1.男回復術士は逃げろと叫びまして
男だから、って。
死ぬまで働かなくてはいけないの?
花見会場に、悲鳴が響き渡る。
皇都の広場をはじめ、各所に突如として現われたのは、ゴブリンやワーウルフといった下級から中級のモンスターたちだった。
王都オーデは広大な平野に築かれた都である。
北を大河が、南を山脈が、西には大荒野、そして東は海が守っている。
「いったい、どうして……?」
侵略に強い皇国の中心地。
その盤石の護りを知る者は、呆然と呟く。
しかし、そこには皇都に暴れ回るモンスターたち、という現実があるだけだった。
「ここは食い止めるしっ! 常連さんたちっ、おばあちゃんをお願いっ!!」
狐耳の女魔導師キャサリンは、狐火のようにアレンジした無数の業火球を自在に操ってモンスターを倒していく。
出力と威力が低いのが難点の狐業火球ではあるが、相手も下級モンスターがほとんど。
仕留めるのには、十分。
しかし。
数が多い。
とにかく、数が、多い。
「避難経路はおさえています!! リエルさん。この紙に書いてあるとおりに、みなさんの誘導をお願いします!」
「かしこまりました、ナディーネ様」
逃げ惑う人々。
応戦する、たまたま居合わせた冒険者。
異形のモンスター。
そのさなかに、ケイは立ち尽くしていた。
「あの飛竜……ただのワイバーンじゃない」
ケイは、空を旋回する影を見つけて呆然と呟く。
「やばい……みんな、動いちゃだめだ! 俺の、俺の近くに集まってくれ……! あ、あいつは……っ!」
「っ、お前、魔術師か!? 助けてくれ!!」
冒険者ギルドの正会員証をつけているケイに、助けを求めようとした人々は、しかし次の瞬間に舌打ちをする。
その手に持った杖が、回復術士用であることを見て取ったのだ。
「俺の近くに……っ!」
「回復術士なんかに助けを求めるほど落ちぶれてねぇよ!!」
「……なんだよ」
回復術師が役に立つのは、誰かが負傷したときと、強化を欲したとき。
直接の戦闘には、向かない職業。
直接の戦闘では、役に立たない職業。
誰かの声が、聞こえる。
「なんだ、回復術師かよ…………男のくせに」
男のくせに。
男のくせに、まるで女がやるような職に尽きやがって。
男のくせに、バリバリ前線で働くのを嫌がりやがって。弱虫め。
「くそ、……なんだよ。いったい、なんなんだよ!」
ケイの噛み締めた唇から、たらりと一滴、血が垂れた。
「頼む……みんな、俺の言うことを聞いてくれよ……」
ケイは、呟く。
「このままじゃ、マジでヤバイんだよっ!!!」
***
ケイの父親は死んだ。
ケイが十才のときだった。
死因は、過労。
ケイの父親は、冒険者だった。男子の将来の夢でおなじみの剣士で、高ランクパーティに所属していて、働き者で、お人好しで、誰にでも好かれる男だった。
ケイにとって、自慢の父親だった……たとえ、父親として子供と過ごしてくれる時間がほとんどなかったとしても。
父親のことが、好きだった。
家族のために、頑張ってくれる父親だった。
働き者の、父親だった。
あの日、父親が倒れたときに、同僚たちは誰もが口を揃えて言った。
『ありゃあ、働きすぎだよ』
と。
なんでだよ。
どうして、誰もとめてくれなかったんだよ。
なんで、父さんが死ぬまで働くのを、止めてくれなかったんだよ。
少年だったケイの言葉は、誰にも届かなかった。
『お父さんも、男だからさ。24時間、働かなくちゃいけなかったんだよ』
何人もの弔問客が言った、その言葉はケイ少年の心を粉砕するのには十分だった。
――そして。
かつて、どこかで冒険者に絶望した少年は決意した。
冒険者になってやる。
でも、それは男がやるような……父を殺した職業ではなくて。
『回復術士に。俺は、回復術士なりたいんです!』
冒険者学校の受付で叫んだ言葉に、誰もが怪訝な顔をした。
能力値も悪くない、健康な男が、わざわざ何故、回復術士に?
