花屋の店番
ちょっぴりダークな部分から物語は始まります。
早速魔法界に飛び込みたい方は3話からどうぞ。
魔法使いになれたら何をしたい?
時計の針と息を揃えながら雨粒が落ちる。
寝そべっていても、座っていても、羊をありったけ数えていても時間は早まらない。
そのうちにどうやら時雨が少しずつ強まってきたようだ、窓を叩く雨粒の音に比例して淀んでいく空気が肌を撫でるのを感じると気分は一層沈んでいった。
無意識の内に手が触れた使い古しのレジスターを指でなぞりながら、薄ぼやけた外界を眺めていると、鉛のように重たい塊が心の底を蝕んでいくのをどこかで感じていたがそれを払拭する気にはなれなかった。
その分、カウンターの上に広げられた僕の大きな画用紙で出来たの世界の中は虹色で明るくて、灰色なんて一切なかった。
ちびた赤や折れた黄色や緑と少し色の混ざった水色のクレヨンらが画用紙に散らばっている一方、紙箱の中で唯一、取り出されることもなければ一度も使われていない、黒と灰色が端っこに並べて置かれていた。
そしてその反対側には白のクレヨンがあった。
ショーケースの中の花たちや、
外に置かれた鉢植えたちは萎れたり、枯れたりするばかりで、
一向に芽吹きさえしない。
花屋であるにもかかわらず、
その店内での植物の息は薄く、外と同じ、濡れたコンクリートの匂いが心地悪い温度で広がっていた。
いつからか、これが僕にとっての雨の香りとなってしまっていたようで、街に上塗りされていく灰色と同じように、僕の感覚も灰色に染められてるみたいだった。
最近の僕のお手伝いといえば、
このいつでも薄暗い花屋さんの店番か、
萎れていく花や枯れていく鉢植えたちを裏庭に持っていき、そこに埋めたりするだけだった。
それまでは素敵に咲いていく花に水を与えたり、時にはお気に入りの歌なんて聞かせてお世話していた。
照明に照らされてぴかぴか光る床のお掃除だって、
花びらも落ちなくなるほど華のない、
薄暗い店内にはもう必要ない。
家の中も、花屋の中も人の声が溢れかえっていたのになぁ…
そう思いながら僕は机に寝そべるようにして
ちびた赤のクレヨンを画用紙の上で転がしていた。
僕にはお兄ちゃんがいる。
なんでも出来て、愛想も良くて、頼りになるお兄ちゃん。お兄ちゃんはこの花屋の跡継ぎになるはずだった。
お店にいる時は決まって一番のきらきらの笑顔だった。
それはまだ花屋が賑わっていた頃の話。
いつもは少し静かな花屋さんだったけれど、
この頃はすごく忙しかった。
ちょうど灰色の建物も増えてきて、買いに来てくれる人はいつもと違って、みんな泣いていた。
お兄ちゃんはそこでみんなを慰めながらお父さんやお母さんと一緒にお花を売っていて、お花は飛ぶように売れた。
いつもと様子が違うお客さんばかりだったけど、みんなお兄ちゃんの名前をたくさん呼ぶのには変わりなかった。 僕はそれがちょっぴり羨ましかった。
だから僕もお兄ちゃんのように名前を呼ばれたくて、「ナナロク」と呼んでもらいたくて、
今まで作っていた、捨てられそうだった花で出来た押し花をおまけで付けてあげようとした。
しかし、そうしたところで何も変わらなくて、ごみと間違ったのか、せわしない悲しそうなお客さん達はその押し花を手で払ったり、特に気にしない様子でポケットにしまうだけだった。どうしてこうなっちゃうのかな。
僕だってたくさんお手伝いした。
それなりに精一杯頑張っていた。でも失敗続きだった。
当時、お兄ちゃんができたことが僕にはできなかった。
お父さんもお母さんもお兄ちゃんにたくさんの期待をかけていたことは、頼りにしていたことは、7歳だったけどよく分かった。
もちろん、僕はお父さんにもお母さんにもたくさんたくさん愛されていたし、
その頃の稼ぎがよかったのもあって、周りが貧しい中、僕の家だけは毎日美味しいシチューやパンを食べることができた。
今はもう通りを歩く人すら全くいないから、その頃の稼ぎを使って生活しているようだ。
だから、
僕はとっても幸せなんだ。
ようやく起き上がり、カウンターから離れてみると、今にも消えてしまいそうな僅かな切り花らがショーケース越しに目に映る。
スイセンにリンドウにシオン。
どれも全て、まるで俯いているあの時の悲しそうなお客さんの雰囲気をしていた。誰もこっちを見てくれない。
「…そんなふうにしおれちゃっていたら、誰も君の名前なんて呼ばなくなってしまうよ」
そう独り呟けば、店内に響くよりも先に、時雨にさぁっとかき消されて、寂しい冷たさが残る。
つい、ため息がもれてしまう。
やっぱり気持ちはパッとしなかった。
花を励ましたつもりが自身への同情を強要しているようで、僕の心情はより一層ブルーより、ずーっとつまらない、灰色の気分になった。
いっそのこと、この雨に紛れてしまえば、逆に楽しくなるんじゃないだろうか?
