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Remember summer

作者: 鍛冶屋

   Remember summer


「ちょっと、そこのスケッチブックかたづけて!」

 はい、とセーラー服の肩についた埃を払いながら、雪野は緑のスケッチブックを鞄の中にしまった。黒ぶち眼鏡の部長は机のうえに、どん、と鼻が高い石膏像を置く。

 三階の窓から聞こえるセミの声がだんだん半音さがりになって途切れていく。

 ここ一週間、窓際にいると最期の一仕事と言わんばかりに、セミが勢いよく侵入してくるのが、虫嫌いの雪野にとっては忌々しいことだった。

 ――また夏が終わってしまうな。

 埃が舞った美術室の中で、雪野はそんなことを考えながら石膏像の鼻を見つめていた。


「それで、探し物は見つかった?」

 部長に尋ねられて、雪野は目を一瞬見開いた後に首を振る。

 彼女の反応を見て部長は残念そうにため息をついた。

「まったく。美術室はどうしてこう広くないのに、すぐ物がなくなるのかね……そんなに大事なものなら、もうちょっと奥探す?」

 部長は肩を揉みながらそう尋ねてきた。

 そんなに大切なものでもないのだが、大切かもしれない。雪野にとってのその探しものは曖昧なものだ。

「いいえ、大丈夫です。探してくれてありがとうございます。部長さんも作業に戻ってください」

「はーい、どういたしまして。って言うか、私はもう終わっているから帰るね、塾もあるし……じゃあ、雪野さん。戸締りだけよろしくね」

 そう言って、部長は鞄を持ってさっさと帰って行った。

 部長を目で見送った後、雪野は棚からあるものを取って、椅子に座った。

 一〇㎝にも満たない高さの石の彫刻を雪野は五月からずっと彫り続けていた。後は色をつけられればよかったのだが、それは叶わないだろうと、雪野は直感的にそう思っていた。

 タイムリミットは明後日まで。

 だけど、この枯れない花を咲かせるには、彼女には今日しか時間がなかった。


 * * * 

 

 雪野の通う中学校は特段、有名なものはない。

 スポーツは県大会に行ければいいほう、芸術もぽつぽつと個人が入賞するだけ。とにかく目立たないうえに、マンモス校でもない定員割れもしやすい。

 自分の学校が廃校で、卒業校がなくなっちゃうなんて、冗談抜きで絶対笑えないよ。雪野のクラスメイトたちは冗談めかして笑うほどだった。

 雪野はずっと帰宅部を貫くつもりで新歓も熱を入れなかった。スポーツはよりどりみどりだがそこまで好きではなかった。

 文化部も吹奏楽、演劇、美術、放送、囲碁だけのラインナップなので、なにも惹かれるところなく、授業が終われば、野球のヤジを聞きながら校門を抜けるという毎日だった。

 夏休みに入る前に、"彼女"に話しかけられるまでは。


「ねえ、雪野さん。手を貸してくれないかな」

 帰る支度をしていると、クラスの風紀委員から声をかけられた。

 スカートも短くない、茶髪やパーマもしていないのにと雪野は困惑したが、風紀の話ではなかった。

「美術部のために、って言うか、私のために。手を貸してほしいんだ」

 風紀委員の彼女は秋山という名ふだを胸ポケットにきちんとつけていた髪もちゃんと二つに結っている、マジメ学生というのが雪野から見た秋山の第一印象だった。でもクラスの中での印象は、マジメというのは、受け入れがたいことも雪野は知っていた。なかなか話す機会はなかったので、なおさら疑問は広がった。

 ただ、なんとなくの成り行きで雪野は美術室に同行することに決めた。

 興味本位というよりも、家に帰っても雪野には特にやることはなかったからだ。

 習い事もなければ、これといった趣味もなかった。暇つぶしのゲームをしていると、母親に怒られて勉強しろと言われるのもうるさく感じられるので、美術部に行ったのもちょっとした気休めだ。

