4.お花見前夜になりまして
男回復術師ケイの置かれている状況とは――。
(深夜にふたりで語らう百合はいいものです……)
次回、小狐亭主催のお花見会場で色々な人が出会います。
ターニャが男回復術師ケイのさらされている理不尽を打ち砕く!
西の大荒野でのコカトリス退治から、数日後。
***
「うわぁああぁんっ!」
擦りむいた膝をかかえて泣き声をあげる子供に、近く人影があった。
「アリサねーーぢゃああん、いだいよぉおっ!!」
「うわっ、大丈夫っ! 待っててね、いま何か血を拭くもの〜」
アリサと呼ばれた少女は名門・王立魔導学院の制服を着ているが、どうやらその子供の姉のようだ。しかし、その背中には爆睡する幼子。思うように動けない。
慌てる姉に、さらに火がついたように泣き喚く子供。
アリサと呼ばれた姉は逆にこっちが泣きたいよ、という言葉を必死で飲み込んでいた。
そのとき。
「光よ来れ、ここに癒しの祝福を」
男の声が響いた。
これは……治癒光の詠唱だ。
気づいたときには、子供の膝の擦り傷はすっかりと治癒していて。
驚いたように、泣き止んでいた。
「あ、あの。ありがとうございますっ!」
アリサが、深々と頭を下げる。
男は――回復術師の男、ケイは応える。
「いいんだ、これくらい。好きでやったことだから」
男は、どうしてだか泣きそうな顔をしていた。
首をかしげるアリサの耳に、遠い囁きが聞こえる。
「なんだよ、あいつ男のくせに回復術師か?」
「もうちょっとであのネェチャンのパンツ見えたのによぉ」
「っていうか、あの娘……王立魔導学院の制服じゃねぇか」
「おいおい、なんだよ。あの男……もしかして、逆タマ狙いのナンパじゃねぇか!?」
ギャハハ、と響く品のない笑い声。
たしかに珍しいけれど、男が回復術師をしているだけで、あんなふうに言うなんて。
女で魔術師を目指しているアリサにも、身に覚えがある。「女のくせに生意気な」とか。でもそれは、魔術師という上級職につく女性へのやっかみのようなもの。
アリサも尊敬する女性だけでSSランクパーティに上り詰めた【リリウム】に向けられるものと同様だ。彼女たちの、特に剣士と魔術師のふたつの上級職を掛け合わせた魔法剣士として女性たちのアイコンになっているターニャ・アルテミシオフのおかげで、ちかごろは随分と偏見も減ってきているように思う。
でも、今のは。
男の回復術師に向けられる眼差しは、まるで落伍者へ向けたものじゃないか。アリサがギョッとしていると、男は静かに首を横にふる。
「言わせておけばいい。他人の想いも、努力も苦労もわからん連中だろ」
と、力なく言った。
「でも……」
という少女の声に、男は答える。
「俺もつい最近、ある人に酷いこと言ってしまってな。いやもう超絶自己嫌悪だよ、まじで」
ケイは肩を震わせる。
自分の言ったことが間違っているとは思わないけれど……初対面の人に向かって、すっげーイキッたこと言っちゃったよっ、うわああああああ、死にたい!!!
新たに誕生してしまった黒歴史に、ケイは唇を噛み締める。
***
「君は、回復術師失格だ」
遡ること数日前。
西の大荒野で、ケイは言った。言い放った。
「傷ついた人を癒すだけが回復術師ではない。人が傷つかないように気を回して、立ち回る。それが本当の回復術師ですよ。それなのに、あんたみたいに力があるやつは誰も俺の話を聞こうとしない。臨時で組んだパーティの連中だってそうだ。コカトリスにやられて全滅しても、もう自業自得としか思えないんですよねぇ?」
まくしたてるように。
「あなた、ナディーネさんだっけ? あなたも、ダブルジョブの力に溺れて、ナメて楽観的に動いているだけじゃないか? しかも、回復術師のレベルはいまだ3? そんなレベルで回復術師を名乗るなんて……力のある人の傲慢だ。胸糞悪いんだよ」
暴言に、つとめて冷静にナディーネは答えた。
「そうかもしれません、でも、でもっ!!! ターニャさんが……ここにいるターニャさんが、こんな私でもいいって。私が好きな自分で……人を癒す自分で居て良いって言ってくれたんです」
人を殺す自分ではなくて。
人を癒す自分でありたいと。
そう願った自分を、あの日ターニャが肯定してくれたから。
「だから、出会ったばかりのあなたにそんなことは言われたくありません」
噛みしめるように。
吐き捨てるように。
自分でも、わかっているのだ。
体術や暗器の鍛練は、毎朝怠っていない。
それでも、では、回復術の訓練は?
