38
三階までを一気に駆けあがる。
そこには、腕組みをした親衛隊長ドモンが待ち構えていた。
家令ムロトが、前にでた。
「これは、親衛隊長殿。ごきげんよう。」
「じいさん、楽しそうじゃねえか」
「はい、おかげ様でとても楽しゅうございます」
その返答に、親衛隊長は肩をすくめ、次いで、オルグを向く。
「オルゲムント、おめえも殿下に、やられた口か。……全く、どいつもこいつも……」
「……」
オルグは、動かない。
目の前で、自分のせいで対峙する親衛隊長ドモンとオルグの間に、セシルが割って入った。
「オ、オルグさんは、悪くありません。……お、俺が、勝手に抜け出したんです」
「〝オルグさん〟……ねぇ。愛称で呼んでもらってるってわけだ。いつの間に、そんなに仲よしこよしなったんだか。なぁオルグさんよ」
「……」
やはり、オルグは、動かない。
セシルと家令ムロトが宮殿に向かったことは、他の親衛隊から隊長ドモンへすでに連絡が入っていたはずだ。
しかし、ドモンは、阻止する策もこうじず、かと言ってなんの手助けをするでもなく、セシルたちが自力で登って来るのを、ここで、ただ待っていたのだ。たちが悪い。この後、ドモンが、どう出るか。
様子を探るオルグの視線をかわし、ドモンは、後ろを向くと頭をぼりぼり掻いた。
「しょうがねえなぁ。まぁ、ついて来いや」
「あ、ありがとうございます」
がばりとセシルが、頭を下げた。
セシルが、通された部屋は、煌びやかでもなく派手でもない。落ちついた趣に、黒檀を基調とした調度品が荘重さを醸し出していた。
広い室内を見渡せば、奥まった場所に私的な佇まいを持つ一角があった。人の臭いが感じられる。
セシルの視線の先を察したドモンは、自分たちのたむろの場にセシルを受け入れた。
「あぁ、その肘掛椅子は、俺んのだから。殿下は、そこの長椅子にでも」
セシルは、戸惑いながらも、促された長椅子に腰を下ろした。そこは、グランの指定席だが、セシルが知る由もない。
家令ムロトとオルグは、セシルの後ろに控えた。
ムロトが、声をひそめセシルの耳に伝えた。
「この部屋は、帝国を担う者たちが集う『黒耀の間』です」
「えっ、本当ですか。そんな部屋に俺が……」
セシルは、身を固くする。膝に置いた握った手も白くなる。
緊張していることが、手に取るようにわかるセシルに、ドモンは、言った。
「グランの奴、今、『裁きの間』に行ってるんだ」
「す、すみません。そんな忙しいところへ……」
セシルは、恐縮し頭を下げる。
「ああ、いいって、いいって」
そう言い、顔の横で手をひらひら降ったドモンは、戸棚の前でガチャガチャと茶具を並べはじめた。どうやら、お茶を入れてくれるつもりらしいが、どう見ても慣れているとは言えない。
みかねた家令ムロトが、申し出た。
「親衛隊長殿、お茶でしたら私が……」
「おお、頼むわ」
すぐに了承したドモンは、今度は、戸棚の中をあさりはじめた。
「……えっと、どこだったかな……イオリのとっておきの茶葉、テイチって言ったかな……確か、この辺に隠して……」
「ほう、テイチとは。めったにお目にかかれない最高級茶葉ですな」
そう言うと、ムロトまでも、戸棚をガサゴソ探し始める。
あり得ない成り行きに、セシルは、どうしていいのかわからない。
「あ、あのムロトさん、勝手にそんなこと……。ねえ、オルグさん」
「……」
オルグは、動かない。
こいつらは、いったい……。
ありえない状況の中、決して穏やかとは言えない足音と共に、重厚な扉が勢い良く開かれた。
あらわれた宰相イオリは、メガネを押し上げ『黒耀の間』に寄り合った面々に強い眼差しを巡らした。
「何事ですか、これは?どなたか、ご説明いただきましょうか」
半開きの戸棚の前で、家令ムロトが、優雅に礼をとる。
「宰相様、お邪魔しております」
「家令殿、家令の特権を使われ殿下をお連れするとは、職権乱用と言うものではございませんか」
「そうですねぇ。……されど宰相様、このような時に職権を乱用せずして、いつ乱用しましょうや」
「なっ、なにを、言って……」
「まあ、落ち着けイオリ。お前も考えてみろ。この行き詰った政を打開するためにも、ここは、セシリエス殿下に御出陣願った方がいいんじゃねえか。詰まる所それが、ロウダン帝国の為ってもんだ」
数ヶ月前から、ロウダン帝国は、いつもの難しい政局の上に、更に様々な難問を抱えていた。
領主を務める数人の貴族と商人が結託し収賄を重ね、暴利をむさぼる事件が起きた。影で大きな組織が、動いている可能性がある。今日の『裁きの間』の審議がそれだった。
公共事業では、街道整備の工事現場で落盤事故がおき、多数の犠牲者がでて、工事が中断されている。
外交に目を向ければ、国境付近で、不穏な動きが感じられ騎士団が、派遣されていた。
それぞれの問題を、鋼の皇帝と呼ばれるグランは、鋭く追及し、容赦のない裁断で解決へと取り組み猛進していた。
これまで、グランは、そうしてきた。
