52(改)
『愛』という道には、三つの道がある。
一つは、自分だけが満足し、自分の幸せの為に求める道
もう一つは、相手を想い慈しみ、相手の幸せを願い捧げる道
カイト・アモウは、セシルが幸せになる為にセシルの幸せを願い、自分の気持ちを押し殺し身を引いたのだ。愛してやまないセシルをグランに托したのだ。
グランは思う。自分は、どうか。
セシルに出会ったばかりの頃は、セシルを自分のものにすることばかり考えていた。皇宮に閉じ込めもした。だが、今は違う。
カイトに托されるまでもなく、これからは、グランもセシルの幸せのために生きるつもりだ。
ただ、それだけではない。
自分自身も幸せにならなければならない。兄セシルは、誰かの犠牲の上にのっかった幸せなど望まないだろう。……カイトの件は、いたしかたないが……。
グランの進む道は、共に互いを慈しみあい、共に幸せを感じ、共に築く愛だ。
皇宮にある『樹冠の間』は、皇帝の家族が、食事をとりくつろぐ為の場所だ。
いつものように、グランと二人で昼食を終えたセシルが、目を輝かせ、珍しく夢中になって喋っている。午前中、皇宮の庭を散策してきたのだ。
その様子を、グランは、卓の上に頬杖をつきただ黙って眺め、マヒロも邪魔をしないよう、空になった器も下げずに、そのまま干乾びるのにまかせている。
「……グラン、聞いてた?……えっと、疲れてる?」
「大丈夫です。聞いておりました。兄上が、とても楽しげでしたので……。庭に紫色の藤と白い藤が一緒に咲いていたという事ですよね」
「そうなんだ。ワンヘイさんが言ってた。多分あれは、二つの木が、途中で絡まってそのまま大きくなったんだって。とにかく、とっても綺麗だった」
「それは、よかった。兄上は、草花がお好きですね」
「うん」
セシルが、皇宮に来て一月と半が過ぎた。
もう、たった一人の家族である弟を残して、アモルエの森に帰ろうとは思わない。支えるなどとおこがましいことは言わないが、兄として不要と言われる日までは、何があっても傍らにいるつもりだ。
ただそれでも、セシルは、ここに来るまでずっと森の中で過ごしてきた。自分で畑も作り、いつも木や草花の中にいた。だから、緑を見ると落ち着く。だから、二週間ほど前に来た新しい近侍ワンヘイが、土いじりが好きで草花に詳しいと知ったときは嬉しかった。
近侍ワンヘイは、家令ボウヘイの弟だ。家令ボウヘイは、秀逸と称された前家令ムロトの後を継ぎ家令になった。しかし、ムロトと違いオーラを纏っているわけではない。程よく膨らんだ腹と垂れた目じりをさらに下げた笑顔をいつも浮かべている。
セシルは、家令ボウヘイのその親しみやすさと穏やかさが好きだった。
ワンヘイは、兄ボウヘイをさらに倍以上に膨らました体をしていた。縦にも横にも大きく、立派な ーいわゆる太鼓腹をしている。華奢なセシルなど後ろに三人くらいは隠れそうだ。
親衛隊ならいざ知らず、これまでセシルが目にして来た近侍は、マヒロをはじめ皆品位を持ち、悪く言えば、どこかとりすました貴族然とした者が多かった。
予想を超えた新しい近侍の図体に載っている顔は、やはり垂れた目じりを下げた笑顔だった。
グランが、午後から評議会があると宮殿に戻り、セシルが午睡を終え、自室である『新緑の間』の居間で寛いでいると何やら廊下が騒がしい。
「……お待ちください。……お待ちください……」という焦りを滲ませた声は、セシルに忠誠を尽くす親衛隊班長オルゲムントのものに違いない。
巨体の近侍ワンヘイが、セシルの前に立ち、マヒロが後を固め、居間の中にいた飴玉隊髭面ボウスが、剣に手をかけた。 ――前近侍エカシーの事件以来、居間の中にも飴玉隊が常駐することになっていた。
バタバタと足音が近づき、勢いよく扉が開けられ、セシルの体がビクンと跳ね、現れたのは、癖のある豊かな黒髪を腰まで流した若い女だった。
次に、額に汗を浮かべた飴玉隊オルゲムントとやはり汗を浮かべた侍女が続いた。
オルゲムントは、セシルたちと女との間に入り、女に向き直った。
「カレネリューナ姫、いかに姫君といえども、先触れもなく訪れられるのはいかがなものかと」
「ええ、そうね」
セシルは、オルゲムントの言葉に驚いた。
「えっ、……姫様……」
今、自分がこうしている場所は、『皇族の丘』と呼ばれる場所なのは知っている。しかし、これまで他の皇族の姿を見たことがなかった。