正直に言えば、ほとんど……。
「フザけるなよ」
ケイの顔が歪む。そこにあるのは、軽蔑に似たものだった。
でも。
その顔は、どこか泣きそうで。
「えっと」
そのときターニャの声が響く。
「ケイさん、でしたっけ? たしかに軽率だったかもしれませんが……うちの回復術師を悪く言うのはやめてください」
「悪くは言っていない、俺はただ正論を……っ」
「はい。SSランクパーティとしての業務にメイドとして配属されてるリエルちゃんを連れてきたりとか、公私混同? みたいなところはあったと思うんです。でも、そんな、ナディーネの人格まで否定するような言い方は、見過ごせないです」
睨みつけてくるケイの視線をまっすぐに受け止めて、ターニャは言葉を選びながら続ける。
「それに、その……よくわからないんだけれど、八つ当たりに聞こえます。回復術師をやってて……ケイさんも、たぶん、えっと、辛いことが多いんじゃないんですか」
ターニャは思い出す。
「女だから、」なんていう理由で男ばかりのパーティから追い出されたこと。魔導師を志すのもほとんどが男性ばかりで、女のやる職業じゃないなんて言われたりして。
男の回復術師は、女魔術師よりもさらに希少だ。ケイにもそんな痛みのひとつもあるのかもしれない。もしかしたら。
予想外の言葉に、ケイは固まった。
そして、ゆっくりと言葉を吐く。
「……男のくせに、って」
ぼそり、ぼそりと。
「……女のやる職につくのは楽勝だろう、だとか。挙げ句の果てには情けない、とか」
ケイは、吐き捨てるように言う。
その言葉だけで、彼が置かれている状況がなんとなくわかるような気がした。男とか女とか、本当に、くだらない。
「『お前も大変だろう』なんて言ってくる人は初めてですよ。ターニャさんでしたっけ?」
「あ、はい」
「男なのに、回復術師なんてやりやがってとか。男のくせに、剣士職でも魔導師志望でもないなんてとか……馬鹿にするやつはいれど、『俺の努力』を気にしてくれる人なんていなかった。あんた、おかしな人ですね」
と、ケイは少しだけ笑った。
ターニャは答える。
「よく言われます。それに、私も同じような目にあったことがありますから。だからこそ言いますけど……あなたの悔しさとか、復讐はあなたのものです。それを、他人に……ナディーネに押しつけるのは、ちょっと違うのでは?」
「っ、ターニャさん……ありがとうございます」
会話が途切れる。
険しい顔のケイが、ふっと笑った。
「それこそ正論かよ。かなわないな……」
「ケイさん。あなたが理不尽な目にあっているなら、私はケイさんを助けたいけど……」
そのとき。
「あの、お肉が捌けました」
そこに割り込むようにリエルが言う。
片手には大きなナイフ。片手には肉片。
クールメイド。
うわ、めちゃくちゃ倒錯的じゃんとターニャは思った。
「これだけあれば、ナディーネ様がいくら唐揚げを作っても余ります。討伐完了の連絡は、私の方から城にしておきますので」
ありがたい。
気まずい空気が霧散する。
素材狩りは、これで解散だ。
「あ、ちょっと待ってください」
荷物をまとめていると、立ち去りかけたケイが声をかけてきた。
なんだよ、はやく帰ろうぜ。
「なんですか?」
「その肉、そのままじゃ旨くないよ」
そう言って、ケイは手にしていた杖を構える。
「恩寵のもと、我らに毒なすものを浄化せよ……解毒!」
ケイの詠唱とともに、コカトリスの肉が淡く発光した。
「食材にするんだろ? 解毒も下ごしらえのうちだ」
早口に言うケイに、リエルが首を傾げた。
「私どもは、あなたと友好な関係を築いているとは言い難いのですが何故そのようなことを?」
