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帝国の頭脳と言われる宰相イオリは、セシルがグランの傍らを離れると空かさずその場を確保した。皇帝のすぐ脇に自身が立ち、更に前後左右を部下の副官が固め、すぐさま最愛の兄を探しに行こうとする主君をなんとか足止めさせた。
多くの列席者同様、この祝宴は、宰相イオリにとっても有益な場だ。交流交渉はもちろんのこと、人脈や繋がり、果ては計略の情報が、渦の中心である皇帝の傍らにいれば、いくらでも入って来る。こんな有益な位置を、あのぼんくら殿下に与えるのはもったいないと言うほかはない。
隣に立つ皇帝は、群がる客に耳を貸しながらも、ぼんくら殿下を気遣わし視線を巡らすが、この祝宴で命に関わる騒ぎを起こす愚か者もいるはずもなく ―― いれば一族全て即刻死罪なわけで ―― 、万が一の為に貴族に扮した影も少なくない数を潜ませている。多少は痛い目に会うかもしれないが、女子供じゃあるまいし、後は自分で何とかしろと言うのが、宰相イオリの本音だ。
楽師が奏でる舞曲が二曲目に入ると、宴の主役が、カレンナに引きずられるように大広間の中央に進み、ゆったりとした円舞曲を舞い始めた。
巧みと言える足さばきではないが、心根を映したような丁寧な舞いと、揺れる絹糸の髪を纏う清らかともいえる佇まいに、歓談していた周りの客もしばし見惚れた。
この時だけは、宰相イオリも一瞬視線を留めたが、フンとばかりに主君に目を向ければ、皇帝グランジウスは、初めて見るだろう兄の舞いに眩しいものでも見るように目を細めていた。
円舞曲が終わると、いつの間にか列席者の視線を集めていたセシルとカレンナに割れんばかりの拍手が送られた。
一番驚いたのは当の本人で、セシルは、まさか自分が拍手を受けるとは思ってもみず、下を向き恥ずかしそうに元の場所に戻ると、今度は、前家令ムロトたちに替わり、カレンナの母でもある叔母ディアンナの夫妻が待っていた。
「セシル、叔母と言う立場も忘れて見惚れてしまったわ」
「……み、見惚れてって……」
叔母の称賛の言葉に、隣に立つ叔父リュードも、
「セシル、我が妻を君と踊らせると思うと妬けるねぇ」
「お、叔父上」
「父様、母様、セシル兄様をからかっている場合ではないわ。その前にお色直しがあるでしょ。セシルを控の間に連れて行ってちょうだい」
今日二人は、セシルの介添え役を頼まれていた。カレンナは、両親にセシルを任せると、颯爽と責務に戻っていった。
大広間を出ると、控の間が並ぶ廊下を進んだ。セシルに用意された部屋は、角曲った奥にある一番大きな部屋だ。控えの間の扉を開けると近侍のマヒロとワンヘイが、待ち構えていた。
「殿下、何か不都合はございませんでしたか?」
セシルの顔をみるなり、マヒロが、問う。
「うん。大丈夫だよ」
マヒロの祖父は、宴の列席者でもあり、有力な公爵ムロトだ。その力を使い、皇帝のグランとは別に情報網を持っている。貴族たちに絡まれたことなど、マヒロは、とっくに知っている。しかし、セシルが、大丈夫と言うのなら、今は、そう言うことにする。
マヒロは、気を張っているセシルを椅子に座らせ、茶を入れた。一息つかせると、次い、ワンヘイと二人で新しい衣裳に着替えさせた。今度の衣裳は、セシルの母フィオナの故郷蒼の大地をイメージしていた。抜け目のない宰相イオリは、セシルの衣裳も外交の手段に使ったのだ。当然グランは、良い顔をしなかったが、瑠璃色にセシルの白い髪は、良く映える。
準備を整え、叔母夫妻と共に廊下に出た。マヒロ達も見送る為にドアの前に並んだ。近侍が、許された場所はここまでだ。
廊下には、等間隔で正規軍が、警備の為並んでいる。その間を叔母夫婦とセシルが進む。大広間へと角を曲った時だ。セシルは、突然腕を掴まれ壁に抑えつけられた。
「……ぐっ」
うめき声を上げ、目を開けると酒に染まり欲に据わった眼があった。その持ち主は、昨日、皇族入りの儀式に乱入したゲオリュマだ。
「セシリエス、昨日の透け透けの衣裳が、目に焼き付いてな」
「……は、放して下さい」
セシルが、ゲオリュマと会うのは、三度目だ。皇族入りの儀式に乱入してきたときにも悪寒が走ったが、直接触れられるとそれ以上の恐怖で体が動かない。
「ゲオリュマ、無礼だぞ」
「ゲオリュマ、止めなさい」
叔父リュードと叔母のディアンナが、戒めようとするが邪魔が入った。、
「年寄りは、ひっこんでた方が良いですよ」
割って入ったのは、皇族の丘に住む四家の一つターベレ家の二人の息子だった。まだ若いが、体だけはリュードをしのぐ体格だ。
この暴挙に、正規軍は、壁に張り付いたまま顔を伏せた。彼らの仕事は、不法侵入した凶徒を取り締まる事であり、皇族を取り押さえることは出来ない。ましてや、ノリュモの息子たちは、素行が悪いと評判だが、皇位継承権を持っている。序列でいえば、継承権のないセシルや叔母夫妻より上と言うことになる。
「その汚い手を離せ」
廊下に声が響く。見れば、いつの間にか近侍のマヒロが、立っていた。その手は、剣にかけられている。
「ふん。近侍ごときが、誰の許可を持ってここにいる。その剣を抜いてみろ。どうなるかわかっているんだろうな」