 手を貸してほしいと言われたので、なにかの力仕事だろうか、と思いながら、最初に踏み入れた美術室で雪野がしたこと。

 それは、手を見せたこと。

 秋山がそれを描いて型を取り、こうして親指が短い雪野の手の彫刻の設計図が完成された。

 そして、秋山はこう言った。


「ありがとう、手を貸してくれて」


 秋山にお礼を言われた瞬間に、雪野は噴きだしてしまった。

 なんで笑っているの、と秋山は不服そうだったが、その日以来、雪野はちょくちょく美術部に顔をのぞかせるようになった。

 秋山が作った雪野の手が完成した頃には、雪野は美術部に入部届けを提出していた。


 秋山の下の名前は、長い間、覚えることができなかった。そもそも、秋山は自分の名前を異様に嫌っていた。

 下の名前で生徒を呼ぶ体育会系の教師に抗議したほどの毛嫌いっぷりに、雪野だけでなく、部長も舌を巻くどころか呆れていた。

 一年の夏休みに、秋山は彫刻の途中で手を休めて考え事をしていた。

 雪野はぼんやりと顧問がいないことを良いことに、スケッチブックに落書きをしていた。

「秋山、初子(ういこ)……うーん、こっちのほうがいいなあ。交換する?」

 初子は雪野の下の名前だ。

 小学校の頃から、はつこ、はつこと言われ、昭和くさい名前だが、雪野は特に気にしていなかった。

 正直なところ、昭和っぽい古くさい自分にはまあ合っているな、という感想を抱いていた。

「じゃあさ、私は雪野 瑠璃(るり)になるの?」

「うん、雪で瑠璃色ってちょっと幻想的だよ。似合っている。秋に瑠璃色ってちょっと変だよ。松田聖子が好きだからって瑠璃はないよ」

「両親が? スイートピーじゃないの?」

「瑠璃色の地球、っていう曲知らない?」

 合唱曲で別のクラスが歌っていたことを雪野は思い出した。あれが松田聖子だとは初耳だった。

 みいん、みいんという威勢のいいセミの声が響き渡る。五月蠅いと雪野は思っていたが、窓を閉めると、逆に蒸し暑くなってしまう。

 騒音か猛暑か。雪野は微かに温もりを持ったスケッチブックに顔をのっけた。

 それ暑いよ、と作業をまた再開するために、秋山は作業用の青いエプロンをつけながら言った。


 どうして秋山は彫刻をしているのかは、雪野は知らなかった。

 部長の話によると、彼女はずっと入部してきた時から彫刻しか彫り続けていなかった。油絵も勧めてみたが、彼女はやんわりと断り、ひたむきに彫像に傾いていた。

 もしかして、彫刻家とか考えているのかも。と部長は付け足していたが、それはあくまで想像にすぎなかった。

 秋山は外見通りマジメな生徒だった。

 逆に言えば見せかけのマジメさではない。頑固であり献身的だった。気難しくて、ある意味、昔気質の性格だと雪野は感じていた。

 しかし、マジメでも発想は奇抜で彫刻のテーマも『壊れた眼鏡』、という不思議なものだった。文化祭にはできあがった作品もつるが一六〇度に曲がっていて、見ていて不安だが、妙なリアリティを雪野は感じられた。

