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天界はブラック企業です

作者:

箸休め程度に、お読みくださると嬉しいです。




 お初にお目にかかりますね、皆さま。

 こんにちは、E区画(ブロック)天使628号と申します。



 ここ、天界では、無数の天使たちが神々のさまざまなお仕事をお手伝いしております。

 私たちE区画天使は、天界と人間界を繋ぐ役割をお持ちである神、ヘルメース様のお手伝いをする部署です。死後、魂が迷わず来世や冥界へ行けるように、こちらとあちらを行き来して案内役を務めます。旅人たちが安心して旅を続けることが出来るよう、祝福を授けたりするのも私たちの管轄ですね。ヘルメース様は賭け事がお好きで、人間界によく降りられる神様でもあります。少年のように若々しい容姿をお持ちですが、他の神様と同じくとても長生きで、気さくなお方です。


 さて、天使たちにも名持ち(ネームド)と呼ばれるお偉いさんたちがいます。大天使と位置付けられている彼らは、神様方を社長としたところの部長、課長にあたる方々ですね。


 今、私の目の前で眼光鋭く書類の山を睨みつけておられる方も、その大天使という立場にいらっしゃるお方です。

 お名前を、リューレン様とおっしゃいます。



「あのクソジジイ、また賭博場に遊びに行っているそうだな」


 彫刻のように美しい尊顔を、天使らしからぬ忌々しげな表情に変えたリューレン様。白金色の長い髪を頭頂から複雑に結い込み、肩から背中にかけては三つ編みにして垂らしておられます。薄氷色の瞳は冷え冷えとして、冴え渡った美貌を引き立てているようにも見えます。

 クソジジイなどと仰っていますが、リューレン様が大天使へとなられた際に、そのクソジジイヘルメース様に頂いた指輪を、執務机の3番目の引き出しにしまって、きちんと大切に保管なさっていることを私は存じております。


 なぜそんなにも詳しいのかとお思いですか?

 それは勿論、部下たるもの、上司のことはきちんと把握しておかなければなりません。決して、いつか弱みを使って有給をもぎ取ろうとか、そんなことは翼の先ほども考えておりません。



「リューレン様、ヘルメース様からの伝言をお預かりしております。

''リューレンごめんね!日没までに、アテナ様への手紙も届けておいてくれる?''とのことです」


「やめろ……628号の声真似は似すぎていて、まるでクソジジイがそこにいるかのような錯覚を覚える……」

「''リューレン、これもお願い!"」

「私をいじめる時が一番イキイキしてるんだが気のせいか……?」

「滅相もございません。お心を和ませようかと」

「1ミリも和む要素が見当たらなかったぞ」


 眉間を揉みほぐしながら、書類と向き合いはじめるリューレン様に、お茶とお菓子を運びながら少しお小言を申し上げます。


「あなた様がアホほど激務をこなしておられるせいで、他の天使たちが休めないのですよ。少しは休みやがって下さらないと」

「それはその……申し訳ないと、思っている」


 珍しくしゅんとしたご様子のリューレン様。E区画の上役であるこの方は勿論、天使たちが疲労困憊であることを百もご承知なのです。そしてその上で、天使たちの負担を減らそうと走り回っておられるリューレン様に、こんなことを申し上げるのは酷であることを、私も重々分かっていました。


 E区画の天使たちの業務量は天界でも特に膨大で、日中日夜仕事に当たらないと、迷子になって彷徨い出す魂が大量発生してしまうのです。ヘルメース様が長らく天使の増員を上に掛け合っておられますが、ここしばらく、他区画からの人事異動は見送られているようです。どこも人手ならぬ天使手不足なのだと、先日ゼウス様が申し訳なさそうに仰っていました。

 E区画のそこかしこに「やれば終わる、やれば終わる」とぶつぶつ唱える天使が増えて参りましたので、そろそろ労働環境改善のデモが起こる頃合いではないでしょうか。

 かく言う私も、めでたく34連勤(単位は年)を数えましたので、そろそろ家に帰りたいものです。神様とて天使とて、肉体疲労は存在いたしますので、もう少し労働可能人口増えろこの野郎、と皆が日々思っている次第です。

