3.皇女様に会いまして。
台所でのつまみ食いってワクワクしますよねってハーナシ。
「うっわ、何コレ。うまいいいぃっ!」
「しー、ターニャ。静かに静かに~。見つかっちゃうよ~」
オーデ城の地下牢をいとも簡単に脱獄し。
こしょこしょと囁きあっているのは。
「ごめんなさい。でもこれ、ほんとに美味しい」
「この焼き豚、めちゃうまだろ~? 三〇〇年前から変わらないお味」
「うんうん、でも麦酒飲みたくなっちゃうね」
――厨房だった。
火の落ちた深夜の厨房にはもちろん誰もおらず。
そう。
絢爛豪華な王城の食事。残り物……というにはあまりに豪華な残り物、食べ放題である。
「ターニャ、口の端なんかついてる~」
「んむ、ラプラスさんこそ。取ってあげますよ」
「んっ」
顔を突き出すラプラスの口の端をぬぐってやる。
「……よし、取れました」
「ありがとー」
「んっ」
「? なんだい、ターニャ。その顔……まさかキス待ち?」
「え、私のは拭いてくれないんです!? 逆にビックリですわ、逆ってなにが逆かは分からないですけどっ」
あれも旨そう。
こっちも食べたい。
背中を丸めてあちこちつまみ食いしているふたりの背後に。
――静かに近づく影があった。
「……えっ、ヴィーナス・ビューティホー様?」
「ッ、むぐっ?」
突然呼ばれた冗談みたいな偽名に。
咄嗟に振り返る。
「……それに、ターニャ様ですよね」
「んひゃっ!?」
「夢……じゃありませんよね? わ、わ、サインとか貰えますでしょうか!?」
そこに立っていたのは。
銀色の髪。
菫色の瞳。
床に引きずるほどに長い純白のネグリジェを纏った少女だった。
「っ、しぃ! お嬢ちゃん、大きい声をださないで!」
しまった、油断した。
まさかこんな夜中に厨房にくる者がいるなんて。
こんな少女に手荒なまねはしたくない。
どうにかここは穏便に事を済ませたかった。
「っ? は、はい……」
少女は両手で口を塞いで、目をまるく見開きコクコクと頷く。
幸い、今の物音で誰も起きてはいないようだった。
ほっと胸をなで下ろす。
ふっ、と。
ラプラスの視線が、少女のネグリジェの刺繍をとらえる。
絹でできた仕立てのいいネグリジェ。
そして、刺繍であしらわれた紋章。
「……まじか」
「え?」
「お嬢ちゃん。君……帝王家のご息女、つまり皇女様だろう」
「っえ!?」
ターニャが顔を青くする。
オーデ王国の帝王一族アウェイグコート家。
この国で一番権威ある一族のひとり?
この少女が?
たしかに、身なりからしてただ者ではなさそうだけれど。
「……はい。いかにも、わたくしはアウェイグコート家第一皇女、アリエノーラです」
「なるほどね~。その刺繍。帝王一族の家紋だろ。そんなものを寝間着にまでくっつけるのは、直系の者くらいだしね~」
とんでもない人間に遭遇してしまったものである。
いつもと変わらず飄々としているラプラスの横で、ターニャは頭を抱えた。
「……あれ。でも皇女様」
「はい?」
ターニャの脳裏に。
当然の疑問が、頭をもたげる。
「どうして私たちのことを知っているんですか?」
***
「ランキング戦でのお話、聞かせてくださいな!」
ああ、本当に【リリウム】の方に会えるなんて、夢みたい!
そういってはしゃぐアリエノーラに案内されたのは、オーデ城の西塔の先端。
彼女の寝室だった。
即刻通報されないだけありがたいけれど。
さっさとマクスウェルを見つけたいラプラスは、軽い焦りを感じる。
「ここは……」
警備の近衛兵の目をかいくぐり。
部屋に一歩踏み行った瞬間に、ラプラスは絶句した。
遠い記憶。
ここは――遠い昔、ラプラスが長い長い少女時代を幽閉されて過ごした部屋だった。
ああ、いったい何の因果なのだろう。
「どうぞ。狭いですが、ご自由に座られてくださいねっ」
「あ、ど……どうも」
アリエノーラが歌うように言う。
狭いといっても、いつだかターニャたちが宿泊した高級ホテルの一室くらいはあるのだけれど。
やっぱりすごいな、帝王一家。
ターニャはすっかり感心してしまう。
ぽふん、と腰掛けたソファはマシュマロみたいに柔らかかった。
「あの、私が厨房につまみ食いに行ってたこと……内緒にしてくださいね?」
「王城に忍び込んで、第一皇女様の部屋まで押しかけてることを内緒にしてくれるならお安い御用さ」
同じくソファに腰掛けたラプラスの言葉に、えへへ、と笑ったアリエノーラの表情は、どこにでもいるような少女のそれで。
なんとなく、故郷の妹たちを思い出してしまうな……とターニャは思う。
「あの、第一皇女殿下」
「ターニャ様。どうかわたくしのことは、アリエノーラと」
「じゃあ……アリエノーラ様。どうしてこんな遅くに厨房なんかにいたんですか?」