「眼鏡が壊れた感じってどんなんだろうって思ったんだ。今って眼鏡ってほとんどの人が持っていて身近だから。親近感わくかなって」

 そう言って、秋山は彫刻の眼鏡のひびを削りながら言った。

「発想がバカバカしくて最初は笑っちゃったんだけどさ、結構、リアルな壊れかたって難しいのね。一緒にムキになって考えちゃったよ」

 眼鏡の部長はそんなことを言いながら、彼女に眼鏡を貸している姿も雪野は見かけた。

 奇抜で真面目な秋山という少女は、雪野にとっての面白さでもあり尊敬できる部員だった。

 彼女との美術部の日々はわずかな青春の一ページだが鮮やかに彩られていた――最後の夏の日が来るまでは。


* * * * *


「ねえ、部長から聞いたんだけど、雪野って今日が誕生日?」


 八月三十一日。この日は雪野が生まれた日だった。

 だけど、雪野はこの日を嫌っていた。

 理由は言うまでもなく、休みの終わりで祝いどころではない一日だからだ。

 宿題もあるというのに部活はは通常通りで、雪野はスケッチブックも取りださずに読書感想文を書いているぐらいだった。

 一方の秋山は宿題は終わらせているのか、壊れた眼鏡の構想を練り終え、形にしていく作業に入っていた。

 雪野がこっくりと頷くと、おめでとう、と秋山は作業をやめて握手を求めてきてくれたので、雪野は手を差し出して握り返した。

「もっと前に言ってくれればプレゼント用意したのに。それにしても、夏休み最終日ってすごいね」

「すごいかな。自分の誕生日は嫌なんだよね、だから全然嬉しくない」

「私で言う自分の名前みたいなものか。って言うか、私の誕生日の一日前ってすごいね」

「えっ、ほんとに? 昨日? それこそおめでとうだよ」

「うん、ありがとう」

 そう言って、二人はもう一度がっちりと握手を交した。不思議なプレゼント交換だと雪野は笑いを堪えた。

「八月瑠璃って名前なのかな。今になって分かったよ」

「海っぽい名前だもんね。じゃあ、私はなんで八月三一日なのに、初子ってつけられたんだろ」

「……雪野、初子……あ、ちょっと待って」

 そう言って、秋山は画集が並んでいる棚から植物図鑑を取り出した。

 図鑑というよりは女の子向けの恋愛雑誌みたいな表紙なので雪野は少しだけ呆気に取られた。

「なにそれ」

「これ、誕生花占いなんだけどさ。八月三一日は……やっぱり、ハツユキソウだよ」

「……まさか、雪野だから初の子で初子? ハツユキソウから取ったって言いたいの?」

「そうだよ。雪野っていう名字で夏生まれ。冬っぽいけど、このハツユキソウっていう花は夏に色づくから……へえ、雪野の両親、なかなか深いね」

「本当かな、あの両親がそこまで考えるとは思えないな」

 冴えない自営業の父に、家事も適当にこなす専業主婦の母がこんな小洒落た名前をつけるのかが雪野には理解ができなかった。

「いやいや、きっとそうだよ……でもお互い、誕生日終わっちゃっていたんだね。来年は祝うよ」

「うん、私も祝ってあげる。ショートケーキ好き?」

「どちらかと言えば、モンブランかな。まさに山っぽくて、ステキだよね」

 そう言って笑いあってると、突如、秋山はふと凛々しい顔になった。


「……ねえ、雪野は今の自分に納得している?」


 雪野は目を見開いて、秋山の言葉に面食らった。

「なんで? 誕生日だから、そんなこと聞くの?」

「そうかもね、名前の話も出たし、ちょっと気になったから、いま尋ねたほうがいいかなって」

「うーん、あんまりかな。でも直そうとしてないかも。こうやって夏休みの作文とか最終日にならないと終わらないのは直したいんだけど。ダメかな」

「別にダメじゃないんじゃない? 直さないのも一つの答えだよ。私も納得していないな。もっと自分に正直でありたいし、自由になりたいな。人の目も気にせずに」

「秋山は充分、自由で、正直だと思うけどな」

「そうかな。でも、そうでもないなあ」

 思わず手に持っていたシャーペンを雪野は転がしていた。

 思うように書けないのと、秋山の話が気になってきたことの両方に挟まれていた。

「どうしてそう思うの?」

「うーん、評価されないと、芸術って成功とは呼べないじゃん? その成功に辿りつくまでが大変だけど、好きのおかげでやれる。私は彫刻が好き。本当に大好きで苦にもならない。だけど好きって思って作品を作っても、評価が悪いと、好きだっていう気持ちが吸い取られちゃう。それが苦しいから、人の目を気にしないようにしたいんだよね」

