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セシルとグランは、久しぶりに二人で皇宮の庭に出た。
明日、皇族入りの儀式が行われ、夜には身内だけとも言える小さな晩餐会があり、明後日は、いよいよ五百人の客を招いた祝宴がある。
グランは、明日からの大事な祝典を前に、今日は一日休みをとった。
「兄上、お連れしたい場所があります」
グランが言った。
皇宮の敷地は広い。正面にある庭園は隈なく知っているが、当然まだセシルが入ったこともない場所もある。グランの後について行くと、皇宮の裏手の雑木林に出た。
これまでの計算尽くされた庭園とはちがい、見上げるほどの木々が、好き勝手に枝葉を伸ばし、その木の間を遠慮がちに小道が敷かれていた。
そっと足を踏み入れれば、小道は、庭園とは違い石畳もなにも敷かれていない。ただの土の上を皇帝とその兄が、ただ歩く。
林の中にサクサクと二人が歩く音だけがする。たまに林が、風を誘ってサワサワと葉音を加えてくれ、鳥もピヨピヨ、ピピピッと綺麗な声をおまけしてくれる。あのさえずりは、夏の来訪を告げるキビタキか。
立ち止り、空を見上げれば、葉と葉の隙間から陽ざしがちらほら降って来た。
ああ、そうだ。この空間は、どこかアモルエの森に似ている。体を包むのは、懐かしい土と草木の匂い。作られた香水のような庭園とは違う。
華やかな花の色も見事な噴水も彫刻もないが、心癒される。
「グラン、静かでいいところだね」
「……」
グランは、満足気なセシルに目を向け、自身も満足気な表情を見せたが、応える代わりに視線を巡らした。
「……子どもの頃、母の目を盗んでよくここに来た。」
「えっ……。そう、なんだ」
初めて聞くグランの母の話。
だがそこから、母親への感情は読み取れない。
―― 眼を盗んで ――
グランの口から出た言葉。
それは、逆に言えば、目を盗まねばここに来られなかったということだ。
更に言えば、ここに母親と共にとか、親子で手を繋いでとかいう光景は、あり得ないということだ。
幼いグランは、この林の中にたった一人有った。
やり切れない思いを隠すように、セシルも、グラン同様視線を巡らすと、今度は、ジジジジーとニイニイゼミが鳴き出した。やっぱり夏は、そこまで来ているらしい。
ふと、一本の木がセシルの目に入った。小さな薄紅色の花が咲いている。
「あ、あの木は、……」
セシルは、思わずその木の側に駆け寄った。
「やっぱりそうだ。カリンの木だ。アモルエの家の前にも植えてあったよ」
遠い記憶がよみがえる。セシルが子どもの頃、風邪をひくとカリンの実を蜂蜜漬けした汁を飲まされた。
セシルは、懐かしさに木の幹をなでながら、後ろで聞いているだろうグランに言った。
「グラン、知ってる?カリンの実はね、咳止めになるんだ。だから、母さんの故郷の『蒼の大地』では、子どもが生まれると子どもの為に庭にカリンの木を植えるって言ってた」
セシルは、そう言った後、首を傾げた。
「……でも、このカリンの木は、誰が植えたんだろう?」
「あいにく私は存じませんが……」
グランの言葉に、セシルは、そうだろうと思った。グランは、草花に全くと言っていいほど興味がない。
「先代皇帝ダヴィーグ様です。ダヴィーグ様が、自らの手で植えられました」
突然、背後から告げられた声にセシルは振り返った。
「……ム、ムロトさん」
「陛下、セシリエス殿下、お久しぶりでございます」
前家令ムロトが、胸に手を当て頭を下げた。
―― ムロト・アコウ・ローダンゲン
セシル兄弟の父である先代皇帝ダヴィーグに仕え、つい数か月前まで皇宮の家令の職に就いていた。秀逸と称され、皇帝の居宅である皇宮をその手腕で長い間守り支えてきたのだ。
しかし、セシルの起こした騒動の責任をとり、ひそやかに皇宮を去った。
今現在、近侍頭を務めるマヒロは、ムロトの孫に当たる。
「……ムロトさん、……どうして……」
セシルの瞳には、みるみる涙が膨れ上がる。
