群青の夢
目の前には景色が広がっていた。
よく晴れた日に見える群青の空。
名前の通り海のような地平線まで広がる真っ白な雲の雲海。
そこを泳ぐクジラのような紺色の生物。
様々な青の色が群をなしたような景色を私は圧巻のあまりただ眺めていた。
ああ、なんて綺麗な景色なのだろう。
この景色を撮っておきたいがもちろんそれは不可能である。
私はこの景色が夢であるということを自覚していたからだ。
ならせめて時間が許す限り目に焼き付けておこうと考えた。
雲海を漂う巨大なクジラが大きく飛び上がる瞬間私の意識は現実へと戻された。
目覚まし時計の電子音が私の部屋に響き続ける。
重たいまぶたと夢から現実へと引き戻された重たい気分2つを感じながら
目覚まし時計を止めた。
制服に着替え、朝食をとり学校へ向かう。
いつもどおりで目立つことのない日常。
あの夢でみた幻想的な風景が日常的に見れたらきっと
普段の登校風景が非日常になるんだなとぼんやり考えていた。
本日の授業が全て終わり、放課後、私は美術部の教室へとまっすぐ向かった。
扉を開けると同じ美術部員の美空が机に頭から突っ伏して
小動物のような唸り声を上げていた。
「何やっているのよ。そういう現代美術?」
美空が机から頭を上げてこちらを見る。オデコが赤かった。
「そしたらこの様をスケッチしてくれ。タイトルは私の友達」
「珍獣みたいな唸り声をあげているのを友達というのはちょっと・・・」
「ひどいよ瑞穂ちゃん」
そんな面白みもない会話をしながら今日も部活を始める。
美術部員は現在6名。毎日来るのは、私と美空くらいで、3年生の先輩3名は受験で引退済み。
1名は幽霊部員である。
活動内容自体は活発な部活ではなく、絵を自由に描き、部員から申し出があれば
コンクールに出すくらいのゆるい部活である。
紙に今日見たあの青色の夢を描いていく。
もちろんうまくいかない。私は絵が下手くそなのである。
想像の中の絵はとても綺麗にできているのに、いざ描き始めると想像と全く
かけ離れているものが出来上がる。現状の技術がなく努力する必要がある現実を
突き付けられて少し残念に思う。
そんな中、美空が自分の絵を描く手を止め私の方を向いた。
「何を描いているの瑞穂ちゃん?」
私は自分の残念な絵を丸めてゴミ箱に捨ててしまった。
「いや!これは失敗作だから。恥ずかしくて見せられない。」
私は咄嗟に話題をそらそうとしたが、青色の夢について誰かに伝えたかった。
「そういえば昨日きれいな景色な夢を見たんだよ。」
「どんな夢なの!どんな景色なの!?」
露骨な話題そらしなど気にせず、目を輝きさせる美空に、青色の夢について説明した。
口ではすんなり伝えることはできるのに、現実の自分の絵があまりにもかけ離れているため、
説明している途中で恥ずかしさで顔が熱くなっていくのを感じた。
説明を終えると美空はスケッチブックを取り出し、絵を描き始めた。
そのまま色鉛筆で着色を終えると私にその絵を見せた。
その絵はまさしく私があの時見た夢の景色とほとんど相違ない絵だった。
「こんな感じの夢?すごいねこの夢!私もこんな綺麗な景色見てみたいな~」
美空は曇りなき眼でそのようなことを伝える。
夢とはいえども、実際にその景色を見た私よりも口頭の情報だけで
美空はその景色を表現してみせた。
私はその瞬間、恥ずかしさや悔しさ、表現できないような感情が
絵の具のように混ざり合い涙がでそうになった。
美空に何も告げず、私は教室をそのまま離れ、混ざりあった不安定な感情を
抱えたまま、部活の帰宅時刻まで校舎を徘徊した。
美空は絵が上手だった。コンクールなどで賞を受賞し、私もそれを知っていたが特に何も
感情などはわかなかった。しかし、今回は違った。私の頭の中の景色を簡単に描いてしまったのである。
自分の実力がないのも、努力を怠っていたことも全て見透かされたように
現実として叩きつけられたからである。