 秋山の言葉に、雪野はなにを言っていいかわからなかった。

 いきなり芸術の話に飛躍したことに、少しだけ戸惑いを覚えずにはいられなかったのだ。一旦、秋山は深いため息を吐いた。

「でもさ、人の目も気にしなきゃ、成長もできないんだよね。それは分かっているんだけど、耳を傾けながら、好きのままでいるって難しいんだね」

「でも、秋山は秋山のままでいればいいよ。だって今のままでもいいから」

「よくない」

 秋山に断言されて、雪野は曖昧にしていた視線をつとあげていた。

 雪野が見た秋山はぼんやりと未完成の彫刻を見つめていた。熱っぽく瞳は夕立ち前の空のように暗く灯されている。彼女になにがあったのかを雪野は聞きたかった。

 昨日は三者面談だったはずだ。もしかしたら、なにか言われたのかもしれないという想像が雪野に過ぎったがそれもやはり想像にすぎない。

「私は変わりたい。もっと自由な……ものになりたい」

「もの?」

「私、生まれ変われるなら、花になりたいんだ。目立たないところに咲いているような花に。評価されないけど自分らしく咲けるようになるんだ」

 最後の言葉はifではなくて、本気の願望のように雪野は思えた。

 ――私はなにを言えばいい?

 ――私の言葉で秋山になにが届くというんだろう?

 雪野は拙い言葉で考えた。確固たる理由で入部した秋山になあなあで美術部に入った者の意見は聞き入れてもらえるのか。

 そんなことを考えるたびに、秋山がこの青い空の向こうに行ってしまったようで。怖くて。悲しくて。

「……なれるよ。秋山なら」

「ありがとう。雪野。雪野も好きなものは好きなままで、夢に向かってね」

 秋山はそう言って笑ってくれた。彼女は笑うのがあまり上手ではなく、本当に心から嬉しいとか面白いという時でしか笑ってくれなかったので、雪野は安心していた。

 だけど心の中にある、この陽炎はなんなのだろう。


「ああ……もう、夏も終わっちゃうんだね」

 秋山の声はとても静かで、雪野には向けられた言葉ではないようだった。

 雪野はこの夏の間。秋山が彫刻に打ち込む姿を見ていた。

 スカートの折り目が綺麗で、セーラー服も、一つもしわがなくて、髪も丹精に結われている。職人気質で真面目だけど、ユーモアもある秋山瑠璃という少女。

 誰よりも頑固で、熱心で、ひたむきだった。

 そんな彼女が何故、悩み続けなければならいのかが、雪野初子には理解できなかった。

 ただ、セミの声だけが、どんどん遠くなっていくのだけは今の雪野には分かった。

 それが、雪野と秋山の最後のたわいもない会話だった。


 * * *


 花が咲いた。雪野は思わず感嘆していた。

 小さな白い花の彫刻はつるりと朝露を浴びたように光る。部長が帰ってから三時間は経ち、太陽は少しずつ静かに降りて行くのが影のせいで感じられた。

 五月に設計図を作成している時に、部長にこの花の名前を尋ねられたが、雪野はその度に首を傾げていた。目立たない、図鑑で小さく説明されているような花を選んでしまい、名前も忘れてしまったのだ。

「雪野らしいね」

 秋山ならそんなことを言うだろうか。

 だけど今日終われたことに、まず、雪野は安堵していた。


 秋山は文化祭を終えてから体調を崩し始めた。

 そして、雪野が気がついた時には彼女の席は空白が目立つようになった。

 彼女のメールも電話番号も知らなかったので、連絡も取れず、教師も彼女に困り果てているのか、曖昧にぼかすため、雪野にはどうしようもできなかった。

 四月にクラス替えになった時には、もう秋山はこの学校を去って行った――精神病、両親の実家で療養、過激な噂になると一家心中というものも流れたが、ウワサたちは全て五月には終息していた。