ケイは答えた。
「……回復術が好きだから」
「好き、ですか」
「あぁ。好きだからこそ、なんだろうな。あるべき姿みたいなものに、意固地になってたかもな。ナディーネさん」
「なんでしょう」
「…………申し訳なかった、変なこといって」
「あ、いえ……」
じゃあな、と立ち去るケイ。
その背中を眺めながら、「あの人とはまた会うような気がするな」と誰もがなんとなく思っていた。
***
いや、俺ってば超イキってたよ、さっき。
SSランクパーティ相手に。
膝を擦りむいた少年とその姉と別れて、帰り道。
滲み出る恥ずかしさに、ケイは唇を噛みしめる。
自分の考え――回復術師としてのあり方とか、そういう『哲学』は譲れない。
だけども。けれども。
たしかに、あれは完全に八つ当たりだった。
ずっと、力が欲しかった。
小さい頃から、正義感ばかりが強くて周囲に突っかかって、お袋には迷惑をかけていた。
それでも、自分に与えられた才能はどう考えても回復術師としてのものだった。
もちろん、回復術師は人を助ける立派な職だ。ケイも、その仕事にも技術にも誇りを持っているし、日々鍛錬と勉強を怠ったことはない。
それでも、男の自分がその職業を選ぶのは――ときに『負け組』として扱われるようなことだった。
「糞食らえ、って言えれば楽なのになぁ」
悔しいことに。
ケイは、世間に中指を立てて自分の道を往けるほどには『強く』なかった。
それが、ことさらに、悔しくて。
「彼女が認めてくれたから」なんていう理由で自分を貫ける、今日出会った藤紫の髪の彼女に、
***
――一方その頃、王都評判の名店小狐亭では。
「明日のお花見は晴れそうでよかったじゃん?」
閉店後の小狐亭。
キャサリンがお茶を啜りながら言う。向かいに座るのは、藤色の髪のメガネ娘。
主に店の手伝いでキャサリンが忙しく過ごしていたため、久々にゆっくりと2人で過ごす夜だ。
「え? あ、はい……」
「んんー。ねえ、ナディ?」
「はいっ?」
店の片隅の小さなテーブル。
向かい合わせに座るふたり。
キャサリンはナディーネを覗き込む。
そう。
生返事を続ける彼女の読んでいる本を。
せっかく久々にゆっくり会えたんだから、こっちを向いてほしいのだ。
ねえねえ、ねえってば。
「何読んでるの?」
「あっ、キャシー!」
ひょい、と取り上げた書名は。
『回復術師入門』。
「お? どうしたん、これ?」
「ちょ、あ、キャシーッ! 恥ずかしいから見ないでよ〜っ」
「なんで恥ずかしいんだしっ、なになに勉強しなおしてんの!?」
「ほんとうは、冒険者学校時代に習得する内容なんだろうけれど……」
キャサリンとナディーネは、冒険者学校時代の同級生。
かたや花形の魔導師コース、かたや女がやる『誰にでもできる職』の回復術師コース。
かたや華やかな人の中心にいるタイプ、かたや友人も作らずにただただ日々を過ごしたタイプ。
職業訓練校という位置付けなので、思春期の子供たちが通う学園のように人間関係のあれこれがあったわけではないけれど、それでもキャサリンはナディーネにとって『違う世界』の人間だった。
闇夜の世界に暗殺者として生きてきたナディーネには、眩しすぎたのだ。
それが、いまはこうして愛称で呼び合う仲になっている。
ただの友達よりも、もっと、大切な親愛なる友人だ。
人生とは、わからない。
「んっと、実は……」
大荒野で出会った回復術師のこと。
彼に言われた暴言のこと。
そして、「そんなことを言われる筋合いはない」とは思いつつも……、
「でもたしかに、ターニャさんの言葉に甘えていたかも……なんて思ったんですよね」