 とは言え、天使は人々の笑顔や笑い声を素として作られますので、年々世知辛くなってゆく地上を見ていれば、おのずと増員は望めないことを察するわけです。もっとニコニコ生活して欲しいものですが、天使たちだって他人のことをとやかく言えるほどニコニコ仕事してるわけでもありませんので、どこも世間の厳しさというのは如何ともしがたいものですね。



 茶器を下げて戻ってくると、リューレン様は別の天使に指示を出しておられました。


「この案件は、いかがいたしましょうか」

「先日纏めておいた規定に従って行え。

 次は、ヘンネのところのだな。

 あー、すまん。390…何号だったか」

「394号ですよ。いい加減、覚えてくれませんかね」


 呆れた顔の彼はE区画大天使ヘンネ様のところで伝令役をしている天使なので、ほぼ数日おきに顔を合わせているのですが、リューレン様は大体毎回名前を間違えておられます。


「ジジイが、ヘンネの沙汰に任せると言っていたぞ。2年前のケースにも似ているから、思い切って裁量してみるといい、と伝えてくれ」


 リューレン様は、ヘルメース様の下にいらっしゃる大天使の中で、最も信を得ておられるので、長く秘書のような役割も併せて担っておられます。

 リューレン様なくしてE区画業務は回らないほど、影響力の大きい方だからこそ、皆、彼が休んでくださらないのを心配こそすれ、だからと言って実際に仕事を肩代わり出来る者がいないのも、また事実でした。







 ですから、皆、心のどこかで「リューレン様なら大丈夫」と高を括っていたのです。



 いくらリューレン様が有能で、体調管理に気をつけておられても、働き続ければ肉体に異常をきたす、ということ。そんな、至極当たり前のことを失念していたのです。







 いつものように激務が続く、ある日のことでした。私は休み明けで少し身体も軽く、予定より少し多めに魂の案内役をこなして帰ってきたところでした。


「リューレン様、ただいま戻りました」

「ああ、628号か。今日は少し多かっただろう」


 労わるように眉を下げたリューレン様に、こちらも少し頰を膨らませて申し上げます。


「お気遣い痛み入ります。お言葉ですが、あなた様こそ今日はお顔の色が優れませんのでお休みやがれください」

「……敵わんな。だが、あとこれだけはさせてくれるとありがたいのだが良いだろうか」


 拝見させて頂くと、【至急】と赤字で書かれた、何か恨みでも篭っているのかと見紛うような書類でした。


「……仕方ありませんね。絶対にあなた様を休ませてなるものかという、執念に近いものを感じます」

「ふ、違いないな。

 よし、これで終いだ。済まないが、これを届けてきてくれるか」

「承知いたしました。行って参ります」

「助か、る……ッ、」



 不自然に途切れた言葉に振り返ると、血の気の引いた、リューレン様の真っ白なお顔が目に入りました。

 

 ぐら、と身体が傾いだかと思うと、彼の美しく大きな翼が風を切ります。

 あぶない、と思った時には、私の翼は脳の命令に忠実に飛翔を始めていました。


 天界の物体は、宙に浮いているものが殆どです。原理はよく分からないのですが、神々の力の一端だと思われます。天使たちをはじめ、皆が飛行能力を持っているので、空間を広く使うことが出来るというメリットを鑑み、多くのものは浮かべられていました。ベッドなどは寝相が悪い者もいますので、固定されていることが殆どですが。

 そして、それはリューレン様の執務机も例に漏れず。


 ほんの数メートルではありますが、気を失った天使が落下すれば、その衝撃はかなりのものになります。頭など、打ち所が悪ければ、障害が残ってしまうことも。



 私は床ギリギリのところでリューレン様の身体の下に滑り込み、彼を抱き込むようにしながら受け身を取ろうとしました。

 が、リューレン様のように偉丈夫のお方を支えきることは、そも私のような少女体型の天使では土台無理があることに気がついたのは、背中の翼が、ごきりと嫌な音を立てた時でした。付け根の辺りが燃えるように熱くなり、貫くような痛みで視界がチカチカしました。