結局モヤモヤした感情を抱えたまま美術部に戻った。
美空は心配そうな顔で私を見ていた。
何か言おうとした美空を制して私は謝った。
「ごめん。勝手に出ていって。帰宅時間だし帰ろう。」
下手くそな笑顔を見せながら、帰宅の準備を進めた。
美術部の教室の鍵を閉める、施錠音だけが夕方の校舎に静かに響いた。
帰宅し、今日写真にとった住宅街の景色や
ネットで検索した綺麗な景色などを技術本を参照しながら模写し始めた。
出来上がった絵は写真の景色とはかけ離れたものだった。
その日も夢を見た。あの青色の夢だ。
また同じ夢を見れたことに嬉しさと今日の出来事を思い出し、
複雑な気分になった。
目の前に広がる雲海の景色を眺めながら私は、自分が立っている場所から後ろを見た。
白い地面、傾斜地に建てられたいくつもの白い建物。
どこかで見たことがある写真で見た景色と似ており、
雲海との景色と合わせてまるで港町のような景色だった。
私は、上の方に行けば雲海と建物を一望できるのではないかと考えた。
周りを見渡し、上へと行ける白い階段を見つけ登り始めた。
夢の中だからか身体的な疲れは感じず足は軽かったが気持ちは重かった。
階段を登りながら今日の部活での態度を思い出していた。
美空に対して個人的な感情で心配させてしまった。
私の中にあるこの劣等感の感情、気持ちを正直に話そうか悩んでいた。
絵に対する努力の方向と同じで、どこから手をつけてよいかわからなかった。
階段を登りきると、雲海の景色が一望できる場所にでた。
ベンチが一つあり、そこには先客がいた。
見た目は20代くらいの大人の女性。私に似ていた。
女性は私に気がつくと、手を招いてベンチの隣に座るように促してきた。
私はそのまま女性のベンチの隣に座った。
「し、失礼します」
何故か緊張してしまっていた。
「そんな緊張しない。別に危害を加えるわけではないんだから」
微笑みながら女性はそのまま雲海の景色を眺めていた。
「久々にこの景色見たな。やっぱり綺麗な景色よね。」
「あなたもこの夢をなんども見たことがあるんですか?」
「そうね。何度か。君もあと何度か見ることになるよ瑞穂」
女性は、初対面のハズなのに私の名前を呼んだ。
「なんで私の名前を知っているんですか?
その・・・どこかでお会いしましたか。忘れてたらすみません。」
「そんなおどおどしない。というかこの反応も懐かしいな~。
知っているに決まっているじゃない。なんせ私は未来のあなただもの。」
なんとなく察しはついていたが、まさか未来の私と夢の中で出会うとは思わなかった。
私は想定していなかった状況に戸惑い、次の言葉が出てこなかった。
どうすればいいかわからず目の前の景色を二人で言葉もかわさずただそのまま眺めていた。
沈黙が気まずくなり私は未来の私に質問した。
「あの・・・。知っていることだと思いますけど、私は美術部員で絵を描いてます。
もちろん上手くないですが、未来の私はどこまで努力を続けられたでしょうか」
絵が下手なことも、才能がないことも知っていた。それを知っていたからこそ
絵の練習をする。勉強をする。ただその努力はどこまで続くのか。
間違った方向に頑張っていないか不安だったのだ。
未来の私は答える。
「確かに過去に同じような質問をしたな~。
あなたの質問の意図も知っているし、気持ちも私は知っている。
だけど未来がもしかしたら変わってしまうのが嫌だから答えない」
意地悪い笑顔を見せながら、なんだか懐かしそうな目をしていた。
「だけどヒントなら言えるかな。絵に関して答えを見つけたいなら、
君の身近に相談できる友達がいるはずだよ。
あとはあなたが相談できるかの気持ちしだい。」
美空のことだろう。そんなことわかりきっていたことなのに、
私は絵について美空に相談をしたことがない。
「未来の私ができるのはひと押しするくらい。
頑張れ過去の私」