カレネリューナ姫と呼ばれた女は、続けた。
「でも、私は、半月も前からグラン兄様にお面通りを願っていたのよ。お迎えした私の従弟でもある殿下に一度お目もじしたいと。……それなのに、あのグラン兄ったら……」
「……グラン兄?」
セシルの前には、巨漢の近侍ワンヘイと親衛隊オルゲムントが盾になっている。その為、カレネリューナ姫の姿はよく見えない。しかし、姫らしくない最後の一言は、確かに耳に届いた。
セシルが、首を傾げていると、また、廊下を掛ける足音が響き、やはり勢いよく扉が開けられ、新たな来訪者が姿を見せた。
「あら、リオン兄様、お帰りなさい。お久しぶりね」
「……ハァハァ、……カ、カレンナ、……お前は……」
せっかくの妹の出迎えの言葉だが、皇子リオンには返す気力もなかった。
『黒の大地』の諸国を巡り、ロウダン帝国に二か月ぶりで戻り、我が家である宮に帰れば、カレンナが、制止もきかず皇宮に向かったと言う。
そこには、以前毒蛇をも倒す熊かといわれたセシリエスがいるはずで、耳に届いた話では、あの鋼と言われたグランが入れ込んでいるとのことだ。
疲れているとはいえ、皇宮の廊下とはいえ、走らずにはいられなかった。
「……あ、あのう……」
巨体の近侍の陰から顔を覗かせたセシルをマヒロが押し留めようとするが、セシルは、やんわりとその手を抑え、来訪者たちの前に姿を現した。
どうやら、この二人は、自分に用があるらしい。ならば、先ずは挨拶を、と。
「は、初めまして、……セシリエス・シドウ・ロウダンです。……ふ、ふつつかものですが、よろしくお願いします」
セシルは、そう言うと胸に手をあて頭を下げた。
つっかえながら何とか挨拶できたと思ったセシルだが、目の前の二人は、固まったように動かない。セシルの側仕えたちも、胡乱な眼差しでみつめた。いかに皇位継承権を持つ二人とはいえ、皇帝の兄であるセシルの挨拶に応えなくていいはずがない。
『新緑の間』の住人たちが、訝しげ視線を向けていると、視線の先のカレンナが、扇子で口を隠し肩をふるわせ始め、そしてとうとう堪え切れず噴き出した。
「……プッ、フフフ……アーッハッハッハ……」
「カレンナ、失礼だぞ」
兄リオンの叱責にも笑いは止まらない。セシルも、不安になった。
「……すみません。俺なにか、失礼なことでも……」
その問いに、カレンナは何とか笑いを抑えながら答えた。
「……だって、……〝 ふつつかものですが 〟とかって、……まるで花嫁の挨拶みたいですわ。……プッ、フフフ」
やはり、笑いは、抑えきれなかった。
「……は、花嫁って……」
セシルが、カレンナの言葉に顔を真っ赤にしていると、三たび扉が勢いよく開かれた。セシルが与えられている部屋は、決して狭くはないはずだが、新たな人物の登場で一気に圧迫感が増した。
「リオン、説明しろ」
現れたのは、皇帝グランジウスだった。
「私の承諾もなしに兄上の元に押し掛けるなど、どう言うことだ」
「すまない、グラン。カレンナが、迷惑をかけた」
「お前は、妹の制御もできんのか」
グランの怒りの形相にも、自身の行動を咎められていることにもカレンナは動じない。
「あら、グラン兄様、殿下をいつまでも隠してらっしゃるからいけないのですわ。私、熊か何かと言われるから、どんな方かとずっと会いたいと思ってましたのよ」
「……く、熊って……」
「なんだと」
熊扱いされたセシルは、一瞬絶句したが、荒げられた声に目を向ければ、鋼と呼ばれるグラン眼は更につり上がり肩をいからせている。セシルは、直ぐにグランの前に駆けより鋼の腕に手を添えた。
「待ってグラン。姫様は、ただ俺の顔を見たかっただけで……」
「兄上は、見せ者ではない」
それは、確かにその通りで、熊扱いしたカレンナも
「ええそうですわ。こんなかわいい熊さんなら大歓迎ですわ」
と、同意したが、話は噛み合っていない。おまけに付け加えられた言葉にセシルは脱力した。
「……かわいいって、俺、男だし、そんな歳じゃないし……」
「そうだ。兄上を可愛いとなどと言うのは百年早いわ」
「あら、セシリエス殿下は、年下の私から見ても本当にかわいい方ですわ」
「カレンナ、いい加減にしなさい」
周りを囲んだそれぞれの側近が呆れ果て、収拾がつかなくなったその場をおさめたのは、皇子リオンだった。
「セシリエス殿下、この度は、失礼いたしました。
