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男は、カイト・アモウは、細身でグランほどではないが背が高い。一見すると、役所の文官らしく穏やかで落ち着いた空気を纏っているが、服を脱げば、鍛えられた無駄のない筋肉があらわれるはずだ。同じ剣を扱う者として、立姿、歩く姿から想像できる。兄セシルより三つ年上だから、今三十一歳。グランの、八つ上だ。
実は、グランがカイトの姿を目にするのは初めてではない。
愛しい兄の口からカイトの名を聞き、また、親衛隊長ドモンも警戒するその男は、図らずも自分の足元である宮殿に身を置くのだ。どんな奴か見てみたいという衝動が起きるのは当然だろう。
グランは、日をおかず、宰相イオリに案内させ、宮殿の役人を監視するための仕掛け鏡を覗いた。この鏡は、こちらからは透けて見えるが、相手からは普通の鏡にしか見えない。
二十人ほどが机を並べる広い事務室の中、グランの見つめる先には、ペンを握り文書に向き合う何のこともない凡庸な文官がいた。確かに、見た目の緩い癖のある短い黒髪とやわらかな佇まいは、くだらない女官たちの胸をくすぐるかもしれないが、それだけだ。
グランが一瞥を投げた後、興味を失いその場を去ろうとしたその時、取るに足らないはずの文官が、視線を上げ、そして、こちらをまっすぐに見つめ返して来た。見えるわけがない鏡に向かい、感情を一切読み取らせない眼で――。
唯一、グランのもとに届いたのは、臣下としての皇帝への敬畏ではなく、一人の人間としての視線だった。
今、その男と対峙している。
カイトが、礼を直れ口を開いた。
「グランジウス皇帝陛下、陛下をお招きするということで、私の隠れ家の中でも一番上等な場所を選ばせて頂きました」
「……」
隠れ家を持ち、それも一つではないということを仄めかす時点で、ただの文官ではない。それを隠そうともしないカイトは、少なくともグランよりも八年の時を蓄積させた大人の余裕さえ感じさせた。
穏やかな笑みで自分を迎え入れた男を、グランは黙したまま唯見据え、カイトはそれに介さず更に言う。
「ところで陛下、ここへはロウダン皇帝として参られましたか?それとも……」
「ここへは、セシリエス・シドウ・ロウダンの弟として一人できた」
「そうですか。……では、扉の影の耳目は?」
「何?」
グランは、後ろを振り返り、自分が入って来た扉に視線を向けた。ギィーという音とともに開いた扉の隙間から巨体を滑り込ませてきたは、ロウダン帝国皇帝付親衛隊長ドモン・ハリュウだった。
「ばれてたってわけか」
やはりこちらも傭兵崩れというより昔に戻った出で立ちで、悪びれる様子もなく、ボリボリ頭をかいての登場だった。
「ドモン、何故ここにいる?」
「グラン、俺を見くびんなよ。おめえの考えてることぐらい手に取るようにわかるぜ」
「なら、直ぐにでもここを去れ」
「まあ、そうつれないことを言うなって」
ドモンは、そう言うと、今度は、カイトに向いた。
「なあカイト・アモウ、取引しようぜ」
「取引?」
「ああ、そうだ。……カイト、おめえさんの願いは、ただ一つ。セシリエス殿下の幸せだ。これまでのことから、間違いねえよな?」
「……」
応えないカイトの眼差しから、やわらかさが消える。しかし、ドモンは、構わず話を続ける。
「だったら、俺もこの話に混ぜてくれたら、おめえさんの大切なセシリエス殿下を守る為に俺の持つ力を尽くす」
「……」
「今の状況は、お前より俺の方が殿下の近くにいる事が出来る。情報も取りやすい。悪くない取引だと思うが」
「……いいだろう」
カイトは、アモウ家の血をひく。親衛隊長ドモン・ハリュウが、信のおける人物たるは、既知のことだと言える。
