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  作者: まころん
第1章
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ロウダン帝国の民は、勤勉だ。それは、北にある帝都に近づくほど顕著になる。冬が厳しいのはもちろん、夏も蒸し暑い。手強い環境の中では、勤勉でなければ暮らしていけないのだ。だから、民は、朝早く起きて仕事に精を出す。それが、皇帝ならば尚更だ。



グランは、すでに登殿し、朝政の後、宰相、親衛隊長と共に『黒耀の間』にいた。

いよいよ、セシルについて国内外に公布することが決まり、それに伴いお披露目の為の祝宴を開く手筈が整えられる。

一方で、それ以上に差し迫った問題があった。前家令のムロトが抜けた皇宮だ。

グランの脇に位置した宰相イオリが、手にした文書の内容を伝える。

「皇宮からの報告では、昨夜ムロト殿が忍びやかに去られた後も、大きな混乱はないということでした」

グランは、長椅子の背に腕を這わせ長い足を汲み、目を伏せ黙って聞いている。

応じたのは、向かいの椅子にどっかり腰を下ろすドモンだった。

「まあ、あのじいさんのこったぁ。予定より一日早い退陣となっても、万事ぬかりなく手回ししてったろうよ」

「ええ。それから、ムロト殿の後を継ぐ家令は、執事のボウヘイ・コデ・カッシー(三九歳)が、慣例通り繰り上がり就きます」

「ボウヘイか。あの普通の男だよな。見た目も、どこと言って特徴の無い……」

「はい。前任者のムロト殿が何かにつけ際立って秀逸でしたから、それに比べれば物足りなさを感じられるかもしれませんが、長年皇宮に勤め、セシリエス殿下がみえてから、ムロト殿の仕事をそつなく代行されていたので心配はないでしょう」


これまで黙っていたグランが、口を開いた。

「兄上につく近侍は、どうなっている?」

「はい。この報告書によりますと、近侍頭が、エカシー・ユッティ・ロウダンゲン(三四歳)、次いでブリュー・ダグデ・マイス(二八歳)、ニラカス・ギサフ・トコール(二三歳)です」

ドモンが、首を傾げ背もたれから体を起こした。

「おい、その近侍三人を選んだのは、あのじいさんか?」

「さあ、どうでしょう。何か問題でも?皇宮での仕事ぶりも真面目です。加えて、近侍頭エカシーは、一族名の示す通り公爵家の出ですし、他の二人も伯爵家と子爵家の出です。私には出自経歴とも妥当だと思いますが」

公爵家は、皆ロウダンゲンの一族名を持つ。

「まあな、おまえら貴族様の観点からすると、そうなるんだろうよ」

ドモンは、起き上がらせた体を、また椅子の背にドサッと戻した。

グランは、これまで皇宮をムロト任せにし、殆ど帰らなかった為、皇宮(いえ)の使用人の名さえもほとんどわからない状況だった。

想うのは、兄セシルだ。ただただ、幸せに穏やかに過ごしてほしい。

また、そうするのは、自分の使命だ。自分が、兄セシルを幸せにする。




「……ス殿下、……シリエス殿下」

セシルの耳に、自分を呼ぶ声が届く。

誰だろう。聞いたことのない声だ。誰にせよ、呼ぶ声にこたえ目を開けようとするが、開かない。昨夜というより今朝方、グランと共にムロトを見送り、寝入ったばかりだ。

また、声が聞こえる。やはり聞いたことのない二つの声だ。

「……いつまで寝ているつもりだ、この殿下は……」

「……まったくだ。陛下は、すでに政務に勤しんでいると言うのに……」


そうか、グランは、もう仕事に行ったのか……

なんとか、瞼を持ちあげると、ザスッと床を後ずさる音がした。

見れば、三人の男たちが、ベッドから数歩離れたところでセシルを横目で見ながら頭をつきあわせている。

「……先日廊下で見た通り瞳も白だ」

「初めて近くで目にするが、なんとも気味の悪い」

「まことに汚らわしい」

小声で、しかし、聞えよがしに話している。




目覚めたばかりのセシルの頭は、この状況について行っていない。ただ、目の前の男たちは、皇宮に勤める使用人らしいということはわかった。グランに抱えられ、皇宮の廊下を通ったとき、同じ制服を見た。以前聞いたムロトの話では、近侍とか言っていた。