そう。
気づけば、暗殺術ばかりを鍛錬していた気がする。
「それで、もしかしたら今から回復術も訓練していけば……どちらも両立できれば、もっと私は大好きな皆さんの役に立てるんじゃないかって」
だって。
ナディーネが願うのは、大好きな人たちの幸せで。
だから、少しだけ努力の種類を変えてもいいかなと思ったのだ。
願っているのは。
自分を救ってくれたターニャの横に、胸を張って並び立てる自分であることなのだから。
「……ナディ!」
「な、なに?」
「実は私も、魔導理論のおさらいしてるとこなんですケド!!!!」
「へっ???」
待ってて、とキャサリンはバックヤードに駆けていく。
狐耳をぴょこぴょこさせつつ戻ってきたキャサリンの手には、分厚い魔導書が握られていた。
「ジャーン!」
「わっ、すごい書き込み……」
「ふっふっふー、改造魔術も業火球・狐だけじゃ寂しいしー?」
「新技っ!?」
「そーゆーこと! いつまでもターニャやラプラスに負けてらんないっしょ!」
え、やだ、すごい好き。
ナディーネは思う。
キャサリンも魔術の腕はすでに人並み以上だ。獣人族の秘術と魔導を混ぜたオリジナルの業火球は、威力は落ちるものの弾幕のように相手に降り注ぐ。ランキング戦では相手がナディーネでなければ相当に苦戦を強いられただろうし、オーデ城での攻防では多数を相手取った立ち回りの要になった。
それでも、キャサリンはさらに上を目指している。
ターニャだって、いつでも人のことを想う心を持っている。
ラプラスが最近あまり屋敷にいないのは、マクスウェルが私物化していた宮廷魔術師たちの再教育に奔走しているからだ。
ナディーネは【リリウム】が好きだ。
じゃあ、どうして。
ターニャも。
ラプラスも。
キャサリンも。
他人の努力を笑わない。
レベル3止まりになる才能だったとしても、回復術師になる努力をしていたナディーネを笑わなかったじゃないか。
だから、自分は彼女たちが好きなのだ。
「私も、キャシーに負けてられないから」
「ん?」
「明日のお弁当、楽しみにしててね」
ほら、と掲げた手には絆創膏。
練習中の負傷だった。けっこうな数である。
「たくさん練習して、多分、おいしくできるようになったと思います。いまもお肉をタレに漬け込んでるところです」
「おぉっ!? ちょ、大丈夫!? そんなに無理して……」
「それがリエルさんがけっこうな熱血指導で。それに……」
ナディーネが、すっと、目を閉じる。
その唇が紡ぐのは。
「光よ来れ、ここに癒しの祝福を。治癒光!」
詠唱とともに。
ナディーネの手の傷が綺麗に塞がっていく。
いままで、擦り傷も満足に癒せなかったナディーネが。
「すごい!」
「毎朝の鍛錬の時間を、すこし回復術に割いてみたんです。面白いですよ、いままで暗殺術につかっていた毒草や薬草の知識が」
「っ、ナディ!」
「ひゃっ!?」
キャサリンに抱きつかれて、ナディーネの心臓が跳ねた。
「ナディの、そういうひたむきで、たまにめっちゃ強かなところ……結構好き、だし」
「キャシー……」
明日は、お花見だ。
早起きして、鍛錬のかわりに美味しい唐揚げを作ろう。
クールな名メイドのリエルに教わって、頑張って練習したから。下拵えもしてあるから。きっと、美味しくできていると思う。
あなたの喜ぶ顔を、見たいから。
ナディーネは、キャサリンの髪の匂いを吸い込みながら思う。
小狐亭のドアの隙間から、……リエルさんがめっちゃこちらを見ていますよ、と。
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