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  作者: まころん
第1章
37/70

36

昨日に引き続き、今日も昼食の時間になっても、グランは姿を見せなかった。

家令ムロトが、また頭を下げるが、セシルは、

「どうぞ、お気になさらず」

と宥め、空いている隣の椅子に目をやった。

グランの顔が思い浮ぶ。

「……あの、……弟は、グランは、ちゃんと食事を摂っているのでしょうか?」

「はい。それは、ご心配ございません」

セシルは、家令ムロトの言葉に頷き、一人静かに昼食をとった。




そのころ、皇帝であるグランは、執務の間にいた。


ここ最近、皇帝は、昼食の時間になると皇宮に飛ぶように帰っていき、ゆっくりと休憩時間を過ごし戻って来る。

その顔は、満ち足りていた。


宮殿では、皇帝が皇宮にお気に入りの御手掛けを引き入れたらしいという噂が広がっていた。『鋼』の皇帝もやはり人間だったかと、密かに囁かれている。


噂はともかく、おかげで、文官たちもゆっくりと休息がとれ、その分、午後から更に仕事に精力的に取り組む事ができ、良い効果を生んでいた。


今、その皇帝の目が据わっている。いや、昨日からずっとだ。

昨日の朝から、皇帝の周りには、黒い負のオーラがたちこめ、執務室の文官たちを怯えさせている。

おかげで、昼食時間を過ぎても席を立つ事も出来ない。


皇帝の後ろに控える親衛隊長ドモンが、口を開いた。

「おい、皇帝さんよ、おまえさんが、ここに居座ってちゃ、他の奴らが飯も食えねえだろ。せめて、『黒耀の間』(となり)に行け」

皇帝は、その言葉に無言で従い『黒耀の間』に引き上げた。

バタンッと扉が閉まった途端、文官たちは、細く息を吐いた。


グランは、『黒耀の間』の定位置である長椅子に身を落ち着け、そして、すぐに書類を手にし、仕事の続きを再開した。

セシルが来る前の馴染みの光景だ。

「おい、グラン」

親衛隊長ドモンは、呆れたように肩をすぼめた。


グランは、頭では仕事をしているが、気は皇宮に飛んでいた。本当なら、今頃、最愛の兄と二人並んで昼食をとっているはずだった。

兄は、きちんと食事を摂っているだろうか。



おとといの夜、革紐の件で兄セシルに尋ねた。帰ってきた言葉は、思いもよらない言葉だった。

「……森に帰るとき、……」 

そう、兄は言った。

その言葉が、耳に入っただけで頭に血が上った。帰すはずがない。

と言うより、ここが兄の帰る場所だ。


それでも、兄が素直にここに留まる事を了承したので幾分気が晴れたが、その後の話で、血が煮えたぎった。


―― カイト ――


兄の口から、その名を何度聞いたか。

兄によれば、十五年も会っていないと言う。しかし、兄の過去の中で、その存在の大きさは絶大だ。

そのカイトは、兄に、兄の額に口づけしていたと言う。幼い頃の話だと兄は言い訳するが……。


カイトは、ほんの少し前に兄に接触している。それは、間違いない。その時も額に口づけしたのだ。これも間違いないだろう。

幸い、兄は、夢だと思っている。革紐も何かの拍子にずれたと思っている。

よく言えば、深く考えすぎない、こだわらない性格でよかった。

ちなみに、その話を聞いた宰相イオリは、

「ただの〝ぼんくら〟でしょう」

と切り捨てた。


カイトに対抗するために、そして、自分の力を知らしめるために、柿を用意すると言った。

柿は、その夜の内に、賄い方に命じ探しに行かせたが、三日経った今でも何の連絡もない。

カイトに勝つものがなければ、勝てないと決まれば、自分が兄に何をするか怖くて会うことが出来ない。

今も、兄を閉じ込めている。カイトにも、誰にも兄をとられないように。

更に、自分が、どうしようとするのかわからない。

こんな感情は、初めてだ。


―― ああ、はやく兄をこの腕で抱き上げたい。

兄セシルを抱き上げる。すると、いつも兄は、恥ずかしそうに腕を突っ張り拒む。そんな弱い力など、グランにとっては何の意味もなく、むしろ、その腕も丸ごと抱きしめる。

自分は、兄の過去には存在できないが、今、兄を抱き上げているのは自分だと感じる為に。

―― ああ、はやく兄をこの腕で抱き上げたい。抱きしめたい。



グランが、セシルの前に現れなくなって、すでに数日が過ぎた。

家令ムロトは、職務が忙しいと言うが、さすがの〝ぼんくら〟でも、何かが変だと気付き始める。やはり、柿が関係しているのか……。


