忘れられない出来事(傷)
翔太が分かれ道を後にして、何分か歩いたところで広い空間に出た。この鉱山にはこんな空間があったのかと驚いている翔太が辺りを見渡していると、少し先に吊り橋が見えた。
橋は人が二、三人並んで通れる程の幅で、縄で吊り下げ支えていたが、お世辞にも新しいとは言えない、年月を感じさせるものだった。
そして橋の下は光一つない奈落そのもの、翔太は試しに近くにあった石を投げ入れてみたところ、十秒くらいしてコーンと小さく音が響いた。
「うん、落ちたら絶対死ぬなこれ。行きたくねえ、激しく帰りたい…」
しかしここまで来て成果無しはこの先がきつい。だがこれを渡るための心の準備がまだできない。翔太は橋の一歩手前まで移動した後、そんなジレンマにとらわれていた。
「何をもたもたしているんですか?早く行きましょうよ」
「お前はいいよな、こんな橋の上を歩かなくても空を飛んで向こうに渡れるから!」
テイルは翔太の心配には目もくれず、笑顔を向けて飛び去っていった。翔太は少し悩んだが、テイルの言う通りこんなところでもたもたしてられないと思い、勇気を出して橋を渡りはじめた。
そう思って一歩前に踏み出すと足場となっている木の板からギシギシと音が鳴り、橋もそれに合わせて揺れ始めた。
「そんなへっぴり腰じゃ渡れるものも渡れませんよ。もっと堂々とそして早く歩いてください。」
「無茶言うな、これ絶対落ちちゃうやつじゃん!こんなところ普段通りに歩いたらあの暗闇に真っ逆さまだろ!」
「…この橋は、縄はともかく木の方は丈夫で有名なものを使っていますから床が抜けるということはないでしょう」
「それって縄が切れたら終わりってことじゃねえか!」
洞窟内のため声が反響しないように小声で話す翔太たちはそんな会話をしつつ、その歩を前に進めていった。
その途中でテイルに何度か急かされながらも、ついに翔太は何とか橋を渡り切った。
「そういえばこの先は強いモンスターが出現するので注意してくださいね」
「それ一番大事なやつ!」
橋を渡り切り、安堵していた翔太は帰りのことを考えてしまい不安になっていたところに、とどめを刺すようにテイルがこの先の情報を翔太に伝えた。
何でそういうことを渡った後に言うのかとテイルに問い詰めたいところだが、翔太は先を急いだ。開き直ったというのもあったが、それ以上にこの時の翔太は先に行った彼らの力があれば大丈夫だろうという過信があった。そしてその過信が後に真の恐怖につながることを翔太はまだ知らなかった。
進んでいく途中に彼らが通った場所の痕跡、倒されたモンスターの死骸があった。この先にアリスがいる、翔太は高ぶる気持ちを抑えながら慎重に後を追った。
そして翔太は遂にアリスを見つけた、それとモンスターと戦う彼らも。そのモンスターは片手で斧を振り回す、屈強な身体を持った牛頭人身のモンスター。
「あれはミノタウロスです。知能はそこまで高くありませんが、その強靭な力で数多の冒険者たちを倒してきた、ダムド鉱山のボスモンスターです」
「…ちょっと待って、今ボスって言わなかったか?ボスモンスターってマジですか、いつもの冗談ではなく?」
「大マジです」
翔太の疑問を解消するようにテイルが目の前のモンスターの情報を教えた。しかし翔太の本音としては、そこはふざけてほしかった。しかしテイルの見たことのない真剣な眼差しに嘘は感じられなかった。
次から次へとやってくる不安に絶望していた翔太だったが、ここであることを思い出した。それはそもそもの話、武装している彼らはボスを討伐しに来たのだから準備は万全なはず。そう思った翔太は彼らにボスモンスターの相手を任せることにした。
翔太はそっとアリスに近づく。アリスはそれに気づいてひどく驚いた様子だった。
「あんた、なんでこんなところに!?」
「お前に用があるからに決まってるだろ」
「…用事って何よ?」
アリスの返しに、翔太が“盗賊の初歩”について考え付いたことを話そうとしたそのときだった。鈍い金属音が聞こえた後、翔太とアリスが身を隠していた岩に何かがぶつかった。
一瞬顔を見合わせた二人だったが恐る恐る覗いてみると、そこには頭から血を流し、呻き声一つ出さずに倒れている一人の男がいた。彼は言うまでもなく、武装している男たちの一人。
彼らがミノタウロスと対峙しているあの距離から屈強な男一人を翔太たちがいる所まで吹き飛ばしたその怪力も問題だが、それ以上の問題が彼らを襲っていた。
それはあのパーティーの連携が崩れ始めていたことだ。
彼らの連携は二人ずつ三方向にモンスターを囲み、二人が敵の攻撃を盾で防いでいる間に他のメンバーが背後から攻撃し、軽装備の一人、このパーティーのリーダーが攻撃の指示と支援をするというシンプルな戦法。これはダムド鉱山に行くときに遭遇したクマ型のモンスターと戦った時にも使われていた。
しかし今は一人欠けてしまったため、もう一人にかなりの負担がかかる状態になっている。だがそんなものは空いたところに誰かが入ればいいだけの話だが、真に問題となっていたのは肉体ではなく、精神的なもの。彼らには吹き飛ばされた者の姿が自分のそれに見えてしまったのだ。そんな亀裂とも言える部分から少しずつ崩され始めていた。彼らの中には「もう駄目だ、撤退しましょう」という声が聞こえてくる。
「全員、防御姿勢を維持しろ、決して背を向けるな!」
翔太はリーダーがなぜ彼らにすぐ撤退するように言わなかったのか分からなかった
が、吹き飛ばされた男の傷を見てようやく気付いた。それは男は背中に大きな切り傷
があったからだ。普通は盾で防御している奴を背中から切ることはできない、また男
たちに囲まれている状態で背後にまわって切ることは難しいだろう。ならばなぜこの
男は背中を切られたのか?