なんにしても、このまま横になっているわけにはいかない。まだ、眠っている体に発破をかけ、どうにかベッドの上に体を起こした。

そして、先ずは朝の挨拶を言わねばと、近侍たちを向き、

「おはようございます」

と、挨拶をした。

応えるように三人の内、年長の近侍が前に出た。

しかし、返された言葉は、互いの心を触れ合わせる挨拶の言葉ではなかった。

「殿下、今、何時かおわかりですか?」

時計を見れば、朝の七時を指している。今までは、体調に合わせ無理なく目覚めるのをムロトが待っていてくれた。しかし、そのムロトはいないのだ。

近侍の問いにセシルが答えようと口を開けたとたん、もう一人の近侍が口を挟んだ。

「陛下は、毎朝五時に起床され、六時には登殿されます。殿下も陛下の兄君なら今少し早く起きられるべきかと」

「……す、すみません」

「明日からは、六時半には、ご起床願います」

「……わ、わかりました」

その後、やっと三人の自己紹介があったが、体調の悪さと頭が回っていないのとであまり覚えていない。ただ、公爵家とか何とか家とか口にしていたのが、耳に残った。


セシルの体は、決して丈夫ではない。いっそ弱いと言ったほうがいい。特に朝は、弱い。

起きてすぐには、体に力が入らず、無理に起きると眩暈が起き、ひどいときには、倒れてしまう。

森にいた頃、母が亡くなり一人暮らしになってからは、頼る者もいないので自分で気をつけ体調に逆らうことなく生活してきた。旅の間世話をしてくれていたマヒロも、昨日まで傍にいてくれたムロトもそうしてくれた。

しかし、これからは……。


ベッドの上に、バサバサと服が投げ置かれた。

『色なし』などに触れたくない。一人で着ろということなのだろう。別にそれは、構わない。ここに来るまでそうしてきた。しかし、今は、もう少し待って欲しい。まだ指に力が入らない。皇族の服は、ボタンや紐やベルトが無駄に多いのだ。おまけに今日の服は、やたら複雑そうだ。


それでも、なんとかセシルは、三人の冷たい視線と「遅い」「早く」の叱咤の中、服を着た。これだけで疲れた気がしたが、そういえば、いつもの段取りだと、これから、朝食をとる為に『樹冠の間』に行かなければならなかった。



セシルが、ふらふらと廊下に出ると警護についていたのは、夜明け前に分かれたばかりのオルグだった。

オルグは、今は、セシリエス付親衛隊班長の役を仰せつかっている。今朝は、ムロトを送り出した後そのまま任務についた。

そのオルグは、一瞬訝しげに目を眇めたが、セシルはそれに気付かず『樹冠の間』に消えた。



『樹冠の間』には、すでに朝食が、用意されていた。セシルの苦手とする魚介を主とした献立だった。

なんとか食しようと向き合うが、正直言って食欲もなく、なにしろ思うように指が動かない。

これまでは、ムロトが手を貸してくれたが、どうやら、それは、望めそうにない。

悪戦苦闘しているうちに、セシルは、とうとう器をひっくり返してしまった。

「あっ、ご、ごめんなさい」

長卓に掛けられた真っ白なテーブルクロスに染みが広がって行く。

三人の近侍たちは、大げさにため息をつき、頭を抱えた。

「まったく、食事の作法も心得ていないとは……」

「我々の仕事を増やして……」

「『色なし』など下賤の世話をなぜこの私が……」

ぶつぶつと言いながら、汚れものを片づける近侍たちにセシルは、頭を下げた。

「す、すみませんでした」

皇宮を去るムロトは、皇子はやすやすと頭を下げてはならないと言った。とは言っても、そう簡単に変えられるものではない。

結局、朝食は、あまり手をつけることなく終わった。


朝食の後は、いつも通り『樹冠の間』の居間で過ごした。三人の近侍は、セシルに近寄ろうともしなかったが、ソファーに静かに身を預けている間に、少しずつ体の調子が戻って来た。自分でもほっとした。