未来の私が発言するのと同時に雲海にいるクジラが大きく飛び跳ねた。
その瞬間私は夢から目を覚ました。
「夢だとわかっていても、未来のことを聞くなんてずるいな私」
今日も朝が始まったと知らせるように目覚まし時計の電子音が私の部屋に響いた。
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本日の授業も全て終わり、いつもどおり部室に直行する。
昨日のこともあり、気まずかったが、美空に全てを話そうと決めていた。
部室の扉を覚悟を決めて開けると、誰もいなかった。
まだ美空は来ていないようだ。机に座り、美空を待ち付けたが
その日は美空は部活に来なかった。
部室の鍵を閉め、学校から出て、帰路につく。
結局美空と話せなかったなと考えながら、帰り道の河川敷を歩いていた。
川の向こうには住宅街や駅前のビルなどが見える。
夕日で彩られた街の景色がとても綺麗だった。
そんな景色を眺めながら歩いていたら、少し先の河川敷の芝生で
美空がその景色を眺めていた。
近づいて声をかける。
「美空。何やってるの?」
「おう!?瑞穂ちゃん。なぜここに。」
「美空が部活に来なくて心配になって探してた」
「そうなの。ごめんなさい。」
「そんな申し訳なさそうにしないで。冗談だよ。
それより何してたの」
「うん。ここの景色を眺めていたの。
放課後の時間からこの時間にかけて、街の景色が青色から
夕日になって赤色の染め上げられていく感じを眺めていると
落ち着くんだ。」
「私も同じだな。ただ私は欲張りだからこの景色を絵で表現してみたいと
思ってしまう。綺麗な景色を残しておきたいと思う。写真ではなく絵で。」
その後は、一歩的に私の中の気持ちを美空に話していた。
絵が上手くなりたい。どういった努力をすればいいのか。
夢でみた景色を表現する力がほしい。
全ての気持ちを美空に話した。美空は頷きながら私の話を黙って聞いてくれた。
話が終わると美空が話始めた
「実はね瑞穂ちゃん。昨日、瑞穂ちゃんが部活から突然出ていった日にね、
ゴミ箱に入っていた絵を見てしまったんだ。勝手に見てごめんね。
瑞穂ちゃんがみた青色の夢を描こうとしてたんだね。
あの絵は瑞穂ちゃんが見た景色を一生懸命表現したいという気持ち、
表現できる技術がない悔しさがとても詰まっていた。
私は、瑞穂ちゃんの描きたい景色を横取りしてしまった。
それがとても・・・。うぐ」
その後、美空は涙をたくさん流して、言葉として聞き取れないくらい泣きじゃくった。
私は美空の体を抱きしめ、頭を撫でた。
「そんなの気にしなくていいよ。描きたいものを表現したいから私達は
絵を描き始めたんでしょ」
美空が泣き止む頃には夕日は沈み、街は夜のとばりにつつまれていた。
街の景色がよく見えなかったのは私も気づいたら泣いていたからである。
その後は、私が見た青色の夢を描くことを目標に行動した。
美空にもお願いし、アドバイスをもらったり、絵の指摘をしてもらった。
何度も描き直し、何度も失敗しながらも描きたいものを表現するために
できる限りの努力をした。
作品を作り続けている間も、例の青色の夢を定期的に何度も見た。
未来の私と一緒に雲海の景色を見ながら他愛のない話をしたり、
作品についての相談をした。未来の私は笑顔を絶やさず私と話してくれた。
その笑顔見ているだけで私は今の行動、努力に対する不安は取り除かれた。
長い期間をかけて私の夢を描いた作品は完成した。一番始めの頃に比べ、
マシになったが、それでも上手とはいえなかった。
それでも満足している。できる限りの努力をして、私の気持ちを描いたのだから。
タイトルは「群青の夢」
私自身の気持ちと区切りをつけるため、その絵をコンクールに出してみた。
結果は、当然何の賞も取れなかった。
賞はとれなかったが一緒にコンクールに作品を出していた美空の作品は評価され、
展示されることとなった。
