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「おら! さっさと歩け!」
平原を1人、照りつける暑苦しい日差しの中をイルファは引っ立てられている。
もっとも、周囲を囲む男達は微妙に覇気がなく、イルファを引っ立てているというよりはのし歩くイルファに渋々付き従っているような様子だ。
「俺が何をしたって言うんだ? ただ、道を歩いてただけじゃねえか」
薄汚れてばさばさの髪をした丸腰のイルファは、ギロリと目を剥いて文句を言った。
「口答えするな! 『紅の塔』の下を通るには許しがいることぐらい、旅人なら知ってるだろうが!」
「知らねえから捕まってるんだろうが!」
「口の減らん奴だな! おとなしく歩け! それでなくとも暑いんだ!」
怒鳴られこづかれて、イルファはのそりのそりと歩を進める。
目の前に、赤茶色の石を積み上げた塔が次第次第に大きくなってくる。かつては、辺境区の象徴のイワイヅタの細く強いつると歯肉の薄い白い葉が彫られていたのだろうが、今それは跡形もなく削り取られていた。ささくれた表面は削られた跡そのままに、粗いごつごつした粒子を晒している。
それは、塔の所有者の変化の激しさをまざまざと見せつけるものだった。
「えらく荒れた城だな」
「ああ、荒れた城だ」
イルファのことばに、からかい相手にされていた男は、そっけない、どこか寒々とした調子で応じた。
「以前はそうでもなかったんだがな…お前に言われてみると、確かに荒れた城だ」
「城主が変わったのか」
「まあな」
つい答えた男ははたと我に返ったらしく、またイルファの体をきつくこづいた。
「ほんとに口の減らん奴だな!」
「それはさっき聞いた。それに、話したのはそっちじゃないか」
「もう話さん!」
男はぐっと唇を引き締め、後は塔に着くまで無言だった。
イルファが連れ込まれた塔は、基底部に小さな入り口を持っていた。そこから内部の細い通路に階段が刻まれ、頂上まで続いているらしい。
(内部の造りは大体『白の塔』とおんなじだな)
イルファはうんざりするほど長い、埃だらけの段々を汗だくになって上りながら考えた。
石段や壁面のそこここが欠けたり崩れたり、あるいは何とも知れぬどす黒い物で汚れたりしているのが、修復もされずに放ったままになっている。外から見るより、中に入るとより一層荒れた気配の塔だ。
『城は主を語る』
いつだったかレクスファ王が杯を手に話したことばを思い出した。
『城は主を語り、国を語るものだ。統治する者の居場所を見れば、何を望み、何を得ようとしているのか明らかだ』
炎に照らされた力強い穏やかな笑顔。
(確かにそうかもしれんな)
レクスファの白亜城は確かに造りとしても美しいが、何より手入れが行き届いていた。王がこまめに指示をすると言うよりは、住まう者関わる者が、その美しさを損なうまいと日々心を込めて手を入れていた。それは王への敬意であり、国を治める重責へのいたわりだった。
しかし、『紅の塔』にそんなものはない。使い放題に使い、おそらくはいずれ捨て去られるだろう気配が満ちている。この城を見る限り、『運命』支配のその後に何が起こるか、簡単に想像がつく。
人気がなくなり崩壊した黄金都市、キャサラン。太古生物が跳梁し、人間は明日の命を望むことしかできない。
あれこそが『運命』が支配した後の世界というやつだろう。
『王の責務は人々の希望を背負うことだ』
レクスファ王は杯を高く差し上げて頭を垂れて祈った。
『民が、未来は素晴しいと信じて生きられる場所を保てるように、我に力を貸したまえ』
この先は全滅するしかないと思われた盗賊王との闘いの夜。
(いかん)
旅に出てから感じたことのない淡い懐かしさが広がり、イルファは苦笑した。
(今回ばかりはやばいかもしれん)
過去を振り返るなぞ、しかも自分が長年仕えた王を思い返すなぞ、終末期にありがちな感覚だ。
「ここだ」
背中をこづきながら上ってきた男が少し息を切らせて、一つの扉の前でイルファを止めた。
塔の半分ぐらいは登ってきただろうか。
黒ずんだ金属の扉が無骨に前を遮っていた。表面にかつてあっただろう紋章の浮き彫りも、叩き潰されてでこぼこしたうねりにしか見えない。
男はイルファの側を無防備に過ぎて扉に近寄る。その様を見ながらイルファは目を細める。
剣を突きつけているという優越からか、猛々しさと相反するこの緩さ。
イルファが反撃するなどとは思ってもいないのだ。旅人だと言うイルファのことばを信じていないように振舞いながら、その実旅人でしかあり得ないと考えているのは、自分達の力が圧倒的だという傲慢が底にあるせいだろう。
(突くならそれだな)
攻められるとは考えていない、その甘さを崩せばいい。
深く呼吸し、前を向く。
男はイルファに背中を向けたまま、扉の中央に下がっている丸い輪を掴んで、気怠そうにゆっくりと扉に数回叩きつけた。
ごぉん、ごぉん、ごぉん。
重苦しい音が石の壁に跳ね返る。
扉がきしみながら内側へと開かれた。
「王よ、この者が、さきほどの旅の者です」
中は意外に広々としていた。
正面に段をつけて高くしてある場所があり、柔らかな薄絹のような白い布が天上から垂れ下がって、その場所を囲んでいる。布の囲いの中に人影が動いたかと思うと、甲高い声が命じた。
「そこへ」
「はっ」
男は雷に打たれたようにびくりと体を強張らせると、険しい顔でイルファを部屋に引き入れ、まるで正面の座から自分を守るようにイルファを前に押し出した。
イルファの前でするすると布が左右に引かれていく。