その疑問に、ケイは答える言葉を持っていなかった。
ただ、誰かを癒す人間になりたかった。
誰も、死なない冒険者パーティを作りたかった。
『……俺は、回復術士の仕事が好きだから』
魔導師にだって挑戦はできた。剣士だって、目指そうと思えば目指せたかもしれない。でも、そもそもやりたくもなかった。
さいわい、回復術士としての適性は高く、レベルはめきめきと上がっていった。
……それでも、回復術士は所詮、回復術士だ。
女がやるような、誰にでもできる、取るに足りない職業だ。
ケイの声を、誰も聞かなかった。
長時間労働をやめようともせず。
出撃前の安全策など講じず。
根性論と無茶を繰り返し、そして死んでいく冒険者たち。
『俺は……』
次第に。
『俺は、回復術士の仕事が』
胸を張って。
『好き、だから』
と。
そう、言えなくなっていった。
周囲の、力を過信する者たちへの怒りと苛立ちばかりが膨れ上がっていったのだ。
どうして、誰も。
***
「どうして誰も、俺の言葉を聞いてくれないんだよ!!!!!!!」
悲鳴と怒号。
そこに、ケイの慟哭が響き渡る。
誰も、足を止めてくれない。
空を旋回する飛竜……あれは、猛毒を含んだ呼気を放出する毒竜の一種だ。
危機管理のために読み漁った文献でしか見たことがないが、間違いない。
呼気の浄化をし続けなくては、毒を吸い込んだ人間は石化してしまう。
最悪の場合、そのまま砕け散って死ぬ。
周囲を見渡したところ、強力な解毒を使えるレベルの回復術士は見当たらない。
さしずめ、「女は下がってろ」とでも言われて真っ先に退避させられたのだろう。
このままでは、広場だけではなく……王都一帯が毒竜の毒にやられてしまう。
ケイは、無力感と絶望に頭を掻き毟る。
いまなら、俺がその被害を最低限に食い止められるかもしれないのに。
どうして、俺の声を聞いてくれないんだ。
どうして、みんな死にたがるんだ。
傷ついた人を癒せる自分を……誇っていたいのに。
誰にも、死んでほしくないのに。
「あなたの声、聞こえていますよ」
「……え?」
聞こえてきた声に。
ケイは振り返る。
「…………ナディーネさん?」
「どうも、ケイさん」
人を危険に晒しておいて、回復術士を名乗るなと。
回復術士としてのレベルが、たった3程度で回復術士を名乗るなと。
そう、西の大荒野で、イキって酷いことを言ってしまった相手。
SSランクパーティに所属する、強者。
【リリウム】のナディーネと、避難誘導を終えたメイド姿の少女……リエルが、そこに立っていた。
「あ……」
「ケイさん」
言葉を失っているケイに、ナディーネは右手をかざす。
「癒しの光よ……治癒光」
レベル3の回復術士の術技。
本来、ちょっとした切り傷も癒せないはずの光。
「……あ?」
「ケイ様の頬が切れていました。ナディーネ様、治癒成功ですよ」
「すこし、回復量が上がっているような……修行の成果かもですね!?」
「はい、その可能性は高いかと」
「…………キャシーに見て欲しかったな」
てれっ、と微笑むナディーネ。
ケイは、自分の負傷に気づかないほどに憔悴していたのだ。
呆然としているケイに、ナディーネは笑いかける。
「あなたの言葉、聞こえていましたよ。ケイさん」
だから、
「だから、私になにか手伝えることはありますか?」
そう微笑むナディーネの手を、ケイはうまく掴むことができなかった。
お読みいただきありがとうございます。日常編のラスト、お話が動いてまいります。
どうぞよろしくお願いします!
(書籍化作業もぐんぐん進行中です……っ!!!)




