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「夜は好きです」
テオ二世はすっかり暮れた外界を、澄んだ淡いグレイの目で見つめながら続けた。
「闇はある意味では優しいものですからね。見たくなければ何も見せない」
ユーノの部屋で窓辺に寄りかかる少年王の顔には大人びた憂いが漂っていた。
『紅の塔』襲撃にかかるまでの僅かな待ち時間を、彼はユーノと過ごすことに決めたらしい。部屋には窓際に仄暗い明かりが一つあるだけ、アシャは他の兵達と詳しい打ち合わせの真っ最中で、部屋にはユーノしかいない。
ユーノはベッドに腰掛け、見るともなく、テオのプラチナブロンドが窓から入ってくる風に幻のように舞うのを見ていた。
「ミルバは……ぼくの前へ初めて現れた時、キャサラン中央区諸公の姫という触れ込みでした。物腰は上品、紅の瞳も宝石のように美しい……ぼくはそれと気づかない間に恋に落ちていたんです」
テオは外の景色を見つめたまま、風に揺れる髪を軽く押さえた。
「ミルバもぼくを愛してくれ、ぼくらは婚約の儀を執り行い、彼女はぼくの城に住むことになりました。今思えば,その時こそ、全ての宿命の交差点だったのかも知れない」
テオの声は遠く虚ろだ。もう決して帰ってこない、だからこそ一層鮮やかな思い出の日々を噛み締めている。
(宿命の交差点……)
ユーノもまた、そのことばを噛み締める。
もし、そのようなものがあるとしたら、彼女もアシャと出会ったあの瞬間をそう呼ぶのかも知れない。道に倒れていたアシャをカザドの刺客かと思って近寄った時、瞬きを繰り返して開いた眩い紫の瞳に捉えられたあの瞬間、宿命とやらは既に二人の行く末を未来の風に描いていたのかも知れない。
(決して結ばれることはないと……わかっている想いを………行き先のない祈りの先を……)
風は次第に冷えてくる。
テオの声がその温度を感じたように震えている。
「ミルバはすぐに城に溶け込みました。父も母も彼女を気に入り、そしてある日、突然全てが変わってしまったんです」
テオは少し目を閉じた。
やがて、歯の間から無理矢理ことばを押し出すように、
「辺境区の狩りに数人の共を連れて出た時のことでした。その日も変わりなく、お気をつけて、と見送られて……ぼくは何も気づかなかった。けれど、その間に、彼女は自分に従わない者は殺し、残った城の者全てを引き連れて『紅の塔』に移りました。そして、戸惑うぼくに宣告したんです。命を捧げて彼女に従えと。『白の塔』を放棄し、王子の地位を捨て、彼女に跪く奴隷の1人になるか、あるいは死ぬか、どちらかを選べと。……………前者をとるには、ぼくはあまりにも………王子としての教育を受け過ぎていました」
テオの声は、寒さだけではなく、押さえかねた激情にも震えているように聞こえた。
「命を狙われ、たびたび殺されそうになり、家来は次々と減り………その都度、それらはミルバのせいなのだと自分に言い聞かせました。でも……」
テオは髪から手を離して、部屋の中のユーノを振り返った。風が銀の髪を再び弄ぶ。それは激動の中に巻き込まれているテオの運命を表しているようにさえ見える。
「だめでした」
ぽつりと囁いて、淡く苦笑した。
「おかしなことに、これほど手酷く裏切られておきながら、ミルバは、ぼくにとって、今もなお『誰よりも愛しい人』なのです」
「イ・ク・ラトール…」
ユーノは聞き慣れないことばを繰り返した。
「この世に存在する全てのものより愛しい人…というような意味です。自分の命も心も犠牲にしても得たい人…ぼくにとって唯一無二の人、イワイヅタのように強く確かな、生きている手応えを与えてくれる女性……なのに、ぼくはその人と共に生きられない」
テオの切なげな声は、ユーノにとっても親しいものだった。
鮮やかで強くて愛しい一人の姿。
その姿には目に見えない封印が為されている。そこには白い手が置かれている。レアナという名の、真っ白な美しい手が。
ユーノがユーノである限り、彼女はアシャに近づけない。
だから願う。
「誰よりも……護りたい…と」
「そうです」
テオが目を細めた。
「あなたは女なのに、よくわかりますね」
「っ」
ユーノはぎくりと体を強張らせた。窓辺のテオを凝視する。




