2、男回復術士は「逃げていいんだ」と叫びまして。
◆前回までのあらすじ◆
仇敵マクスウェルを倒し、SSランクパーティとなったリリウム。
詰所として与えられた屋敷には、マクスウェルによって造られた人造少女リエルが派遣されてきた。
過酷な生い立ちから「好き」という感情がわからないリエルだったが、ターニャたちの自由で優しい、ひたむきに強い生き方に触れていくなかで少しずつ「好き」を理解し始める。
そんななかで出会った男回復術士のケイは、リリウムの振る舞いに対して「どうせ強い奴らの意見だ」と反発を示す。しかし彼の言動の裏には、冒険者ギルドに属していた父の過労死、そんな情勢に反発して回復術士になった自分への世間からの冷たい風あたりという過去が隠されていたのだった。
一方、宮廷魔導師長となったラプラスのもとに緊急報告が入る。
「花見で賑う王都オーデの広場に、突如魔物の大群が出現した。すつにSSランクパーティの出動を!!」
その広場には、懇意にしている酒場・小狐亭のイベントで花見に出かけていたキャサリンとナディーネ、リエル、そして偶然居合わせたケイもいて……王都壊滅もありえるモンスター、猛毒をまきちらす毒龍に立ち向かえ!
足の震えを、ケイは感じた。
花見客で賑う王都オーデの広場に突如として現れたモンスターの群。そして上空を先回するドラゴンは……毒龍である。
その呼気には猛毒が含まれている。
あの毒龍を討伐するには、ただ斬るだけではいけない。撃破と同時に、血液や断末魔の絶叫により撒き散らされる猛毒をただちに解毒する必要があるのだ。
それがなければ、周辺一帯に甚大な被害が出る。
さらに、毒龍が堕ちたその土地は、悪くすれば数年間は人間が立ち入ることはおろか、まともな生物が生きていくことができない死の土地となってしまう。
周囲の人間の避難は大方済んでいる。
毒竜が、その体内で生成する強烈な毒を噴霧してしまえば王都はおしまいだ。
ごくり、とケイは固唾を呑む。
「な、ナディーネさん。それから……」
「リエル、でございます」
「ああ、リエル。俺は、回復術士として毎日勉強してきた。どうにか、この職業のままでのし上がって、冒険者が過労で死なないようにしたいって……それで、その」
ケイは大きく深呼吸をする。
そう、自分は。
「俺は、毒龍の解毒法を知っている」
「っ!」
「毒龍多分、あいつ一匹だけならば問題ない。だから、あの上空の毒龍の飛行種を、俺の合図で撃破さえできれば、全部は丸く収まる……けど、その前に」
す、と。
ケイは腕を伸ばす。
そしてリエルの細い腕をとった。
それは、冒険者の男としてはあまりにも柔らかい動きで。
そっと、大切なものを扱うようにリエルに触れる。
「リエル。君はすぐに避難してくれ」
「っ!」
「ナディーネさん、できればリエルの避難誘導を」
「お言葉ですがケイ様。わたくしは【リリウム】の皆さんのお世話係でございます。魔術を用いた銭湯についても問題なく行え……」
「でも、震えてるじゃないか」
ケイの言葉に、ぴくん、とリエルの体が跳ねた。
「怖いんだろう?」
「でも……わたくしは、」
「もし、君がナディーネさんや、他のご主人たちが好きだとしても……それは、君が逃げちゃいけない理由にはならないんだ」
はっ、と。
ナディーネが息を呑む。
「私……リエルさんが来たいというので、それで」
ナディーネにとって。ターニャが言ってくれた、
『ナディーネが、暗殺者ではなくて回復術士でいたいのだから、ナディーネはうちの回復術士だ』
という言葉は、なによりも大事なものだった。
だから、リエルが逃げずに自分も一緒にいたいと。そう言ったときに、疑いもなくその言葉を受け入れてしまった。
けれど。……けれど。
「ご、ごめんなさい。リエルさん。わたし……気づかなくて」
「いいえ。わたくしが無理を言って付いて回ったんです、いまさらここを離れるわけには……」
きゅう、とリエルは唇を噛む。
特徴的な白い髪がふるふると震える。
「俺の……俺の親父も。きっと仕事が好きだったと思う」
静かに、ケイは言った。
「人の役に立つことが好きだったし、たぶん冒険者として働くのが好きだった……強かったし。でもさ、だから逃げられなかったんだ」
静かに、折り重なるように。
ケイの言葉はまっすぐに届く。
「ある日、突然、死んじまうまで……親父は逃げなかった。逃げられなかった。だからさ、逃げていいんだよ、リエル」
リエルに。
リリウムのもとに赴任してきたときのリエルに「好き」という感情はわからなかった。
永遠の命に魅入られた魔導師マクスウェルによって秘密裏に「製造」されてきた、生まれては使い潰されて死んでいくだけの存在だった。そんな【マクスウェルの花嫁】であったリエルには、「好き」などという感情を持つだなんて、夢のような話だった。
だけれど。
かっこよくて、美しくて、少し抜けている【リリウム】たちと過ごして。