「殿下の晴れの舞台でございます。公爵アコウ家の当主としてぜひ参加させて頂きたいと馳せ参じました」
「……ありがとう、ございます」
もっと、伝えたい言葉があったが、それだけで精いっぱいで、――ありがとうございます―― その言葉がすべてだった。
そして、セシルは、気が付いた。
祝宴には、近侍は入れない。だから、セシルを擁護するため、カレンナのヒュウガ家に加え、グランがムロトを呼んだのだ。
セシルの涙がこぼれ落ちる前に、ムロトは、グランにハンカチを手渡し、グランが、感極まり立ちつくすセシルの涙を拭いた。
セシルは、グランに拭かれるにまかせ、鼻をすすりながら、どこかで見た光景だと思った。
前家令であるムロト・アコウ・ロウダンゲンが、若い兄弟に言った。
「この林は、お二人の父であるダヴィーグ様が、幼少のころより親しまれ、よく遊び、また叱られたり兄弟喧嘩に負けたりするとここを訪れていました。
そして、カリンの木ですが、元々カリンは、『蒼の大地』の原産です。当時は、両国で戦争のさなかにありましたから、手に入れるのが大変難しゅうございました。しかし、グランジウス様が生まれたとき、ダヴィーグ様は、どうしてもこのカリンの木が欲しいと言われ、苦労して取り寄せたのでございます」
「……」
グランは、無言のままムロトを見据えた。ムロトは、続けた。
「確かその五年前にも、やはりカリンの木を求められ、どこかに送られたかと……」
「……じゃあ、アモルエのカリンの木も……」
これまで、セシルの中で、父と言う言葉に実感が伴ったことはない。
―― 誰かの幸せを想う ――
その言葉が、セシルの胸に浮き上がる。
父ダヴィーグは、二人の息子の幸せを思い描き、願い、思いやりカリンの木を植えたのか。
セシルは、グランの手をそっと握った。ゆっくりとグランも握り返して来た。
二人で父が植えた木を見上げると、小さな薄紅色の花が風に揺れた。
父親の顔を見たこともない兄とすぐ側にいながら父親の愛に触れることの出来なかった弟。
グランは思う。そう言えば、初めてここに連れて来てくれたのは、父だったかもしれない。
微かな記憶の中にやたら機嫌のいいダヴィーグと無愛想な自分がいた。
その後、三人は、皇宮の居間である『樹冠の間』にいた。
これまでは、家令として主に茶を入れていたムロトだが、今日は、客人の公爵として訪れた。
今、茶を入れ、運んできたのは、近侍頭のマヒロだった。マヒロが、いつもと変わらず卓の上に茶器を並べると、セシルが思い出したように言った。
「そう言えば、マヒロさんは、ムロトさんのお孫さんだと聞きました」
「はい。不肖の孫が、お世話になっております」
「とんでもない。お世話になっているのは、俺のほうです」
「そう言って頂ければ、幸いにございます」
ムロトは、目じりに皺を寄せ笑顔を浮かべたが、マヒロは、仕事中とはいえ表情を変えずそっけない。
「マヒロさん、久しぶりに会われたなら、ゆっくりとお話でも」
「ありがとうございます。ですが、お気遣いには及びません。私は、殿下の近侍ですから」
マヒロの全ては、今セシルを中心に回っている。その為に、公爵アコウ家の出であることも、前家令ムロトの孫であることも隠すことはしなかった。
忠誠を尽くすセシルを護るために、利用できるものは、なんでも利用する。年若く、皇子の近侍になり、近侍頭に昇った。周りの厄介な声を抑えつけるのに、前家令ムロトの名は、強い効力を発揮した。
祝宴の衣裳を作る為に帝国有数の仕立屋に依頼するのにも、用向きで宮殿を訪れるさいも、アコウ家の――、公爵家の――と言うだけで、相手の態度は豹変し、事がすんなり進んだ。
だが、それでも足りないくらいだ。なにしろ主であるセシルは、白の民だ。
何よりも大切な主を護るために、マヒロは、心血を注ぐ。
明日から祝典が、始まる。セシルの今後を左右する大事な祝典だ。
そのために、これまで、抜かりなく準備は整えてきた。セシルを傷つける者は、容赦なくむかえ討つ。重宝する祖父ムロトも到着した。
マヒロの瞳は、すでに明日を見据えていた。