昼食の時間になると、グランが、今日も飛ぶように帰って来た。

「兄上、ただいま戻りました」

「グラン、おかえり」

グランは、ソファーから立ちあがろうとするセシルに手を添え、腕の中に抱きしめた。

その腕に返すように、セシルもおずおずとグランの背に腕をまわした。初めて腕をまわした。

不安の中いた心が、グランに抱きしめられることで癒されていった。

ああ、自分には弟がいる。グランがいる。


「兄上?」

いつにないセシルの振る舞いにグランが問うが、セシルは笑顔で返した。

三人の近侍は、優しいとは言えない。ただそれだけだ。

セシルにとっては、もはやどうでもいい。

自分には弟がいる。グランがいる。


これまで、『色なし』と蔑まれて来たときは、いつも命の危険に晒されてきたのだ。一番大事な人も失ったのだ。

言葉や態度で卑しめられようと、大したことではない。

今は、弟がいる。グランがいる。


「……グラン、食事にしよう」

「はい」

二人は、並んで食卓についた。



三人の近侍は、驚きに目を瞠っていた。

手は、身についた仕事なので抜かりなく給仕をしているが、頭の中は、呆気にとられたままだ。


彼らには、罪の意識はない。皇子に対して、ひどい扱いをしているという意識もない。一番たちが悪い〝 無自覚〟という奴だ。

自分たちは、当たり前の行動をしていると思っている。皇子といえども、卑しい『白の民』なのだ。『白の民』は、自分たちより下等の生き物で汚らわしい。

まして自分たちは、貴族という上位に位置する。上等の人間が、下等の『色なし』に相応しい、対応をしていると思っている。それが、彼らの中の常識だ。


にもかかわらず、あの、あの鋼と称された皇帝が、やわらかな眼差しを向け、抱きしめた。下賤な『色なし』を……。

そして、今は、目の前で小骨が多く食べづらいとされる魚を皇帝自らセシルの分もほぐし取り分けている。


その上、皇帝の兄とは言うものの、卑しい『色なし』が、皇帝を名前で呼び捨てにし、礼をわきまえた言葉すら使わず、馴れ馴れしく話しているのだ。

それを『黒の大地』ロウダン帝国皇帝が、咎めもせず受け入れている。


結論。皇帝が、この『色なし』に誑かされている。

三人の近侍の考えはそこに至った。



昼食の後、やはりセシルは、グランに抱えられ居間のソファーに移った。

「兄上、今日は、食が進んでないように見受けられましたが」

「……うん。……でも大丈夫。……ちょっと昨夜の疲れが出ただけだから」

中らずと雖も遠からず。グランの言う兄弟の中で隠し事をしているわけではない。グランもセシルの言葉を受け入れた。

「そうですか。……今日は、兄上と二人で庭を散歩しようかと思ったのですが……」

グランをみつめるセシルの瞳が、輝く。

「……えっ、……俺、外に出てもいいの?」

「はい。皇宮の敷地(私の籠)の中でしたら。でも、今日は、ゆっくり休まれたほうがいい」

「……そ、そうだね」

その言葉に、セシルの視線が伏せられた。

「そんなに気落ちなさらずとも、これからは、いつでも近侍に申しつけ庭に出てかまいません」

「……う、うん」

更に視線が伏せられた。


しばらくすると、グランの肩に、セシルの頭がもたれ掛かってきた。見れば、すでに真珠の瞳は閉じられ、静かな寝息を立てている。

グランは、そっとセシルを抱きかかえ、『新緑の間』の寝室まで運び、ベッドに優しく寝かせた。


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