改めまして、私、リオネーリュ・ヒュウガ・ロウダン。そして、これが、妹のカレネリューナ・ヒュウガ・ロウダンです。
殿下の父上と私の母は、兄妹でした。これから、よろしくお願いいたします」
そう言うと、リオンは、セシルと同様に胸に手をあて頭を下げた。胸に手をあてるのは、精霊に誓って、誠意を込めてと言う意味がある。
「ありがとうございます。リオネーリュ殿下、カレネリューナ姫」
「あらセシリエス殿下、私たちは従兄妹同士。リオンとカレンナと呼んで下さいませ」
カレンナも胸に手をあて、ドレスをつまんだ。
「あの、……それなら、俺の事もセシルとお呼び下さい」
やっと収まりかけた場だが、唯一人の最も厄介な男の一言で振り出しに戻った。
「兄上、何を仰っているんです。愛称で呼ばせるなどこの私が許しません」
息巻くグランの腕に、セシルが「グラン」と名を呼び、また手を添えた。
「ね、落ち着いて。だって、親戚なんだろ。従兄妹なんだろ。俺、そう言うのに憬れてたんだ。子どもの頃、カイト兄さんの所にも従弟が遊びに来たって言ってて……。でも、俺には誰もいなかったから。……せっかくできた従兄妹なのに、他人行儀な呼ばれかたは、寂しいだろ」
「……しかし……」
皇子リオンは、ロウダン帝国皇帝の腕に添えられた、男にしてはやや小さい手を見つめていた。
約二ヶ月に及ぶ視察を終え、宮殿の正殿に戻ると、グランをはじめとする重役たちは、評議会の出席のため皆席を外していた。とりあえず、報告書だけを提出し宮に帰った。
その宮殿と宮をつなぐ短い時間、他者から見れば、ただ廊下を歩いていただけに見えただろうが、そうではない。リオンは、宮殿を開けていた間の情報を得ようと神経を張り巡らしていた。すれ違う文官や、貴族、侍女や衛兵に至るまで小さな動き言葉も漏らさぬよう、五感を働かせていた。
感じたのは、 ―― きざし ―― だ。
二ヶ月前ここを発つ時は、冬を終えたばかりと言う時節もあるが、どこか影があった。皇帝であるグランが寝食を削り帝国を導き今の平安の世を得ているが、全てが順調なわけではない。相変わらず強欲な貴族がのさばり、周辺諸国との摩擦があり、容赦なく自然が猛威を振る。
しかし、久方ぶりに宮殿に戻れば、全てが完璧に解決しているわけではないが、兆しが見えるのだ。その兆しは、厳しい寒さを乗り越え、春の陽ざしを浴び、草花が芽吹き、蕾膨らむ 萌し にも似ていた。
そしてその、要因は、どうやら『 皇子セシリエス 』らしい。
聞こえてきた噂は、―― 鋼は、色なし殿下に入れ込んでいる ――
入れ込んでいようが、何だろうが、良い結果を生んでいるうちはいい。だが、篭絡され身を持ち崩すことは避けねばならない。
その為にも、リオンは、皇子セシリエスという人物を見極める必要があった。
グランは、鋼とも賢帝とも呼ばれる。しかし、一方で愛を知らない、愛に飢えた餓鬼だ。蓄えた愛もなく、心は、がらんどうだ。
飢えていれば、ゲテモノでも口に入れる。平時なら見抜ける悪意も謀略も目に入らない。
妹カレンナもそれを危惧し押し掛けたのだ。熊を見定める為に。
駄々をこねるグランをセシルが宥め、その後はと、皆が固唾をのむ中、カレンナが言った。
「ねえ、それでは〝 セシル兄様 〟ってどうかしら」
すると、セシルが、今度は、ぽっと顔を赤らめた。
「兄上、どうしました?」
「……妹も……欲しかったんだ」
「……兄上。いささか欲張りすぎです。……従兄妹も、妹もとまったく。弟の私だけで満足していただきます」
「……うん。……わかった」
「……クックック、……アーッハッハッハ」
今度は、皇子リオンが噴出した。
こんなグランを見たのは、初めてだった。……こんなに表情豊かで、こんなに幸せそうで……。
もう何も言うことはない。グランのことは、この〝 かわいい熊 〟に任せた。
怒るグランの腕にそっと添えられた手、それは、相手を抑えるものではなく、
―― 大丈夫 私はすぐ傍にいます 私はあなたの味方です ――
と、伝えているのだ。おそらく、セシル自身は、無意識に行っているのだろう。グランを想うからこそ自然と体が動いたのだ。
セシリエス・シドウ・ロウダン様、どうか、からっぽな器にいっぱい愛をそそいで下さい。愛で満たしてやってください。
いや、すでに満たされているのだろうか。