カイトは静かに頷き受け入れ、ドモンがニヤリと口角を上げたが、グランは気に入らなかった。ドモンの〝おめえさんの大切な〟と言う言い草が、どうにも気に入らなかった。
「おい、勝手に話を進めるな。兄は、俺一人で守る。誰の手も借りない」
言い放つグランに、カイトが冷めた視線を向けた。
「ほう。陛下、それでは、先日の近侍たちの不始末は、どう言い訳するおつもりで」
「なん、だとっ」
グランが、カイトの胸ぐらをつかむ。
セシルに不敬を働いた近侍エカシーらの事件は公の場で裁かれ、当然のごとく宮殿内に知れ渡り、一時は騒然となった。
グランにとっても、事件からまだ日が浅く、まして傷ついたセシルを思うと強い慙愧の念に駆られる。
「やめろグラン。こんなことをする為にここに来たわけじゃないだろう」
「……」
ドモンが二人の間に入り、グランがやっと手を離した。
大げさにふぅーっと息を吐き、ゆるゆると頭を振ったカイトは、崩れた服を直すと言った。
「陛下、ここにセシーの弟として来たのなら、皇帝としてではないのなら、対等でよろしいですか?それから、俺にとって、セシーは皇子でも何でもない。セシーは、セシーです。」
―― セシー ――
「……カイト兄さんだけが、俺のことをそう呼ぶんだ……」
兄セシルが、懐かしそうに話していた。
対等の位置で渡り合う。望むところだ。
「かまわない」
「いいんじゃね」
三人は、同じ卓を囲んで、椅子に腰をおろした。皇帝と平民が、同じ席に着くなど普通は、あり得ない。ドモンは、別だが。
初めに口を開いたのは、カイトだった。
「早速ですが、私に尋ねたいこととは?」
「想像が付いていると思うが、先ずは兄セシリエスの力のことだ」
「ええ。いつかは気付くと思っていましたが、思ったより早かったですね」
「兄が、私の拳の傷をなめたのだ」
カイトは、グランの拳をちらりと見たが、何故、傷を負ったのかなどとは聞いてこなかった。おおよその察しが付いているのだろう。
「白の民は、稀に不思議な力を持って生まれるのです」
「それは、知っている」
「……セシーの力は、セシーの母フィオナ様によれば、細胞の活性化というものだと言うことでした」
「細胞の活性化?」
「さい、ぼう?なんだそりゃ」
三つの大地の中で、『赤の大地』は、豊富な鉱物や燃料を持つため、別名――資源の大地と呼ばれ、『黒の大地』は、屈強な軍隊を有することから ――力の大地と呼ばれる。『青の大地』は、手先の器用さから様々な技術が発達し 、――技の大地と呼ばれた。その中で医術も三つの大地の内で最も発達していた。
『青の大地』出身のフィオナが医術に明るいのも頷けるが、『黒の大地』の平民出のドモンが、〝 細胞 〟という言葉を知らないのも頷けた。
カイトが続けた。
「皮膚を新しく作り、傷口を塞ぐのではなく、傷口が治るのを早めると言ったらおわかりでしょうか?」
そう言うとカイトは、幼い時に負った火傷の話をした。普通なら命も危なかった事、かぶったお湯に対し残った痕も小さく、痕の引き攣れによる障害もなかった事、全てセシルの力のおかげだと。事の原因が、セシル ――『白の民』―― の所為だったとは、ひとことも言わない。
「その治癒の力は、セシーの血液、涙、唾液など、全ての体液に宿っているそうです。しかし、セシーは、自分の力の事は、いっさい知りません。フィオナ様も伝えませんでした。隠す事も偽る事も苦手な性格ですから」
ドモンも頷いた。
「確かに、殿下に嘘をつけと言っても無理だもんな。あの性格なら、怪我人でもみれば、誰彼ともなく舐めてしまいそうだぜ」
「させるかっ」
「させないっ」