たとえば、ターニャとラプラスがお互いを心から信頼していることが。
たとえば、ナディーネとキャサリンがお互いを尊敬していることが。
たとえば、そんな彼女たちが……誰よりも強くて、優しいことが。
そんな彼女たちに自分が(たぶん)得意な料理を振る舞うと、とても喜んでくれることが。自分を頼ってくれることが。
リエルにとっても誇らしかった。
そう、たぶん。
たぶん、リエルは【リリウム】のみんなのことが好きなのだと。
気づいていた。
だから、一緒にいなくてはいけないと。
ナディーネとキャサリンを置いて自分だけが逃げるなんて、できないと。
そう思っていた。
せっかく、せっかく生きていられるのに。
モンスターに立ち向かうのは、ひどく恐ろしいけれど。
死にたくないのだけれど。
「逃げていいんだよ」
ケイは繰り返す。
「君がなにかを好きってことと、君がいま逃げたいってことは矛盾なんてしないんだ」
「……リエルさん」
「ナディーネ様、あの、」
リエルは見上げる。
ナディーネの瞳は、訴えかけていた。
選ぶのは――、選ぶのはリエル自身だと。
「わたくしは……」
上空で、毒龍が唸る。
他のドラゴンのような咆哮とは異なる、地響きのように低い唸り。
周囲では残った手練れの冒険者がモンスターたちの制圧に動いている。
怒声。
絶叫。
破壊音。
「っ、わたくしはっ、戦いたくありません!」
リエルは絞り出すように言う。
「リエルさん!」
「ナディーネ様っ」
「さあ、逃げましょう。わたしたちが安心して帰ったときに、美味しいお食事を作って待っていてください。……リエルさんのお料理、大好きです」
「っ、はい!」
こくり、とリエルが頷く。
次の瞬間に、ナディーネの声が響いた。
「キャシーッ!!」
離れた場所でモンスターの制圧を行なっていたキャサリンが、その声に長杖を振るう。
「廻れ巡れよ水車、業火猛追っ! 業火球・狐改っ!!」
途端。
通常の術式ではありえないほどの大量の業火球が空中に出現する。 獣人族は白狐種であるキャサリンが、白狐につたわる秘術である狐火と魔導を合成させた彼女の固有術式。
それは、ランキング戦でナディーネと戦ったあの日よりも、オーデ城でマクスウェルとの戦いに挑んだあの日よりも。
さらに練度も威力も増している。
キャサリン・フォキシー。
努力の人、である。
「さあ、リエルさん。走って!」
「っ、はい!」
襲いかかる雑魚たちを、キャサリンの業火球が散らしていく。
リエルの退路は、確実に確保されていた。
「ありがとうございます、ケイさん!」
走りながら言われた例に、
「…………ふぅっ」
と、ケイは安堵のため息を漏らした。
これでいい。
あとは、あの毒龍に確実に対処さえできれば……。
ケイは、白魔術に分類される解毒光に、毒龍への特攻術式を組み込んで詠唱する。
「邪竜を退ける浄化の光よ……解毒光!! っ、だめだ。遠すぎる。悠々と上空を飛びやがって……!」
「敵も増えてきていますね、周囲の敵は任せてください!! どうにか策を考えましょう……それに、きっとこの騒ぎです。救援が……ターニャさんや、ラプラスさんも来てくれるはずっ!」
閃く暗器。
飛び散る血しぶき。
負傷者も出ている。
ケイは思う。
自分は回復術士だ。
大した職業じゃないと見さげられようと。男のくせにと言われようと。
それが、自分の選んだ道だ。
負傷者の救護に回るべきか。
でも。
でも。
今この場で、毒龍への対処の道筋が見えている者は自分しかいないだろう。
「毒への対処は……俺たちの領域だ」
楽しいお花見になるはずだった。美しい桜の花は、すでに台無しだ。
ナディーネがあんなに張り切って材料集めまでしていたお弁当はいったいどうなったのだろうかと。そんなことを考えながらギリ、と歯嚙みをするケイの耳に。
一陣の風が吹き抜ける音が届いた。
「……っ、なんだ!?」
視線をあげると。
周囲の雑魚が一掃されていた。
風属性魔術?
炎属性魔術?
一瞬で、かつ雑魚どもだけを正確に。
「――大丈夫、ナディーネ?」
たす、という軽い着地音。
身の丈ほどもある大剣を軽々と扱う、剣士。
豪奢で優美な紅の衣装が舞う。
灰桜色の髪が踊る。
「っ、ターニャさん!!」
ノーヒン王国アウェイグコート王家公認、SSランクパーティ。
リリウムのリーダー。
ターニャ・アルテミシオフがそこに立っていた。
荒野でふにゃりと笑っていたのとは全く異なる、「立ち向かう者」の鋭い眼光。
絶望的な状況に、迷いもなく切り込んできた勇気。
それを見て、ケイは思った。
理由もなく、確信した。
この人と一緒ならば。
俺は。
――俺も、戦える。
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もうすぐ書籍版の書影も発表となりますので、お楽しみに……っ!!!