私は自身の作品を作るのに忙しかったため、美空がどんな作品を作成していたのか
あまり知らない。展示されているのを見に行こうと美空を誘ったが
顔を真赤にして恥ずかしいからいいとフラレてしまった。
私一人で展示会に行き美空の作品を見に行った。
他に展示されている同学年の作品を見ながらみんな上手いなと感じながら
美空の作品の前までたどり着いた。
美空の作品は、ある景色を描いた作品だった。
河川敷に映る夕日に彩られた町並み。その町並みを河川敷の芝生から
女子学生が二人眺めている風景を描いたものだった。
タイトルは「私の友達」
確かに恥ずかしくて一緒に行きたくないなと美空の気持ちを考えて
少し楽しかった。
その日は夢をみた。例の青色の夢だ。
未来の私に合うために白い階段を一歩ずつ登る。
階段を登る足も気持ちもどちらも軽かった。
階段を登りきると、未来の私がいつもどおりベンチに腰掛けていた。
「なんだか吹っ切れた表情をしているね。何かいいことがあった?」
未来の私は微笑みながら話かけてきた。何があったかは知っているはずなのに。
私は作品の結果についてのこと、美空の作品についてのこと、それから
できる限り最近あった出来事について話した。
私は現状報告の話になり、未来の私にとっては思い出話になる。
私はなんとなくこの夢を見れるのが今夜が最後な気がして
できる限り話せることを話した。
どれくらい時間がたったかわからないが、そろそろ夢から覚める。
私は最後に未来の私に質問をした。
「未来のことを聞くのを避けて来ましたが、これだけは聞かせてください。
未来でも私は美空と友達でいられていますか?」
「もちろん。今でも一番大切な友達。この笑顔を見ればわかるでしょ。」
未来の私は今までで一番いい笑顔を向けて答えた。
夢の終わりを告げるかのように雲海を泳ぐクジラが大きく飛び跳ねた。
それ以来、私は青色の夢を見ることはなくなった。
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数年後、私は社会人になり、イベントや展覧会などの
準備を進めることに関わる会社に入社した。
スケジューリングや展示物の準備。私が所属しているのは、
芸術品などの展示会の準備を進める部署に所属している。
絵を描くことは辞めたが絵に関わることはまだ続けていた。
今は、各それぞれの芸術家さんに声をかけ、いくつかの作品を展示する、
展示会の準備を勧めている。その中のひとりに美空が含まれている。
美空はその後、絵の教室で講師を務めつつ、こういった展示会に作品を
定期的に出展している。
そんな美空の作品だが今回の展示会での作品が納品される気配がない。
美空に連絡する。
「あんた作品の納品はどうしたの」
「瑞穂ちゃん。もう少し伸ばせない?」
弱気な美空を励ましつつ納期が伸ばせないかスケジュールを調整する。
忙しいがこうして美空と今でも仕事で関わり、そして友達としていられるのが嬉しく思う。
美空の作品をもっと他の人にも知ってほしい。そんな気持ちをいだきながら仕事を進める。
家に帰り、クタクタになりながらベットに飛び込む。
流石に疲れた。私はそのまま眠ってしまった。
その日は夢をみた。学生のころ見た青色の夢だ。
私はベンチに座っている。
「ここは・・・」
驚きはしたが、すぐに現状を把握した。
おそらく階段から学生のころの私が登ってくる。
不安や悩みを抱えた思春期の私が。
だったら今度は私が示さなければならない。
挫折があり、変えられないような現実が待ち構えている。
しかし、それでも成長し、未来はとても楽しいものだと見せてあげなければならない。
私は過去の自分が階段を登ってくるのが見えた。
雲海にただようクジラが始まりを告げるように大きく飛び跳ねた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。