身分は、絶対だ。公爵の位を持つマヒロだが、この場で皇族に不敬をはたらけばただでは済まない。
「マヒロさん、駄目だ。剣から手をはなして」
セシルが叫ぶ。自分の為にマヒロを犠牲には出来ない。
「さあセシリエス、大広間で踊りなどと女子供の遊びをするより、この僕と夜の庭で楽しいことをしようではないか」
ゲオリュマが、セシルを抱え込んだ時だ。
「セシリエス殿下、私と一曲踊っていただけないでしょうか」
揉み合うセシルとゲオリュマの前に凛とした声が、割込む。セシルは、、腕を掴まれたまま、目を向けた。その先には、跪き頭を下げる男がいた。男が顔を上げた。
廊下の床は、大広間に比べ薄暗い。しかし、その男の周りだけは、豪華な薔薇が咲いたような華やかさが漂った。
「……アラン……」
セシルの口からその名がこぼれる。
―― アラン・ナンジョウ・ローダンゲン
帝都までの旅の途中で出会い、生まれて初めてできた友だち。
「たわけ者。公爵ごときに用はない。失せろ」
ゲオリュマが、すごんで見せるが、アランは、ひかなかった。
「公爵という身の前に、一人の友人としてここにおります」
「馬鹿が。何が友人だ。この世は、身分こそが全てだ。そこをどけ」
ゲオリュマが、セシルを連れ出そうと、立ち塞がるアランを突き飛ばした。
「ゲオリュマ、その手をお放しなさい。あなたが、身分を嵩に着るなら私の命令に逆らえないはず」
現れたのは、車椅子の皇女と呼ばれるプリューム・マートル・ローダン。皇位継承権第三位を持つ。
「何だと、この半端者のいかず後家が」
「なんとでもおっしゃい。序列でいえば、私が上よ。私が、周りの正規軍に命令すれば、あなたを不敬罪で取り押さえることが出来るのよ」
「なんだと」
見れば、すでに正規軍も剣に手を掛けている。
「わかったら、さっさとこの場を去ることね」
「お、覚えていろ」
「ええ、私、記憶力はすこぶる良くてよ」
悪役の決まり文句に皇女プリュームは、余裕の笑顔で応え、ゲオリュマは、退散した。
「ありがとうございました」
セシルは、並んだプリュームとアランにがばりと頭を下げた。次いで叔父のリュードも加わり、感謝の言葉を述べた。
「セシル、叔父様、もういいですわ。それに騒ぎを聞きつけたのは、アランなの。少し休もうと控室に戻る私の車椅子をアランが、押してくれて。ちょうどその時に」
プリュームに名を出されたアランは、改めて胸に手を当てた。
「セシリエス殿下、お久しぶりです。お元気そうでなによりです」
「……アラン。……また、会えてとてもうれしいです。それに、また助けてもらって……」
言葉に詰まるセシルにプリュームが、声をかける。
「セシル、いいかしら。アランが、あなたと踊りたいと言っているの。あなた、男性とも踊れて?」
「……えっと、あの……」
確かに同性同士の婚姻が認められ、同性同士で踊っている組もあるが、絶対派ではない。
「殿下、踊れますよね。右役(女性のパート)を」
「え?」
なぜ、知っているのか疑問に思ったが、アランの花が咲いたような笑顔に釣られ、思わずセシルは頷いてしまった。
アランは、今度は正式に胸に手を当て跪いた。
「ご無礼は承知。セシリエス殿下、私と一曲踊ってください」
「……はい」
お色の直しを終え、宴に戻ったセシルをみて列席者から驚きの声が上がった。隣に立つのは、アラン・ナンジョウ・ロウダンゲンだ。
そして、はからずも、幼馴染のカイトとよく踊った、また保養所で一人踊った曲が流れてきた。
アランが、手を差し出した。その手に、セシルは、そっと手を添えた。最初は、戸惑いながらステップを踏むセシルだったが、アランの巧みなリードにのせられ、気持ちも高揚していった。そのうち、初めてペアを組むとは思えないほど息もぴたりと合い、アランが、即興でカイトと同じタイミングでふわりと回らせた時には、セシルも何の迷いもなくふわりと舞った。
大広間の視線は、再びセシルに向けられた。今度は、薔薇の貴公子と一緒だ。皇族貴族の令嬢たちから、歓声と妬みの悲鳴があがったが、アランとのダンスを楽しむセシルの耳には届かなかった。
「アラン、本当にありがとう」
「セシリエス殿下、礼にはおよびません」
また、くるりと回されたセシルは、言った。
「……あのアラン、俺とアランは、友だちだよね。……出会ったときのように、もっと堅苦しくなく話してほしいんだ」
「そうはいきません。私は、たかだか公爵の身であり、あなた様は、皇族です」
「……でも」
「では、二人で踊るこの時だけ、セシルと呼ばさせていただきます」
「うん。ありがとう」
「セシル」
「うん。アラン、これからも友だちでいて下さい」
「ありがたき幸せ」
曲が終わり、二人は胸に手を当て、静かに礼をとった。
薔薇の貴公子と白の皇子に惜しみない称賛が与えられたが、その中で厳しい視線を向ける者がいた。皇帝グランジウス。グランは、兄が、男性と踊れるとは思ってもいなかった。それも自分ではない男と楽しそうに。
あそこまで、女性パートを踊れるということは、初めてではないだろう。では、誰が、教えたのか。聞くまでもない。
兄セシルと初めて踊る相手が、自分ではない。そして、今、踊っている相手も自分ではない。皇帝グランジウスの胸は、焼きつくほど熱くなっていた。