 バサリ、と衝撃で抜けた自らの羽が四方に舞い、「羽毛布団を干すのを忘れていたな」と場違いな思考がよぎりました。


 惨状に気がついたE区画の仲間たちが、血相を変えて羽ばたいてくるのを横目に捉えた後、ようやくリューレン様に休憩を取らせることが出来るな、とぼんやり思いながら、私も意識を手放したのです。






















 ぱちり、と自然に目が覚めました。朝陽を一身に浴びているところを見ると、どうやら貪欲に睡眠を貪り続けたようです。これも34連勤の賜物でしょう。


 そして、視線を横にスライドさせると、ベッドの傍らに置いた椅子に腰掛けて、微動だにせず眠っておられるリューレン様がいらっしゃいました。薄氷色の瞳は隠され、長い睫毛が頰に影を落としています。そんな体勢で寝ても、疲れは取れないと思われますが、十中八九、気に病ませてしまっているようです。


 包帯でぐるぐる巻きになった私の翼は、片方が無残にひしゃげてしまっていました。根元から折れ曲がり、そこそこグロテスクな見た目になっております。

 ざっと見る限り、飛行するのには多少支障がありそうですが、リハビリ次第でまぁ何とでもなるでしょう。私の知人は、生まれつき翼が短かったため、飛行は難しいと言われていたそうですが、今は訓練と彼の努力の甲斐あって、人並み以上にブンブン飛び回っています。



 気配が動いたことで意識が引っ張り上げられたのでしょう。

 睫毛がふるえるように持ち上がり、はっとしたようにリューレン様が目を覚まされました。


「628号……!!すまない、本当にすまなかった!!麻酔が効いているそうだが、痛みはないか?」


 ご自分の方が痛そうに、秀麗なお顔を泣きそうに歪ませてこちらを見るリューレン様に、何故だか笑いがこみ上げました。


「我らが有能アホ上司をお守りできて、本望ですよ」

「何を……!お前は、もう、前のようには飛べないんだぞ……?」

「リハビリ次第で、どうとでもなるでしょう。それより、これからは少しはお休みになりやがれです」


 くしゃっと目元を震わせたリューレン様は、必ず、と約束して下さいました。


「628号、話があるんだ」


 真剣な表情のリューレン様に、はてなマークが浮かびます。もしかして、遂に有給が頂けるのでしょうか。


「有給でしたら、希望は2日です」

「…………そうだな。労働環境の改善について、これから会議で掛け合ってくる」


 何とも言えない複雑な表情のリューレン様は、意を決したようにこちらをご覧になりました。






「結婚してくれないか」



 数刻、息が止まりました。一体全体、どこからそんな話になったのでしょう。


「怪我のことでしたら、名誉の負傷ですよ。リューレン様が、お気になさることではありません」

「違う。お前を傷物にさせてしまったことに対しては、天使として何を置いても償う。

 だが、こと私にとっては、別の意味でも一生をかけて償わせて欲しい。


 好きな女を傷つけることは、男として一番やってはいけないことだ。

 628号、私に、お前を一生守らせてくれないか」



 薄氷色の瞳は、今、春になって溶け出した透明な氷の色をして、真摯にこちらを見つめていました。優しい光に、鼓動が速くなったのを自覚しました。



 そして、ふと気づくのです。

 私が、このお方に名前を聞かれたのは、初めてこの部署に配属されたあの時、一度きりでした。


『私が、E区画大天使リューレンだ。名前は?』

『E区画天使628号と申します』

『628号、だな。よろしく頼む』


 394号の彼を覚えられないリューレン様が、私に天使番号を尋ねたことは一度もありません。番号を間違えられたことだって、一度たりともありませんでした。



 そこまで思い至って、じわじわとこみ上げてくる愛しさに、私は泣きだしそうになりました。

 いつだって、部下たちのことを考え、ヘルメース様のことを考え、自分のことを二の次にしているこのお方のことを、私も知らず知らずのうちに誰よりも大切な方であると認識していたようです。



