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  作者: まころん
第1章
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48

今日も、梅雨の空は、飽きることなく帝都に雨を降らせている。午後の政務を終えたグランは、いつもの二人を従え、『黒耀の間』に身を移した。

グランは、定位置の長椅子へ、親衛隊長ドモンは、お気に入りの肘掛椅子に収まり、宰相イオリは、茶を入れた。



グランは、迷い揺れていた。

数日前、侍医長モーリスから、セシルの謎を解くためには、カイト・アモウと会うべきだと言われた。

兄のことを思えば、カイトと会うべきなは、理解しているのだが……。


宰相イオリのいれた茶を置き、腕を組む。


グランは、セシルと出会うまで判断に迷った事はない。

やっかいな皇族貴族の狸ども相手にし、思うように事が進まない場合もあるが、前進するにしても、方向を変えるにしても決断に迷った事はない。

最終的には、自分が責任を負えば済むからだ。それによって、自分の身がどうなろうとどうでもよかった。

決断した後は突き進むだけだ。だから、『鋼』と呼ばれた。


だが、今は違う。守るべき者がいる。自分が、兄を守らなければならない。か弱い兄を守るためには、誰といえども、この身を簡単にくれてやるわけにはいかない。


そして何よりも、自分の下した判断が、自分のみならず大切な兄に影響を与えるとなれば、どうしても慎重になる。兄が絡む事なら、尚更だ。

信を置いていた家令のムロトをやむをえず手放したのもそのためだ。兄セシルに累が及ぶ恐れがあった。以前だったら、相手が、一筋縄ではいかない正規軍でも、なんとか握り潰していた。



しかし、今回の件は、違う。

カイト・アモウが、グランを安易に襲ってくるとは思ってはいない。また、セシルが不利になる事をするとも思ってはいない。これまでの経緯と情報から、カイトが、セシルのことを一番に思っているということは間違いない。


それではなぜ、ここまで躊躇うのか

『鋼』と言われた自分がグダグダ考えるなど、らしくないのはわかっている。だが、どうも踏ん切りがつかない。

理由は、わかっているが、今は、わからないことにする。


そうだ。自分の気持ちにけりをつけるには、愛しい兄セシルを充填するのが一番だ。

「イオリ、余は、明日の政務を休む」

ドモンが、ちらりと視線を向けて来たが、まだこの二人にも話す気にはなれない。自分の気持ちが定まっていない。


一般的にロウダン帝国では、週に一日休みをとる。働き者の民は、仕事のある日は、精一杯仕事に勤しみ、休みの日は、しっかりと休む。それは、貴族皇族でも同じだ。

しかし、これまで、グランが、政務を休んだことはない。休んでもすることがなく休む意味がわからなかった。

ドモンが、訝しげな視線をよこしたのも頷ける。



一方、宰相イオリは、あっさり了承した。

「かしこまりました、陛下。

そうですね、これからいろいろ忙しくなりますから。

一週間後には、リュイファの使者が、到着するでしょう。その後直ぐに、セシリエス殿下の皇族入りの公示。そして、一か月後には、国内外へのお披露目の宴が催される予定です。殿下の衣裳やら何やら準備をしっかりとして頂かないと」

イオリは、公の準備は、こっちでするから、セシル個人の準備は、そっちでちゃんとやって下さいと言っているのだ。


確か、近侍のマヒロも、明日は、仕立屋が来ると言っていた。何であろうと、セシルと共に過ごせればそれでいい。とにかく明日は休暇を取った。


しかし、グランは、このことをセシルに伝えなかった。子供じみているとわかっているが、内緒にして明日驚かせるつもりだ。こんな遊び心は、セシルと出会う前はなかった。



夜、皇宮の『皇帝の間』に戻ったグランは、寝支度をすませると、『新緑の間』を訪れた。

セシルは、とっくに寝ているはずだが、部屋の主が寝ていようと、皇帝であるグランを遮る者はいない。勝手に居間を通り抜け寝室に向かうと、遮られるはずのない皇帝が、行く手を阻まれた。立ち塞がったのは、マヒロだった。