しかし、帝国の頭脳たる宰相イオリは、知っている。
突き進むだけでは、物事が解決できない場合がある。
突っ走っているときは、視野が狭くなり、周りが見えない。立ち止り、周りを見渡した時、見えていなかった景色が、進むべき道が見えてくるのだ。
セシルを皇宮に迎えてから、何かを求め、もがく様に政に身を投じていた鋼の皇帝が、立ち止った。
すると、物事の全体像が見え始めた。少しずつだが解決の糸口が見つかり始めた。
疾走しているときの力みを抜き佇めば、国の歯車と言うべき臣下の声が聞こえはじめ、政務にも幅ができた。
しかし、ここ数日、皇帝は、鋭いだけの鋼に戻った。
皇帝が、賄い方に、この季節に柿を探しに行かせたことは、イオリも知っていた。そんなことは、どうでもいい。
この際、利用できるものは、なんでも利用する。それは、自身が〝ぼんくら〟と称した相手でもだ。
糞の役にも立たないと思ったが、カンフル剤くらいにはなるだろう。
「わかりました殿下。こちらで、しばらくお待ちください。あ、それから、テイチの茶葉は、棚の右上です」
そう言い残し、宰相イオリは、穏やかとは言えない足音に慌ただしさを加え『黒耀の間』を飛び出していった。
残されたセシルは、家令ムロトが、入れた最高級茶テイチを口に入れた。なんの味もしない。
しかし、向かいに座る二人は違ったようだ。
「やっぱ、うめぇわ、この茶は。いや、じいさん、あんたの腕がいいのかもしれん」
「親衛隊長殿にお褒め頂き光栄です。しかし、これは、茶葉が良いからですね。美味しゅうございます」
普通、家令といえども、主人と席を同じにすることはないのだが、隊長ドモンが、この部屋は、そんなことは関係ない。だったら、俺も座れないだろうと言って、強引に家令を座らせた。オルグは、固辞したが。
空の器を手にしたセシルの耳に、数人の足音が届く。廊下をだんだん近づいてくる声は、久しぶりに聞く弟の声だ。間違いない。
セシルは、緊張のため体をこわばらせた。
「……イオリ、まだ、審議があるというのにどういうつもりだ。他の件の報告も……」
弟の厳しい声も初めて聞いた。見つめていた扉が開けられた。
「……兄……上……」
「……グラン……」
グランは、息をのんだ。
帝国にとって重要な審議の途中に宰相イオリに呼び戻され『黒耀の間』の扉を開ければ、目に入って来たのは、兄セシリエスだった。ここ数日、会いたくて会いたくて、どうしようもないくらい胸を締め付けていた兄だった。
すぐに駆け寄ってこの腕に抱きあげたい。しかし、まだ駄目だ。開いた手をむすび、力を入れる。
「兄上、皇宮から出る許可を与えた覚えはありませんが」
屈強な男たちをも震えあがらせる『鋼』の声音は、出せたろうか。
セシルは、グランの期待通り一瞬びくついたが、奮い立つように顔を上げ、いっぽいっぽ歩みを進めグランの前に立った。
「お、お忙しいところ、申し訳ございません。……お、俺、グランにどうしてもお話したいことがあって……」
グランは、冷めた視線を投げつけた。話の内容など聞くまでもなく想像できた。
黙っているグランにセシルは続ける。
「あの、グランのお気持ちは、本当にうれしいんです。けれど……柿は、いりません。賄い方の人たちに、帰って来てもいいと言って下さいませんか」
「それは出来かねます」
「……そんな」
グランは、即答した。
やはりそうだ。この優しい兄は、今度は、賄い方に心を砕いている。
賄い方の為だけに、わざわざここまで来たのだ。
更に、視線に鋭さを加える。たいていの者は、ここで引き下がる。
しかし、兄セシルは、違った。
「……柿は、この時期にあるはずがないんです。それなのに俺のせいで、ご迷惑を掛けるわけにはいきません」
「兄上は、『黒の大地』ロウダン帝国皇帝の兄です。それくらいの事は、許されます」
そうだ、以前、グランの妃になりたいと駄々をこねた有力公爵の娘がいた。勢力を考えると無下に切り捨てるわけにもいかず、かわりに竜の牙を贈ると言い、騎士団一個隊を当てもない遠征に向かわせた。竜の牙などあるはずがない。
それでも、馬鹿な女は、自分の為にそれほど犠牲を払ってくれるのかと、自分にはそれほどの価値があるのだと満足して身を引いた。
しかし、この兄を満足させるには、振り向かせるには、どうしたらいい。
「……グラン、……俺、帝都までの旅の間、人々が、とても幸せそうに暮らしているのを見て来ました。……整備の行届いた野営場も街道も見て来ました。……それから、グランの事を慕い尊敬する臣下の方も知っています」
「それが、どうしたと言うのです」
「そういう立派な皇帝のグランを、お、俺のせいなんかで台無しにさせられない」
「別に誰かに敬われようと、なんだろうと、どうでもいいことです」
欲しいのは、兄上、あなたの心だ。
セシルが、俯いた。見れば、握られた拳が、震えている。
泣いているのか?誰の為に?迷惑を被った賄い方の為にか?