それはこの男がミノタウロスに背を向けた、つまり逃げようとしたからだ。なぜ逃げようとしたのかまでは分からないが、こう考えるとリーダーが言ったことの説明が付く。背を向けるなというのは逃げるなという意味ではなく、背を向けたらすぐに殺されるという意味だったのだ。
実際、彼らはさっきまでミノタウロスを囲んでいたが、今は一方向に集まって五人で一つの壁となり、攻撃をしのぎながら少しずつ後退していた。
だがそれもいつまでもつのか分からない。それに彼らは橋がある方に向かって来ている。翔太たちも早く逃げなければミノタウロスの射程圏内に入って殺される。
そう思った翔太が逃げようとした時、岩の向こうから男の呻き声が聞こえた気がした。まさかと思いその声がしたほうを見ると、ミノタウロスに吹き飛ばされた男がうっすらと目を開き、起き上がろうとしていた。正直、翔太はこの男が死んでいると思っていたのだ。何せ首の骨が折れていても不思議じゃない状態、生きていたのは本当に運が良かったのだろう。何はともあれ生きていた以上、ここに置いていくのも忍びないため、翔太はその男に声をかけた。
しかし生きていたとはいえ、まだ満足に動ける状態ではない。そのため翔太は男を少しでも身軽にしようと装備を手間取りながらも外し、男に肩を貸した。しかし一人より二人の方が効率が良いと判断し、アリスに手伝ってくれないかと声をかけた。
しかし返ってきた言葉は「嫌だ」の一言。
「今は頼れるのがお前だけなんだよ、頼む!」
「嫌だって言ってんでしょ。あんただってそう言ってるけど、どうせやばくなったらそいつや私を裏切って逃げるに決まってるわ」
「…お前何でそんなに人を信じないんだ?そりゃあ会って間もない人をいきなり信じろと言うのは無理な話だけど、こういうときぐらい協力してくれてもいいだろ」
「…私は一番信じていた人に裏切られたのよ」
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盗賊であるアリスの本名はレイ・アルフォント。いやこれは既に捨てた名前と言うべきか、そんな彼女はある貴族の娘だった。家族の仲も親族を呼んで度々パーティーを開くほど仲が良かった。
そんなある日、彼女と彼女の両親が乗っていた馬車が崖から転落しその事故で両親は死に、レイは独りぼっちになった。
そんなレイを拾ってくれたのが彼女の叔父、ガントール・アルフォントだった。ガントールは一人で泣いていたレイに居場所を与えた。
レイは当時、あの事故で奇跡的にほとんど無傷で生還したことから異端者やはたまた周囲に不幸を呼ぶ者として蔑まれていた。誰もレイに近づこうとしないなか、ガントールだけはレイを見捨てなかった。
そしてレイがガントールに引き取られて一年が過ぎようとしていたとき事件が起きた。レイは見ず知らずの男たちに拉致され、監禁されたのだ。
なぜこんなことになっているのか皆目見当が付かず泣いていたとき、レイを拉致した男たちの声が聞こえてきた。
「旦那の言う通り、あの子は奴隷として売っても良いんですよね?」
「別に構わん。世間ではあいつは病死ということにしてある、既に根回しも済んでいる。何の問題もない」
聞き覚えのある声が聞こえてきて、レイの頭は一瞬真っ白になった。それは慣れ親しんだ声、しかしなぜ彼の声が聞こえてくるのか、一連の事件の首謀者は彼なのか、そんな疑問が尽きないなか、レイは気が狂いそうになる自分を落ち着かせるためにゆっくりと深呼吸をした。
ひとまず落ち着いたレイだったが、いくら考えても分からないことがあった。
なぜ叔父はこんなことをしたのか。レイの両親とも仲が良くあんなに優しかった叔父がなぜ、そう考えていると再びガントールの声が聞こえてきた。
「これでようやく子守から解放された。まったく、悲劇の少女に手を差し伸べる優しい人間を演じるのはかなりしんどかったな。しかも世間の信用を得るのに一年もかかったから本当にまいった。あいつの顔を見るたびに兄の顔がちらつくから何度この手で殺してやろうかと思ったが、これまでの苦労とこれからの幸福を考えてなんとか踏みとどまれたよ」