「そこをどけ、マヒロ」

「陛下、夜這でもするおつもりですか?」

「馬鹿な」

「では、何のおつもりで?殿下は、とっくにお休みです」

「わかっている。……これは……」

「これは?」

「……〝お泊り〟だ」

「お泊り?」

「……」

「……」

二人の間に沈黙が流れた。


マヒロは、もう何も言う気が失せ、脇によけ道を開けた。何かあれば自分が乗り込めばいいし、セシルを傷つけることは決してしないと思えるくらいには、グランをかっている。

そして、遠くない日に、セシルとグランの関係を受け入れざる負えなくなるだろうことも覚悟している。


この世界は、男同士、女同士の結びを認めている。更に、決して多くはないが、本人たちの意志があれば、兄弟同士の結びも受け入れられている。

人は皆、等しく精霊の子だからだ。



マヒロは、思う。

セシルの幸せを思えば、人間として多少問題はあるがセシルに深い情愛を持つこの皇帝グランジウスと、違う意味だがグランを愛し慈しんでいるセシルが、結ばれることが最善の道と思えた。


もし、仮にグランが皇后でも向かえれば、『白の民』のセシルは疎まれ蔑にされるかもしれない。

また、皇帝の後ろ盾が無くなれば、欲に目のくらんだ皇族貴族に担がれ、あげく排除されるかもしれない。

そうならない為にも、やはりグランと結ばれるべきだろう。


もちろん、グランが、セシルの意に反し、傷つけ無理やり強引にことを進めようとすれば阻止するつもりだ。

マヒロは、耳をそばだてる。

今夜は、どうやらその気配はない。マヒロは、そのまま隣の近侍の部屋にひっこんだ。



グランが、寝室に入り天蓋の幕を開けると、セシルが、静かに寝息を立てていた。グランは、布団をそっと捲りセシルの脇に体を忍び込ませた。

マヒロの言うような夜這をするつもりはない。ただ、セシルの寝顔を見つめ、ぬくもりを感じながら眠り、明日はせっかく休みなのだから、朝、この同じ床でセシルが目覚めるまでゆっくりと待ち、寝起きのセシルを見てみたいだけだ。