なんて思ったから、僕は次にカウンター横に掛けてある、小さな黄色のレインコートに身を包んで外に出てみることにした。
そんな忙しい頃のある朝、お兄ちゃんは店の通りの路上で眠っていた。
何故、お兄ちゃんが夜中に家を抜け出て、そして路上で寝てしまったのかは誰にも、部屋で寝ていた僕ですら分からなかったが、それから家のベッドに運ばれたお兄ちゃんが目覚めることはなかった。
…今僕は10歳だ。
あの日からもう3年くらいたった。
それでも、お兄ちゃんはたった一度も起きることなく、今もすやすやと寝息を立てて、奥の部屋で眠っている。
どれだけ月日が経とうとも、お兄ちゃんの僕より少し濃い、若草色の髪が伸びることもなければ、汗をかくこともなくて、本当に安らかに寝ていた。
お父さんもお母さんも酷く不安に思って、そして酷く落胆していた。周りの種がぽんっと芽を出しそうなほど明るい元気のあるお母さんの声は聞かなくなった。
お父さんはいろんな病院の戸を叩きまわって、たくさんのお医者さんが家にやってきたけど、全員、渋い顔をして首を振るばかりだった。
僕らを花とするならば、お兄ちゃんはもうすぐで開きそうな朝露でキラキラしているおおきな蕾だと思う。
若しかしたらもう開きかけていたのかもしれない。
きっとお兄ちゃんはその途中で蕾をしおらせてしまったのだろう。
あれだけたくさんお話していた、お客さんの口からも、たくさんの期待をかけたお母さんやお父さんの口からさえも少しずつ少しずつお兄ちゃんの名前は呼ばれなくなった。
だからといって僕の名前がたくさん呼ばれるようになったわけでもなかった。
理由は僕だけでなくて、周りの環境も影響していた。
僕が今生きてるこの時代は、
戦争中らしいから。
どれだけおおきな戦争かはよく分からないけれど、
明るいテレビ番組はあまりやらなくなってきていたり、
市場で喧嘩がたくさん起こっていたりするのをみると、あまりいい状況ではないことは理解できた。
あっ。
その後にザァッと雨音が通りに響く。
店の前で小さな鉢植えがずぶ濡れになって枯れていた。
それはお兄ちゃんから貰った僕の大切なクローバーの鉢植えだった。
僕が毎日お世話して、沢山おしゃべりして、名前を呼んでいた、初めて任された僕の鉢植え。
少しの間、外に出してあげただけで、クローバーはもう緑色じゃなくなっていた。
途端に暗い気持ちが言葉に表せないような複雑なものだと理解出来た。
涙が溢れそうになって、抑えようかと思ったけれど、空が泣いているのだから大丈夫だろうと声を抑えるようにして泣いた。
神様もきっと気づかないはず。
お店でも泣いてしまう僕はきっとこれからもお兄ちゃんのようになることはできないのかもしれない。
ふと、両隣の大きな鉢植え達、そして店の前のすべての鉢植えが視界に入るものとして認識できた。
それらはすべて綺麗に枯れていた。
今朝はまだ緑色が多く残っていたのに。
突然気づいてしまえば、1人なのもあって、
少しゾッとするものがある。
僕は逃げるようにして、その枯れた僕の鉢植えを持って屋根裏にある裏庭へのはしご階段を登った。
それにしても、ここですら本当に灰色ばかりだった。
使わなくなったブリキ缶が積まれたりして、植物こそいたが、命はもう既になくなってしまったようだった。
唯一違うところというと、足元に広がる先は
すべて土だった。
地面を手で深めに掘る。
そして枯れたか細い枝のような幹をそおっと掴むと、鉢を抑えながらひっくり返し、その穴の上に寝かせる。
「今はゆっくりおやすみ」
それはお兄ちゃんにむけた言葉でもあった。
その瞬間大きな警告音が外に響いた。
街のサイレン。
裏庭で尻餅をついた僕は、急に街がざわついたのが分かった。
それは紛れもなく、『魔物警報』だった。