闇夜に『皇女』はもの思う。
「いつか、どこかで冒険者を夢見る女の子たちのために」
生まれ変わったら、自由に生きる冒険者になりたい。
アリエノーラ・アウェイグコートは、そう、願っていた。
***
出産装置。
アリエノーラが――否、【彼女】が生まれたのはその装置の内部構造だった。
日の光も当たらない地下空間。
密室。
ずらりとならぶ無数の水槽のひとつ。
その中で、彼女は気づけばうすらぼんやりとした自我をもっていた。
白竜神の血筋。
黒竜神の血筋。
あるいは、他の、付加価値。
マクスウェルにとって、都合のいい命。
いくつもの種類の【私たち】が同じように生産されていた。
マクスウェルの実験体として使い潰されるのか。
それとも、使われることすらなく水槽の中で朽ちるのか。
いずれにしても、潰えて果てて。ばらばらに朽ちた体は、また回路に集積されて次の【私たち】のための栄養となる。
水槽に漂うのは、いずれも名もなき【私】であり【誰か】であり――【私たち】だった。
生まれるためだけに生まれて。
使われるために生かされて。
産み落とすためだけに死んでいく。
いつか、完全に従順な、理想の【ラプラス】にたどり着くための、捨て石。
本来の【個体】に与えられた行く末は、たったそれだけの存在だった。
「お前に名を与えよう。今日からは、……アリエノーラ・アウェイグコート。そう名乗りなさい」
突然に。
そう宣告されたのはアリエノーラにとっては幸運だったのか、そうではなかったのか。
突然の病で、第一皇女は亡くなった。
国民へとそれが知らされる前に。
マクスウェルは、皇女を溺愛していた国王の耳に甘言を流し込んだ。
「愛しき皇女を、この世に引き留めてご覧に入れましょう」
マクスウェルが狂おしく研究していた『不老不死』の技術を流用すれば、それは造作もないことだった。
命をもてあそぶ、という禁忌に歴代の帝王が目をつぶり続けていたことに、現王は喜んだ。
それが。
愛娘を、生かし続けることにつながったのだから。
名前のある命の前に、水槽を漂う名もなき命など、無いに等しかったのだ。
白龍の血を引く【個体】の顔は、亡き皇女にそっくりと似せられた。
与えられた役割という檻の中。
少女は考えた。
私は誰?
私は何?
【私たち】は、誰?
偶然に、【私たち】から抜け出してしまった私は、一体、何者なの?
***
「……だから。私は、皇女などではないのです。皇女に顔ばかりを似せた、偽物です」
アリエノーラは語る。
ラプラスは、ターニャは、それを黙って聞いていた。
「【私たち】は、ヒトではないのです。マクスウェルのための、ただのモノ。私は……水槽に発生した【私たち】のなかで、少しだけマクスウェルにとって少しばかり都合が良かった。だからこうして、ここに居るのです」
そう、静かに言葉を閉じたアリエノーラに、ターニャは恐る恐る声をかける。
「アリエノーラ……様」
「ターニャ様。そういうわけで、私は皇女でもなんでもない、ただの【私たち】のうちのひとりなので、だから」
だから。
『様』、だなんて呼ばれることもないし。
ただこのまま、皇女の役割を全うすれば。
ラプラスを逃がして、永遠に【私たち】が【兵器】として完成しないようにすれば。
そうすれば、ずっと、平和だから。
そう。
言葉にしようとした、そのときに。
「ねえ、でも。じゃあ、……どうしてあなたは皇女様をやっているの?」
「はへっ?」
ターニャの言葉に、アリエノーラは言葉を詰まらせた。
どうして、皇女様を、やっているの?
「それは……」
ガタン!