ぐっすりと眠るセシルを腕に抱き込む。

グランの判断基準では、

―― 口づけぐらいは、当然許されるはずだ ――

と、なっている。

ゆっくりとセシルのやわらかな唇を味わった後、グランも眠りについた。




次の朝、セシルが瞼を開けると、目の前に人の気配がした。

誰だろう ――と、瞼をこすり、もう一度よく見れば、弟のグランが、ベッドの上で、頬をつきセシルを眺めていた。

「兄上、おはようございます」

「おはよう。……って、え?グ、グラン。な、何?」

セシルが、慌てて時計を見れば、八時をさしている。

「……グラン、寝坊した?……仕事は?」

「兄上、落ち着いて下さい。私は、今日一日休暇を取ったのです」

「……休暇……あ、そうなんだ。……でも、なんで俺のベッド?」

「はい、せっかくの休暇なので、兄上のもとに泊りに来たのです。お泊りの時は、一緒に寝るものだと兄上が言われたので、同じ床に入らせていただきました」

「……あれ、……俺、そんなこと言ったかなぁ」


言うはずがないだろう――と、マヒロは扉越しに思いながら、ノックし寝室に入った。

「陛下、殿下おはようございます」


その後、セシルは、マヒロの手で身支度を整えた。

いつもは、マヒロが選んだ服を身に付けるが、今日は、グランが選んだ。その服に身を包んだセシルの髪をマヒロが、丁寧にすいていく。

なんのこともない光景だが、グランは、椅子に腰をおろし満足げに眺めていた。


朝食を終えると、グランが、言った。

「兄上、今日は、久しぶりに天気がいい。皇宮の庭を私が案内しましょう」

「本当に?……いいの、グラン?」

「はい。私は、今日は休みですから、一日中、兄上と一緒にいられます」

「そうかぁ」

侍医長モーリスから、すでに床上げを許されていたセシルは、嬉しさに頬が緩む。庭に出られることも嬉しいが、弟と一緒に並んで歩けることも嬉しい。

だが、セシルの口から出てきた言葉は、違っていた。

「あ、でも、いいよ。今日は、行かない」

「なぜ?」

訝しむグランにセシルが告げた。

「せっかくの休みだろ。俺のことより、グランが、休んだ方がいいよ。……仕事、ずっと忙しかったから」

その言葉に、グランは、ふっと眼差しを緩めた。

「兄上、兄上と一緒にいるだけで私の疲れなどなくなります」



セシルにとって、皇宮の庭に出るのは、二度目だ。

一度目は、近侍のエカシーらと一緒だった。しかし、今日は、近侍のマヒロと親衛隊オルグ、そして弟のグランと一緒だ。同じ庭なのに、輝きが全然違った。


「兄上」

グランが、手を差し出した。昨夜まで降っていた雨のせいで、小道に敷かれた石畳が濡れていた。濡れた石畳は滑りやすい。

「うん」

セシルは、普通にその手を握り、そして二人並んで庭の中を歩いた。

梅雨の晴れ間の陽は、二人を照らすように暖かな陽ざしをあたえ、中庭の花々は、雫を受け瑞々しい。池の噴水も元気にしぶきをあげている。


グランとセシルは、池のふちにあるベンチに座った。

グランが、セシルを覗き込む。

「兄上、疲れてませんか」

「うん。大丈夫だよ。森にいた頃は、自分で何でもしてきたんだ。体調さえ崩さなければ、なんともない」

そう語ったセシルの胸に僅かにアモルエの森が広がった。

と、その時、セシルの唇をグランの唇がかすめた。

「グ、グラン!!……な、何してんだよ!!誰かに見られたら……」

セシルは、慌てて周りを見回した。近くには、マヒロもオルグもいる。

「兄上、ご安心を。誰も見ておりません。そうだな、マヒロ」

「……はい」

グランは、マヒロの思惑を知っていて利用しているのだ。

「で、でもオルグさんは?」

「……私も、何も拝見しておりません。……ちょうど目にゴミが……」

「え、オルグさん、大丈夫?」

「……はい。極めて大丈夫です」

「よかったぁ」

何が良かったのか、もはやセシルにもわからない。



午後になると、一階の客間に仕立屋が訪れたとの連絡が入った。

グランとセシルは、連れ立って部屋に入り、並んで長椅子に座った。万が一のため、部屋の中には親衛隊オルグがついた。


仕仕立屋は、三人。主人の男プジュールとお針子の若い女が二人。

仕立屋は、近侍マヒロによって厳選されていた。何しろ、セシルは、『白の民』である。偏見を持つ者を近づけるわけにはいかない。


仕立屋たちは、皇帝であるグランに跪き最高礼を示した後、セシルを向き再度跪いた。

「セシリエス殿下、この度はおめでとうございます。私、仕立屋プジュールと申します。殿下の喜ばしき宴の御衣を手がけさせて頂くこと至極光栄に存じます」

そう述べると、三人は、また頭を下げた。マヒロの眼鏡にかなった仕立屋は、セシルに対する態度も申し分なかった。