「……しがない下っ端天使ですが、私でよろしいのでしたら」

「私にとっては、唯一無二の天使だ。

 私と同じ白金の髪も、くるりと大きな瞳も、私を案じてくれる言葉も、………私を守ってくれた、勇気ある翼も」


 ひしゃげた不格好な翼に、形の良い鼻先を祈るように差し出すリューレン様。懺悔のような、愛撫のような、戯れのような仕草でした。


 あいしている。声なき声が、そう呟いた気がしました。


























「394号、この件はどう処理されている?」

「あー、それは628号さんが……、って、そうでした。もう別の天使に引き継がれてるんでしたね」


 あー、と困ったように苦笑いする394号が、リューレンにリストを渡す。

 E区画天使628号が処理していた業務は、その上司に負けず劣らず、べらぼうに多い。彼女が退任した今、引き継ぎ業務は何人もの天使に細かく割り振られていた。

 彼女を通せば業務の行き違いが殆どなく、多々起こるミスも最小限の範囲で食い止められていたことが発覚し、E区画の天使たちは彼女のありがたみを見に染みて感じていた。

 そして結果的にそれを奪った形になるリューレンに、恨みがましい視線を向ける輩が、後を絶たなかった。誇りに思っている上司に向ける視線ではないが、それとこれとは話が違うらしい。


「628号さん、お元気ですか」

「リハビリでかなり順調に回復してな。少しの距離なら、前のように飛ぶことも出来るようになった」


 ほっとしたように、394号は息を吐き出した。彼も、あの場に居合わせた天使の一人だったのだ。

 リューレンと628号が折り重なるように倒れた姿が、今でも脳裏に焼き付いて離れない。



 あれから、E区画では物を地面に接着させて配置するようになり、有給休暇取得と超過業務の低減努力が義務づけられ、天使数増員が行われた。

 天使の素である笑顔や笑い声は、E区画天使たちがリューレンと同僚の危機にこうしちゃおれぬと立ち上がり、人間界で拾い集めてきたものだ。ヘルメースをはじめ神々も労働環境を問題として取り上げ、徐々に改善の兆しが見えてきている。


 天使たちの顔にも生気が戻りはじめ、一層作業効率は上がった。適度な休息が、結局労働力を底上げするのである。












 それで、問題の夫婦はというと、かつてリューレンが週に一度寝に帰るぐらいだった屋敷に暮らしていた。

 628号が越してくる前に家具は全て床に接着され、彼女が翼を使わなくとも暮らしていけるようにリフォームされていた。おかげでやたら天井の高い神殿みたいな家が出来てしまったのはご愛嬌だ。



「リューレン様、以前仰っていた書類は纏めておきましたよ」

「ああ、ありがとうな。E区画の天使たちが、お前がいないと業務が円滑に回らないと嘆いていたぞ」


 くつくつと喉奥で笑うリューレンが、628号の頭を優しく撫でる。


「皆さま優秀ですから、引き継ぎ直後の今だけです。そもそも、それぐらい出来ないとリューレン様がまた倒れるので頑張りやがれです」


 628号の、強気な言葉とは裏腹の優しい心づかいに笑みをこぼして、リューレンは華奢な体を抱きしめた。



「628号は優しいな」

「あ、またですよリューレン様」


 少し顔をしかめた彼女に苦笑して、リューレンは言い直す。


「長年の癖というのは、抜けないもんだな。

 なぁ、私の天使(レム)



 E区画天使628号は飛行不能となったため、天使の仕事を辞し、大天使リューレンの保護天使となった。便宜上の通し番号である628号はお役御免となったので、ヘルメースが名付けを行なってくれたのだ。


「はい、リューレン様」


 自分だけの名前を持つ、というのは天使たちにとって何よりも特別なことだ。

 そして、その名を呼ばれることも。




「レム、………レムか。ジジイが付けたのかと思うと無闇に反発心を覚えるが、やはり、いい名だな」


 舌先で転がすように彼女の名前を呟いて、リューレンは静かにレムを抱きしめた。

 628号であった時も、レムとなった今も、変わらず彼女だけが彼の特別で、かけがえのない存在であるらしい。


「レムと、そう呼んでくださるのは何百年経ってもあなた様だけが良いですね」

「普段は強気な言葉ばかりのくせに、可愛いことを言う」


 くつりと笑ったリューレンは、彼だけの天使となった彼女の翼に、愛しさをこめた口づけを落とした。












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