と。
音が響く。
「……ヴィス?」
拘束されていた侍女、ヴィスだった。
「あっ」と。
アリエノーラは小さく声をあげる。
「おっと、彼女が何か喋りたそうだけど~?」
「……ラプラス様。よかったら、その」
「解放する?」
「はい」
「んー、彼女が大声上げないならいいけど……って、どうやらワケアリかな?」
パチン。
と、ラプラスの指が鳴る。
「っ、あの。アリエノーラ様は、与えられた役割を演じておいででした。」
開口一番。
ヴィスは叫ぶように言った。
「押しつけられた役割を――国民のために、必死に演じていただけです。恐れながら、私は誰よりも近くでアリエノーラ様を見ておりましたのでっ」
「ヴィス……」
いつでも口うるさかったこの侍女は。
誰よりも、アリエノーラを見ていた。
彼女が、【偽物】であるとわかっていて。
毎夜毎夜、痛くて苦しい実験に連れられていくのに抵抗もせず。
与えられた皇女役を懸命にこなしていたのを。
見ていたのだ。
「優しい、ヒトなのです」
優しい、優しい、名も無いヒト。
それが、アリエノーラの正体なのだと。
ヴィスは言う。
「ですから、ラプラス様。どうか、逃げてください。そしてこのオーデ城に、二度と現われないでください……アリエノーラ様の守ろうとしている日常から、出て行ってください」
「っ、そんな言い方……」
反論をしようとしたターニャを。
ラプラスは片手で制する。
「へいへい。見くびらないでおくれよ」
歌うように、大魔女は言う。
「んっんー。役割を演じてるから? 一生懸命やっているから? だから、現状維持でほっといてくれって? のんのん、そんなこと……できるわけないよ~」
ふわり、と。
ラプラスは天上付近まで浮遊する。
長い黒髪が、水中にいるかのように漂って。
その瞳は、爛々と輝いている。
「いいかい? さっきも言ったとおり、あたしはマクスウェルをぶっ飛ばすしぶっ殺す。オッケー?」
「で、でも……」
「のんのん、デモもパレードもないよ~。役割を演じて、良い子でいて、上手に振る舞う……かい? そんなものはねー、三〇〇年前にやってるんだよ、このあたしがねー」
「っ、それは」
「だ、か、ら。その結果が、いまのニッチもサッチもいかないヒサンな状況なわけだよ。そろそろ、殴ってもいいだろう?」
だって。
「だって、あたしは負けるつもりなんてこれっぽっちもないんだからさ」
「ラプラスさん……」
ターニャは、ほぅっと溜息をついた。
ラプラスの美しい横顔を眺める。
腹が立つくらいに美しい、その顔を、眺めて。
そして。
アリエノーラの顔を盗み見る。
ラプラスを睨み付けるように見上げる顔。
ああ、ふたりはそっくりだ。
ターニャは。
大きく息を吸い込む。
「~っ、危険を冒すと書いてっ、冒険者ぁ!」
「ひゃっ!!?」
「うわっ」
「おおう!? どうしたどうしたターニャさん!?」
突然の大声に、全員がちょっと飛び上がる。
「さっ、行きましょう。アリエノーラさ……アリエノーラちゃん!」
「え、行く……って?」
「私たちと一緒に、マクスウェルをぶん殴りに」
そう、差し伸べられたターニャの手に。
きょとん、と。
アリエノーラとヴィスは、灰桜色の魔法剣士を見上げて、
「ええっ!!!?」
「何を言っているんですか、あなたは!?」
困惑の声をあげた。
この手は何だ?
差し伸べられた手。こんなもの、自分たちは知らない。
「アリエノーラちゃん。解決するか、逃げるか。その二択だったら、いま私とラプラスさんは『逃げる』なんていう選択肢はとれないよ。だって」
だって。
今、目の前に居るのは。
「私ったらさ、かっこつけて言っちゃったじゃないですか。『いつか、どこかで冒険者を夢見る女の子のために』って」
「え……?」
「いま、私の目の前に居るアリエノーラちゃんは、その女の子……でしょ?」
突然かかけられた言葉に、アリエノーラは菫色の瞳を大きく見開く。
ただただ、虐げられて、役割を演じることをよしとしていた自分が。
目の前の、灰桜色の女には、冒険者を夢見る少女に見えるのだろうか。
「……あぁ。オッケーオッケー、なるほどねー」
あはは、とラプラスは笑う。
「危険を冒す者、と書いて『冒険者』……か。だったら、アリエノーラちゃんは確かに冒険者だよー」
「あの……?」
「だって、あたしたちを寝室にかくまって。重大なひみつをぺらぺら喋って。それで、迷いながらもあたしたちを逃がそうとか考えて――」
うんうん、と満足げにラプラスは頷いて。
「――十分すぎるくらい、危険を冒してるんじゃない~?」
夢見るどころか。
もう、冒険者だよー。
太平楽なその声に。
アリエノーラは、気付いたときにはターニャの手を取っていた。
「あの、私……」
「マクスウェルのところに、案内してくれる?」
ターニャの言葉に、アリエノーラは力強く頷く。
「ちょ、なりません!」
「ヴィス」
「アリエノーラ様が行かれるのであれば、侍女たる私も同伴いたします」
ヴィスが叫ぶように言う。
その言葉に、アリエノーラは驚いた。
「だ、ダメですよ!? だって、ヴィスは……」
「いいえ、いいえ。私には……その責任がありますので」
強い瞳。
意思のこもった眼差し。
ふぅん、とラプラスは鼻を鳴らした。
「オッケーオッケー。この様子じゃ言っても聞かないでしょ~」
ぱちり、とラプラスの指が鳴る。
「道中は多い方がいいだろ~。拳の準備はいいかい?」
「もっちろん!」
「は、はいっ!」
それじゃ、行こうかと。
笑うラプラスの表情は、まるで少女のようだった。
アリエノーラは、その顔を魅入られたように見つめる。
三〇〇年前のことをずっと後悔していたであろう、私たちのオリジナル。
彼女が、三〇〇年前をやりなおそうとしているならば。
自分だって、いますぐに、生まれ変われるのかも知れないと。
なんとなく、そんなことを思ったのだった。
お読みいただきありがとうございます。
ちょっと設定がごちゃついてきましたので、次章の頭の「あらすじ」で整理しますね。
いよいよ、マクスウェルをぶっ殺しに行きます。
王国の中枢に食い込んでいたマクスウェルを倒して、いったいターニャたちはどうなるの!?
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