノ」
テオは片足を引き、唐突にユーノの前に跪いた。
「あらためて礼を取らせて下さい。そして、ぼくを祝福してくれませんか、イワイヅタの枯れぬように。ぼくはあなたの強さにあやかりたい」
「…私でよければ」
ユーノは左手を差し出した。
テオがそっとその手を押し頂き、甲に静かに唇を押し当てる。けれど、唇を離してもすぐには手を放さずに、低い声で呟いた。
「アシャでは勝ち目がありませんからね」
「え?」
「いえ」
テオが笑って立ち上がる。
「強くなろう、そう言ったんですよ」
「ユーノ!」
バルコニーの下から声がした。覗き込むと、レスファートがぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「行こうよ! もう準備できたって!」
「わかった! ……じゃあ、テオ、いろいろとありがとう」
「ご無事で……あなたなら…」
さぞ立派な辺境区の王になったでしょうね、ユーノ。
静かに続いたテオの声を、ユーノはもう聞き取れなかった。
アシャが、イルファが、そしてレスファートが新たな旅路の支度を整えて待っている。
(進もう、前へ)
「お待たせ!」
「おお、ずいぶん待ったぞ!」
「いいお天気だよ!」
「……調子がおかしくなったらすぐに言えよ?」
瞳を細めるアシャに片目をつぶる。
「私を誰だと思ってる?」
セレドのユーノ・セレディスだよ。
「……わかってる」
アシャが一瞬切なげに笑ったのに、行こう、と声をかけて背中を向けた。