 クラス替えの前に、雪野と部長の下駄箱には、秋山の直筆のメモが入っていた。

 今までありがとうという感謝の旨の言葉と、新しい住所が書かれていた。それ以上はなにも書かれていなかった。雪野は何回か手紙を出してみたが返事は一つも来なかった。

 それから美術部には後輩は三人できたが、どれも幽霊部員となって、部長は国立大学に行くために塾に行くようになった。雪野は三階の美術室で、一人で作業するようになった。

 喋らないで作業すると、本当になにもかもが恐ろしいほどにスムーズだった。

 だけど、ちょっとだけ、今年の春は雪野にとって寒く感じられた。


 ――今日は、二年目の八月二十九日。

 雪野は大きめの封筒に彫刻を入れて、郵便局に向かう。

 体育でも消耗しないようにしている筋力を活用させて、息を完全に切らしたが、なんとかぎりぎりで出すことができた。

 安堵のまま、帰路に着き、家に入ろうとすると、ガーデニングをしている庭にいた母からおかえりという声があがった。

 秋山の言ったハツユキソウは由来は正解だった。字面がいいから、という、やはり適当の命名だったが、センスは悪くないかなということで、雪野は落ち着くことにした。

 庭に植えてあった花を見て、雪野は自分が咲かせた花の名を思い出した。

 "ヴェロニカ"

 イギリス人の貴族にいそうな名前だ。

 瑠璃色の花を咲かせ、常にぴんと背筋をのばして直立しているような花。瑠璃、という名前とこの立ち姿が秋山とぴったりだったのだ。

 あのイヌノフグリという可愛いのに名前がためらわれる花とも親戚だと雪野は聞いたことがあった。

 イヌノフグリは雑草で、ひどい名前だけど、ちょこんと咲いていて雪野は嫌いではなかった。

 だからこそ、秋山瑠璃にぴったりだと雪野は直感的に感じていたのだ。


「そうだ、あんたに手紙届いていたから机に置いておいたけど。友達?」

 母親にそう言われながら、家に入って二階へとついた。

 自分がさきほど、郵便局で出した封筒にサイズが似ていたことに雪野は首を傾げた。

 まもなく雪野はペンたてのはさみを慌ててとったのは、差出人が、『秋山瑠璃』となっていたのを見た時だった。

 ちゃんと封がされていて、なかなか切れないことにもどかしさを感じながらも、はさみでざっくり切った。

 中からなにか重いものが最初に飛び出してきた。

 

「……あっ」

 手からなにかがこぼれおちるのを慌てて抑える。それは手の形をした彫刻だった。

 しかも、親指が短い手の彫刻。

 部長に探しても見つからなかった。自分にとって大切なのか曖昧なものであった秋山の作品だった。

 次に封筒から出てきたのは手紙だった。端正な文字が連なった、秋山による字だった。


 今まで手紙を返せなかったことの謝罪。

 地元の専門学校に入ったこと。

 彫刻だけでなく絵も書き始めたこと。

 でも、彫刻はまだ続けていること。

 様々な秋山の正直な言葉がどんどんと雪野の中に伝えられる。

 そして、最後にはこう書かれてあった。


 『フライングかもしれないけど、雪野が果たして宿題が終わっているか心配で自分の誕生日を嫌っていたみたいなので今のうちに。誕生日おめでとう! 雪野初子! 雪野もステキな花になれますように!』


 一番下には、ハツユキソウのデッサンが描かれていた。立体的なものを相手にしていたからか、秋山の描きかたにはリアリティがあふれている。

 雪野は彫刻の手を見つめながら、美術室にいた頃の秋山の姿を思い出していた。

 あの夏に、彼女が咲かせようとした花の姿を。

 雪野はこの夏で、この手で蘇らせようとした。


 そんな夏が。


「また、夏が終わるね」

 雪野は誰に言うわけでもなく呟いた。

 窓を開けると、セミの声が微かに聞こえる。次に聞こえるのは鈴虫だろう。そして秋がまた始まろうとしていた。

 風が吹き、紙とともに、デッサンのハツユキソウが揺れていた。




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