申し分のない礼を示されたセシルは、慣れないことに戸惑い隣のグランに耳打ちした。

「……ど、どうしたらいい?」

当然ながら、グランの耳元にセシルの息が掛り、そのことに気を良くしたグランは頷き、仕立屋たちを向いた。

「面を上げよ。兄は、そちらの心ありがたく受け取った」

三人は頭を上げた。


その後、採寸が始まった。

採寸の為には、服を脱ぐ。マヒロが、セシルの上着を脱がせ、シャツ姿になると、

「マヒロ、そこまでだ」

黙って眺めていたグランが、止めた。

採寸の為とはいえ、セシルの下着姿を晒すのは、耐えられなかったらしい。



突然の皇帝の言葉に、部屋の空気が、緊張した。

仕立屋プジュールは、仕立ての採寸に、まさか皇帝が姿を現すとは思わなかった。

これまでも、皇帝の衣装を仕立ておさめたこともあるが、自分の衣裳を作る時に皇帝が姿を見せたことはない。

今の言葉といい、それだけ、皇帝が、目の前いる兄殿下に心を砕いていることがうかがい知れる。


採寸が終わると、衣裳の図案を決める段になった。

またグランの隣に収まったセシルに、仕立屋プジュールが、伺いを立てた。

「殿下、何かご希望はございますか?」

セシルは、首を横に振った。服のことなどさっぱりわからない。祝宴がどうのと言っているが、どんな宴なのかもわからない。



首を振るセシルに、プジュールが、一冊の綴りを差し出した。

「それでは、殿下。こちらは、僭越ながら私があらかじめご用意した見本の図案です」

手を伸ばしたのは、セシルではなく、グランだった。


図案をぱらぱらと捲っていくグランの表情が、だんだん険しくなっていく。

正直なところ、プジュールも持ってきた案にセシルに合いそうなものはないと思っていた。

皇帝グランジウスの兄と聞いた。となれば、及ばないにしても鋼の体を想像する。描いた図案も、勇壮、威厳、強さをイメージしたものだ。

しかし、目の前の皇子セシリエスは、華奢で美しい。


「陛下、このようなデザインは、いかがでしょう」

いつの間にか、マヒロが、紙にデザインを書いていた。才に恵まれているものは、感性にも優れていた。

その図案を仕立屋プジュールも、つられるように覗き込む。そこには、セシルの清楚で優美な佇まいをそのまま形にした案が描かれていた。

グランも頷く。

「……そうだな。だが、ここにも装飾をつけたらどうだ」

「そうですね」

二人の案に仕立屋プジュールも職人として黙ってはいられない。

「この部分は、金の刺繍を施しては」

「それも良いな。宝珠も使いたければ、いくらでも使え」

「本当でございますか。では、ここに真珠を」

マヒロも、更に加える。

「陛下、真珠だけでなく……」

とめどなく盛られていく装飾に、セシルは、ついに口を挟んだ。

「あ、あの俺そんなに豪華じゃないほうが……」

もはや、セシルの話は誰も聞いていない。



セシルと過ごす一日が、終わろうとしている。

二人とも寝支度を済ませ、『新緑の間』の寝室に入った。

「あれ、グラン、今夜もお泊り?」

「はい」


マヒロが、天蓋の幕を開け、二人は、一つのベッドに収まった。

「グラン、今日は、ありがとう。とても楽しかった」

「兄上、私もです」

「庭の花、綺麗だったなぁ。噴水もよかった。今度は、……」

ベッドの背に身を預けたセシルの口が、グランと一緒に過ごした一日を紡ぐ。

その無防備な唇に、グランは、唇を重ねた。

昼間の、かすめるような口づけではない。驚いたように目を見開くセシルの肩を押さえ、更に深く口づける。

おそらくセシルの頭は、今、真っ白だ。それをいいことに、唇を優しくこじ開けた。

何度も角度を変えて繰り返される口づけに、セシルの瞳には、困惑の色だけが伺えた。

やっと、セシルを開放する頃には、セシルの息があがっていた。

「……グ、グ、ラン。……い、今の、……何?」

「兄上」

「……俺、……こん、なこと。……こんなこと、初めて、された。……何?」


―― 初めて ――


その言葉に、グランの心が躍った。あの、カイトよりも勝るもの。

兄セシルの唇を初めて奪ったのは自分だ。寝ている隙などではない。

「兄上、愛しています」



そうだ。カイトを目の前にしたとき、自分は、どうするのか。……どうなるのか。

それが、不安だった。

しかし、その不安は、なくなった。

今、グランの心は満たされている。セシルで、いっぱいだ。




次の日、カイトに会いたいことを打診すると、政務の書類の中にカイトからの返答が紛れ込んでいた。


――  一人で、ザブラ墓地に来られたし ――





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