次にセシルが顔を上げると真珠の瞳から涙があふれ、頬に幾筋も流れた。
グランは、今の状況も忘れ、一瞬その美しさに見とれた。そして、少しやりすぎたかと後悔したその時だ。
「グランのバカーッ。バカバカーッ」
「…………なっ」
『黒耀の間』にそろった全ての人間が驚く。
いつも穏やかなセシルが、今、その華奢な体から、精一杯の怒りを発している。
「もう、どうして、わかんないんだよ。人に迷惑かけちゃいけないんだよ」
「そんなことは、知っております」
「全然、知ってないよ。カイト兄さんは、俺が、知らないと教えてくれた。間違っていると叱ってくれた」
グランの瞳が、剣呑な気を帯び、再びセシルを睨め付ける。
ここでも、カイトの名が出るのか。この世からカイトを消し去るか、それとも、兄の口を塞ぎ命ごと自分のものにするか。
グランの中に、どす黒い情念が膨らむ。
「兄上、また、カイトですか」
「うん。……でもね、カイト兄さんは、幼馴染だ。幼馴染のカイト兄さんが俺を叱って教えてくれたんなら、血のつながった本当の兄の俺は、グランをもっとしっかりと叱って教えないといけない」
「……兄上……?」
思ってもいなかった言葉が、セシルの口から出た。セシルは、自分を叱りに来た?
「だって、グランは、たった一人の兄弟で、弟で、たった一人の家族で……。俺は、グランのたった一人の兄だから……。俺しかいないよ。グランを叱って教える人って……」
「……兄上……」
やはり、話すのは、得意ではないらしく、要領が悪い。しかし、とつとつと語られるその言葉一つ一つにグランに対する情愛が感じられた。
「……昔、母さんが、叱るのは相手の事を思って心配するから叱るって言ってた。本当だね。俺もグランが、心配だった」
「……兄上……」
ああ、そうか、ここまでやって来たのは、私の為でもあるのか。そして、その涙も私の為か。
「グラン、人に迷惑をかけちゃだめだよ。
グランは、優しいから、俺に柿を用意するなんて言ってくれたけど……。俺、柿なんていらないよ。それよりも、もっともっと大切な弟ができたもの。家族が、できたもの。俺、それだけで嬉しくて……」
「……兄上、私は、優しくなんてありません」
自分で言った言葉に、自分で納得する。その通り、優しさなどない。兄を閉じ込め、あげく手を掛ける事まで思い至った。
なのに、兄は、大切な弟だと言う。たった一人の弟だと言う。
グランを叱るのは、俺しかいないと。カイトより〝もっとしっかり 〟とも言った。
セシルが、グランの手を握る。
「グランは優しいよ。……だから、賄い方の人たちに、帰って来てもいいって言って。……お願い」
「……わかりました」
「ありがとう、グラン」
セシルが、満面の笑みを浮かべる。泣き顔もいいが、やはり笑顔は格別だ。
ああ、この笑顔だけで幸せになれる。ああ、この笑顔の為なら何でもしよう。
そして、セシルは、気付いていないが、とっくに敬語もなにも吹っ飛んでいる。おまけに、皇帝に罵声を浴びせている。
しかし、グランは、嬉しく思った。
セシルとの垣根が外れ、また、カイトと対等になれた気がした。後者の方が、グランにとって意味が大きいのは言うまでもない。
ふと、グランは、思い立った。
「兄上、私からもお願いしてもよろしいでしょうか」
「うん。なんでもいいよ」
「それでは、……」
グランは、セシルの耳に囁いた。
「……えぇ、それはちょっと……」
「兄上は、なんでもいいとおっしゃいました。それに、カイトなる輩は、……」
「えっと、だって、それは、子どもの頃だし……」
「約束を違えることは、許されるべきことでしょうか」
「うーんと、駄目……です」
「ならば」
そう言って、グランは、セシルの頬に口づけした。
真っ赤になったセシルは、すぐに今度は、真っ青になりめまいを起こしグランにもたれかかった。
「兄上!」
セシルにとってあまりにもハードな一日だった。
グランは、セシルを抱きかかえ、皇帝専用の通路を通り、皇宮へと向かった。
残された面々は、ただ見送るしかなかった。