つまみ食いにしたって、もう真夜中だ。
こんな少女が起きているのも不自然に思えた。
こんな時間につまみ食いなんて、お肌に悪いなんてもんじゃない。太るし。
「ターニャ、あたしたちもそれやってるからね。お肌も荒れるし太っちゃうね~」
「ぎくっ」
「うんうん。美味しかったね、焼き豚」
痛いところを突かれたものだ。
「あー……」
キラキラとした目で二人を見つめてくる皇女殿下に、ラプラスは視線をやる。
あまり悠長にも構えていられない。
こうして寝室に招かれたことだって、罠である可能性も考慮しなくてはいけないくらいだ。
こほん、と咳払い。
回りくどいのは、やめだ。
「アリエノーラちゃん、単刀直入に聞くけど」
「はい?」
「宮廷魔術師のマクスウェルって、どこにいるのかなー?」
その言葉に。
アリエノーラは不思議そうに首をかしげて。
「マクスウェル様なら……お二人の後ろにいらっしゃいますよ」
「っ!?」
跳ねる心臓。
慌てて背後を振り返る……けれど。
そこには、可愛らしい鏡台があるだけ。
「うふふ、嘘です!」
「悪質っ!!?」
ターニャは「心臓飛び出たかと思った……」とソファに沈没している。
まったく、食えない皇女様だ……ラプラスは嘆息する。
「それは冗談として……先ほどまで、マクスウェル様と一緒でしたよ。地下の工房で」
「工房、ね。こんな遅くまで皇女殿下をお連れするとは、恐れ入った」
「でもどうして、【リリウム】のお二人がマクスウェルを?」
小首をかしげるアリエノーラに。
ラプラスはおもむろに手を伸ばす。
「……それはね、アリエノーラちゃん」
「っあ」
少女の細い腕を取り。
絹のネグリジェの腕をまくる。
「えっ」
目にした光景に、ターニャは思わず息を呑んだ。
「あたしは……こんな馬鹿げたことを、止めにきたんだよ」
「……っ」
銀色の髪。
菫色の瞳。
「おおかた、皇女殿下の身に流れているのは――白竜の血、ってところかな」
静かに、ラプラスは呟く。
月光に照らされた、アリエノーラの腕。
その細い腕には、びっしりと注射痕や切り傷が刻まれていたのである。
「っ、これは……すぐに消えますのでっ」
「そういう問題じゃないよー。まったく、三〇〇年間進歩なしとは恐れ入ったな」
アリエノーラの傷には見覚えがあった。
かつて、幼いラプラスの身体に刻まれた傷。
そっくりそのまま、同じ傷。
――マクスウェルの『実験』でつけられた傷に、酷似していたのだ。
マクスウェル、あの男は。
こんな夜中に工房に皇女殿下を連れ込んで、切り刻んでいたとでもいうのだろうか。
呆れたものだ。
ついには帝王一族にまで手を出しているとは。
増長、しやがって。
ぎり、とラプラスは唇を噛みしめる。
……目の前の少女が痛くて、怖くて、苦しい思いをすることはなかったはずなのだ。
あのとき。
あのとき、自分がきちんと怒れてさえいたならば。
「あ、あの……」
アリエノーラは困惑した表情でラプラスを見つめている。
闘技場で輝いていた女冒険者が、いま、自分の傷をみて怒っていることが不思議でならない。
だって、これは。
自分にとって。
第一皇女である自分にとって、当たり前の日常で。
男ではないから。
だから皇位継承権のない王女が、いつか嫁いでいく前に「国のために」役に立つからと。
みんなのためだと言い含められてきた、当たり前で。
「アリエノーラちゃん」
「な、何です?」
「……痛かったね」
痛かったね。
たった、それだけの一言に。
どうして、こんなにも胸が苦しいのか。
アリエノーラには理解ができなかった。
「あ、あのっ!」
思わず、アリエノーラは声をあげる。
伝えたい、と思ったのだ。
闘技場で戦う【リリウム】がどんなに格好良くて、素敵だったかを。
黒鎧の騎士――お忍びの宮廷魔術師であるマクスウェルと互角に戦っていたヴィーナス・ビューティホーがどんなに輝いていたのかを。
伝えようとした――そのとき。
「何者ですか、あなたたちは!」
鋭い、女の声が響いた。
「っ、まじか!」
「おっと、ターニャ。これはまずいかなー?」
開け放たれたドア。
白衣の女。
「っ、こ、これは違うの。ヴィス!!」
ヴィス。
アリエノーラ第一皇女の付き侍女が。
そこに立っていた。
お読みいただきありがとうございます!
いちど味を占めた人間は、何回も同じこと繰り返すしますよねって話でした。
ラプラスさんは、「かつての自分」を救うように全力でアリエノーラちゃんを救ってくれることでしょう。
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(書き溜めゼロで連載はじめてしまい、ここまでマジでその日に書いてその日に更新しているので・・)




