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ラズーン 2  作者: segakiyui
12.『白の塔』の攻防
118/132

7

(ふ…)

 どことも知れぬ場所でユーノは目を覚ました。重い空気、暗い空間。どこかで聞いたことのある高笑いがあたりの闇に谺している。

(そうだ……私…怪我を…)

 そろそろと脇腹に手を滑らせると、ぬるりとした手触りがあった。まだ出血しているらしい。

(くそっ……ここは……どこだ?)

 瞼が重くてすぐに塞がりそうになる。眠気に耐えて周囲を手で探ってみたが、何も触れない。ここへどうやって来たのか、それさえもよく思い出せない。

(私は一体どうして……確か、レスとあの部屋に追い詰められて…)

 ゆっくりと思い出した。絶望的な気分だった。もう最後だ、そう思っていた。

(サマルカンドがきて……そうだ、アシャの剣!)

 閃光のようにことばが蘇った。

 思わず飛び起きると、痛みが全身に広がった。

(つ、うっっ!………)

 しばらく感覚の奔流に耐えていると、足下にぬめりつくような妙な気配がした。

(なに……っ)

 それは赤い蛇だった。

 子どもの手首ぐらいはあろうかという太さ、いやらしく鎌首をもたげてユーノの両脚に絡み付き、ずりずりと這い上ってきている。ざらざらとした鱗の感触、まとわりつき締め付けられて身動き出来ない脚の重さ。チロチロと動く真紅の舌に体中が総毛立つ。

 ふと、視界の端に金色の反射があるのに気づいた。慌てて振り向くと、手が届くよりほんの少し離れた場所に、アシャから託された短剣が転がっている。

(まずい!)

 ユーノは寝そべり、重くて動かせない下半身を引きずって掴もうとした。体が伸びる、無防備になった腹へ思いもかけない速さで蛇が飛び込んできて、傷口へと牙を立てる。

(わ、ああああっ)

 激痛が稲妻となって身体を貫き、声を上げて仰け反った。呼吸が止まりそうになって、必死に喘いで痛みをこらえる。衝撃が去ると同時に、手足から力が抜けて崩れ落ちた。ぐったり寝そべったユーノの体の上で、赤い蛇は満足そうに舌を蠢かしながらとぐろを巻いている。

 荒い息を吐きながら、目を閉じた。汗が滴る。また流れ出していく貴重な水分、汗と血と……涙と?

(…同じことを考えていた、あの時)

 バルコニーに追い詰められ、『運命リマイン』から一撃を食らい、手すりに崩折れた時だ。

(アシャの声が聞こえて…)

 だが今、アシャの声は聞こえない。

(バルコニーの外へ倒れて……私は死んだのか?)

「っっ!」

 ふいに、目に見えない何ものかに両手首を押さえ付けられ、体を強張らせた。動かない脚はもとより、体の自由を全て奪われ、首がかろうじて動かせるだけとなる。

 赤い蛇がまたずるずると這い上ってくる。月獣ハーンの攻撃に傷ついた怪我の部分を覗き込む。

(くる…)

 激痛を恐れて無意識に体が竦む。空中で煌めく白い牙、閃光が傷口へと降って来る。

(あ…ぅっ)

 唯一動かせる顔を背けた。食いしばる歯、噛んだ唇から血が流れる。乱れる呼吸、速まる鼓動……そして、いきなり、重力は現れたときと同じように唐突に消えた。

(は…あっ……)

 深い吐息をついて、ユーノは緊張を解いた。疲労感が寒さを伴ってやってきていた。身動き一つままならない。

 蛇はどこかに行ってしまったらしく、姿がなかった。

 瞬きを繰り返したが視界は戻らない。闇が目の前まで覆うだけだ。

 ふいと首を支えて顎を上げられ、口元を拭われた。指が唇に触れ、柔らかく開かされる。ひんやりと舌を刺してくる水の感覚が口の中に広がった。

(冷たい…)

 喉を鳴らして水を飲む。自分が渇き切っていたのだと気づく。

 続いて、何かほんのりと温かな液体が入ってくる。

(スープ…? ……私は誰かの手当を受けているのか?)

 意識は戻ってきているのに、どうして体は自由にならないのだろう、とユーノは思った。視界もはっきりしない。目を閉じたまま、唇にあたった濃いとろみのある液体を呑み込む。ゆっくりと喉を通って、胃の腑に落ち着いていく。

(ああ……おいしい…)

 ユーノは思わず体を震わせた。寒さが強くなった気がする。

 いつの間にか、闇に降りしきる雨の中に一人転がされている。体に布がかけられた。それも雨が叩き、みるみるぐっしょり重く冷たい塊に変わっていく。このまま埋葬されていく気がする。

 冷たく体を凍てつかせていく雨。

(寒い…)

 まるで石になっていくようだ。こんな暗い場所でたった一人、置き去られて見捨てられるなんて。予想はしていたが、想像より強い孤独に震えた。

(いや…だ…)

 無意識に伸ばした手を誰かが握ってくれた。だが、何かを思い出したように手が離れかけ、慌てて指を伸ばした。

(行かないで…)

 すぐに再びしっかりと、凍えた指先が受け止められてほっとする。

 相手はユーノが震えているのに気づいたようだった。そっと、手から腕へ、腕から肩へ、肩から首へ、そして顎へとためらうような温もりが移動してくる。

 やがて、少しの間をおいて、唇に軽く何かが触れた。

 さっきの指よりもっと柔らかくて温かくて、どこか甘い薫りがするもの。

(なに…?…)

 知っているような、全く知らない何かのような。

(今のは……?)

 暗闇の中に転がるユーノの傍らに、ぼうっと白い人影が浮かぶ。

(アシャ?)

 影はどうやらじっとユーノを見下ろしているようだ。

(ごめん……アシャ)

 襲ってくる眠気と戦いながら謝った。

(短剣を手放してしまった……あそこにあるけど……でも……私…どうしてか起きられなくって……取りに行けないんだ………ごめんね)

 大丈夫だよ、と影は囁いた。

 ほら、ここにある。

 影が示した片手に、確かに短剣が光っている。

(よかった…)

 吐息をつく。

(大事な短剣を貸してくれて…ありがとう……すごく嬉しかった……)

 安心したせいか、眠気が増して来る。

 寒くないか、と白い影が問いかけてきた。

(うん……寒い……少し…)

 応じるように、ふわりと何かが優しくユーノを包み込んできた。布とは違う、不思議に心を寛がせてくれる温かさ、しかもしっとりとした熱の感触がある。

 まだ寒いか?

 声が静かに尋ねてくる。

(ううん……寒く…ないよ……)

 こんな温かさに包まれてたなら、寒さなんて感じないよ。

 ぼんやりと夢見心地で呟いて目を閉じ、するすると柔らかな空間に吸い込まれていく……。

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