その言葉は少女の心を砕くには十分すぎるものだった。自分が今まで見てきた叔父の姿、聞いてきた叔父の優しい声が全て幻想だったのかと思うと心が張り裂けそうになる。
「私は何も見えてなかった。叔父が両親に向ける妬みを、葬式の時に表には出なかった喜びの笑みを、私への殺意も。今まで自分が見てきたものが突然全て嘘だと知ってしまったら、何が本当で何が嘘なのか分からないよ。私は何を信じればいいの…」
牢屋の中でうずくまりながら、小さな声でつぶやいていたレイのもとに男が一人やって来た。その男はレイを攫い、この牢屋に押し込んだ張本人だった。やけに上機嫌でかなり酔っぱらっている。
「喜べ、次のお前の引き取り先が見つかったぞ。どっかの変態貴族がお前をほしがっているそうだ。相手が貴族なら、中々良い額でお前のことを買ってくれるだろうな。…ところでこれはこの牢屋の鍵なんだが、これがほしいだろ?」
そう言って男はレイの手が届くか届かないかの距離に鍵をちらつかせてた。男はレイが鍵を必死に取ろうとする様子を楽しむつもりだったのかもしれないが、その時のレイは絶望に打ちひしがれていて生きることに何の執着も持っていなかった。だから鍵が目の前にあっても取ろうとはしなかった。その姿を見て男は退屈そうにしていたが、その時何かをひらめいた様子で話しかけてきた。
「なぁお前、何で自分がこんな目に遭っているのか知ってるか?」
「…知ってることを教えて下さい。」
レイは自分が今一番知りたいことをこの男が知っているのかという疑いが残るなか、少し悩んだがそれでも聞かずにはいられなかった。
その言葉に反応したレイを見た男は笑みを浮かべ、話を続けた。
「旦那、つまりお前の叔父はお前たちの財産が目当てだったんだよ。だから色々仕込んだのに結果はご覧の通り、お前だけが生き残った。そして狙っていた財産は全てお前のものになった。旦那はすぐにでもお前を殺したかっただろうけど、親が死んでそのすぐ後に娘が死んだとなると、まず真っ先に自分が疑われる。そうなったら不幸な事故だったとされた一件も当然調べられ、結果的に計画は水の泡。だからお前を殺せなかった。せっかく苦労して兄を殺したのにお前が生き残ったせいで、すぐに殺したいのに殺せないっていうジレンマで旦那はまさに生殺し状態。お前を奴隷にするのも、その腹いせってわけだ」
レイは男の言葉を聞いて自分の耳を疑った。理解したくない事実がいくつも発覚し、レイの思考は止まりかけていた。呆然としているレイを見て、男は話を終わらせる。
「まぁそういうわけだ。お前の経緯には同情しないこともないが、人情じゃ腹は膨れない。自分が生き残るために他者から奪い取る、それがこの世界の常識だ。」
そう言うと男はいびきをかきながらその場で寝始めた。下を向いているレイは涙を流していた、男に気づかれないように必死に声を押し殺しながら。
そんな少女の心の中には叔ガントールへの復讐心が芽生えたが、レイは自分にガントールと同じように身内を殺すことができるのかという疑問が頭をよぎった。そしてなんとなくだが、自分にはできないという予感があった。
だからレイはガントールへのせめてもの仕返しに、そこから逃げ出すことを決意した。男は少女が絶望する姿を見たかったから話をしたのに、皮肉にもそれがレイに逃げ出すきっかけを与えてしまった。そんなことはつゆ知らず男は眠り続けている。
しかし逃げると言っても鍵が無いと牢屋から出ることさえできない。レイは必死に手を伸ばしたが、少女が手をいくら伸ばそうと鍵まで届くことは決してなかった。
こんなところで終わるわけにはいかないと思った時、レイの特質な才能が開花した。
鍵は吸い込まれるようにレイの手の中に入った。もちろん、突然出来事で驚いたのは言うまででもないが、なぜと考えたがレイにとってそれは二の次だった。レイは鍵を手に入れたという事実だけを認識し、そこから逃げ出した。
そして名前をアリスに変え、盗賊稼業に身を投じた。
読んでくれた方ありがとうございます。今回はアリスの過去について書きました。これからも読んでいただけると嬉しいです。