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「わかりました。俺、皇宮に行きます」
顔をあげたセシルの瞳に、すでに揺れはなかった。
これまで、ずっと考えて来た。
自分は、何者なのか?
『黒の大地』に住む『蒼の民』の母。そして、『白の民』の自分。
父は、前ロウダン帝国皇帝だと目の前の男たちは言う。
心は、まだしっくりしていないが、自分を作る輪郭は、ぼんやり見えた気がした。
森から帝都にある皇宮へ行く。
皇帝の命に背くことはできないだろう。
しかし、それだけではない。自分自身が、皇宮へ行くと決めた。
この森にずっと守られていけば、変わらない日々が続くはずだ。
それなのに、なぜか自分の決断に後悔はしないと感じていた。
運命だと思った。
バナルも背中を押している。もし、この先に闇だけが続くとしたら、あらゆる手立てを講じて逃がそうとするだろう。これまでがそうだったように。
なにより、この決断は、バナル達を傷つける事は無さそうだ。
不安がないはずはない。怖い思いも、痛い思いも経験したから。
聞きたい事もいっぱいある。
どうして、自分が皇宮に行かなければならないのか?いつここに帰ってこられるのか?そもそも無事に生きている事が出来るのか?
でも、口にする気はなかった。今、誰かに問うても答えを貰えない気がして。
ただ、どうしても、知りたい事があった。
「……一つだけ、聞いてもいいですか?」
二人の視線が、セシルに注がれる。
問われた二人は、もっともだという意味を込めて大きく頷いた。
さっきまで、いつものように洗濯物を干そうとしていた青年に森を出ろというのだ。
そして、ただの森番だった青年は、実は殿下だったというおまけつきだ。
聞きたいことは、山ほどあるだろう。
答えられることは、答えよう。
セシルの問いを受け止めようと男たちは身構え、森の木々は、促すようにざわっーと葉を揺らした。
セシルは、ふーと息を吐くと口を開いた。
「母と父は、出会って幸せでしたか?母は、幸せでしたか?」
思いがけないその問いに、一瞬、間があいたが、答えたのはバナルだった。
「ああ、幸せだった。昔、俺はダヴィーグ様に仕えていた。お二人は、お互いに深い愛と絆で結ばれていた。そして、幸せだった」
「そうですか。……よかった」
セシルに、笑みが浮かんだ。それは、綺麗で見る者の心潤す笑顔だった。
セシルの記憶の中で、母はいつも穏やかにほほ笑んでいた。
しかし、生活は楽ではなかった。バナル達がいたとはいえ、人里離れた森の中で、幼い子供を抱えた暮らしは、女の細腕には厳しいものだった。
それに加え、セシルは、生まれた時から体が弱かった。母は、森に入っては、セシルの為に栄養のある食べ物を捜し、薬草を採ってきてくれた。
母の手は、いつもあかぎれだらけだった。
セシルも、子供ながらに、母が苦労しているのはわかっていた。だが、碌に役にも立てず、不甲斐ないだけの自分が、悲しかった。
セシルが15の時、母は亡くなった。体も少しずつ丈夫になり、力仕事もこなし、やっと孝行出来るようになってきた矢先だった。
その苦労続きの母に、ちゃんと幸せな時があった。
セシルにはそれが、何より嬉しかった。
父は、本当に前皇帝なら亡くなっているのだろう。
5年前、―― ロウダン帝国皇帝崩御 ―― の御触れが、こんな片田舎まで届いた。
その後、皇帝の位に就いたのが、どのような人物だったか。もはや、頭が回らない。