ドモンの言葉を想像し、グランとカイトは、同時に叫び、同時に顔を顰め、睨みあった。
グランが、口を開く。
「貴様は、アモウ家とはなんだ?」
「……この世界がどうして生まれたか、この世界の創世物語をご存知ですか」
「当然だ」
「では、どうして我々は、自分たちの生まれる前の話を知っているのでしょう?」
ドモンが口を挟む。
「そんなもん、お伽噺に決まってんだろう」
「そうかもしれません。また、そうではないかもしれません。子どもが、自分が母親のお腹にいた頃の記憶を持っている事があるのを知っていますか?」
「ああ、俺が、寺院の衛兵をやってた頃聞いたことがあるぜ」
「人類もこの世に誕生した当初は、自分たちが生まれた経緯の記憶を持って生まれて来たのです。それでも、やがて時を重ねて行くうちにその記憶は消えて行きました。しかし、我がアモウ家は、『黒の大地』において人類の誕生からの歴史を記憶し記録してきたのです」
「どういうことだ?」
『黒の大地』の最高権力者であり、全てを知っているべき皇帝グランジウスの瞳に力が込められた。
―― 遥か悠久の時をさかのぼる ――
最愛の子を亡くした精霊は、嘆き悲んだ。あふれ出た涙の一雫は三つ分かれ、大地に降り落ち三つの湖となり、そこから精霊の子の生まれ変わりと言うべき、精霊の子と同じ姿をした人間が生まれた。『黒の大地』に出来た湖からも人々が誕生し、その後、導きられるように加護の源である黒耀石が埋まる地を目指した。
その中で、一番初めに誕生し、一番初めに黒耀石の地に辿り着いたのが、ロウダン帝国皇帝の祖だった。今、皇族の丘と呼ばれる丘の下には、黒耀石が埋まっていると思われる。
そして、湖から二番目に生まれたのが、アモウ家の祖だった。
「我がアモウ家の祖は、皇帝の祖を一目見てこの大地を統ベる者に相違ないと、共に歩みたいと申し出ました。しかし、皇帝の祖は、我が祖に言いました。
―― 汝の力、我も認めん。されば、その優れたる力で人類の生まれいでし聖なるこの湖を『精霊の湖』とし、未来永劫護りたまえ。また、我らの生まれいでし聖なる記憶を守りたまえ ――
と。
それでも追いすがる我が祖に、
―― ならば、汝の血筋の優れたる者、永代にわたり我の傍に遣わしたまえ ――
と。
その御言葉に従い、アモウ家は、精霊の湖を護り、その記憶を口伝えに残し、文字が発明されると、文に残して来たのです」
そして、アモウ家は代々優秀な人物を宮殿に遣わし、『黒の大地』が泰平の世の折りには、ただの文官武官として過ごし、大事ある時は、精霊に導かれるように時の皇帝の近傍に身を置き、支えて来たのだ。
「我がアモウ家は、平民ながら皇帝陛下から紋を許されました。その紋には、広げた羽が、描かれております。アモウとは、古代文字で天の羽と書きます。有事の際には、天の羽を持つごとく皇帝陛下のもとに駆けつけるという意味です」
「では、今は、その有事ということか?」
「どうでしょうか。今が、『黒の大地』の有事かどうかはわかりません。私は、アモウ家では変わり者でして、血に従えば皇帝陛下御身を第一に想うべきでしょうが、私の第一はセシーでございまして、セシーが、ただ穏やかに過ごせるよう尽力したいだけ。」
「貴様っ」
「そういえば、セシーも皇族の中では、変わり者に類しますかな。白の民の皇族など初めての事」
「何が言いたい?」
「あなた方は、知っておいでか。知らぬでしょうが、我がアモウ家の記憶記録では、人類の祖ともいえる精霊の子は、疎まれ卑しいと言われる白い髪白い瞳を持っていました」
「「何っ」」
二人の男の声が、重なった。
すみません。
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