その日も長卓には、セシル一人。

相変わらず、すぐそばには親衛隊が張り付いている。今日の担当は、頬傷の男だ。

セシルは、食事の後、思い切って家令ムロトに柿の事を聞いてみた。

「はい。確かに、陛下は、殿下の為に柿を用意されると言われました」

「えっ、やっぱり。でも、柿なんてこの時期にあるはずがないです」

「はい。しかし、陛下は、賄い方に柿を探して来いと、みつけるまで帰って来る事は許さないと命じられ」

「……そんな。……その人は、今、どうしているんですか」

「はい。供を三人付けその夜の内に出発しましたが、その後、音信不通です。……家族のものも、心配している様子で……」

「……」

セシルは、余りのことに言葉が出ない。


午睡をとる為、『新緑の間』の寝室へさがる。 

セシルは、ベッドに腰をおろし、しばらく、床を見つめていた。


自分の為に、自分のせいでとんでもないことになっている。

このままでは、いけない。

柿を探しに行かされた人も、その家族も、そして弟グランも。


セシルは、立ち上がると続き間になっている部屋の前に立った。この部屋は入った事はないが、いつも家令のムロトがここから服を持ってくる。

音を立てずに扉を開けると、中には、部屋いっぱいに衣裳があった。

「……これって、俺の……」

グランのものにしては、サイズが小さい。ここの住人は、グランとセシルだけだと前にグランが言っていた。と言うことは、……。

「……こんなに服なんていらないのに……」

セシルは、大量の服を目の前にして困惑したが、今はそれどころではない。気を取り直し、その中から目的の服を探し始めた。

「……ないなぁ……。捨ててしまったのかな……」

探し物が見つからず、焦り始めた時、衣裳部屋のもう片方の扉が開けられた。セシルが、慌てて隠れようとしていると入ってきたのは、家令のムロトだった。

「殿下、探してらっしゃるのは、こちらではございませんか?」

そう言って差し出したのは、旅の間に着ていた聖職者のローブだった。

「あ、そうです。これです。……って、どうして、これを?……と言うか、どうして俺に?」

「殿下、理由はどうあれ、今は、時間がございません」

「そ、そうですよね」

こだわらない性格は、ここでも功をなす。

とにかく、急がねば。

親衛隊も、今ならセシルの午睡を邪魔しないようにと寝室の中に入ってこない。


ローブをはおり、フードを頭からかぶり、白を隠す。そして、窓を開け、枠に手を掛け、足を掛けた。

その様子を、家令ムロトは、黙って見守っている。セシルは、思い出したように家令ムロトを振り返った。

「あの、ムロトさん、ムロトさんは、何も知らなかったことにしてください。……じゃないと、ムロトさんが、グランに叱られてしまいますから」

「かしこまりました。殿下」

「では、行ってきます」

「行ってらっしゃいませ」

ムロトは、頭を下げ礼をとった。

セシルは頷き、窓のすぐそばにある木に手を伸ばした。

この木は、この部屋に初めて入った時から、森育ちのセシルの心をくすぐる木だった。三階建ての皇宮の屋根を超えるほどの巨木で、枝ぶりといい、節の具合といい登り降りするのには、もってこいだ。この木の上で昼寝出来たら、さぞかし気持ちがいいだろう。


セシルは、慣れた手つきで、身軽に木を降りて行く。

それは、いつも静かで儚げな様とは、かけ離れたものだった。家令ムロトが、二階の窓から見下ろし感嘆の声を上げる。

「ほお、お見事なものですなぁ」


セシルは、苦もなく地面に足をつけた。

……が。

「セシリエス殿下、どちらに行かれるおつもりですか?」

声に驚き、顔を上げると、そこには、頬傷の親衛隊が立っていた。

「……えっと、あの……その」

答えに窮するセシルを頬傷の男が、睨みつける。その視線にくぎさされ、言葉が出てこない。

頭も体も固まっていると、声が降ってきた。

「その方は、セシリエス殿下ではございません」

「へっ?」

声に導かれ上を向けば、家令ムロトが、木から降りてくるところだった。

呆気にとられ見つめていると、年に見合わずひらりと降り立ったムロトは、服に付いた木の葉や木くずを手の甲で優雅に振り払い、セシルの隣に並んだ。

「家令殿、これは、これは、珍しいお出ましを」

「ええ。この木を使用したのは、かれこれ三十年ぶりでしょうか。

先代皇帝ダヴィーグ様も幼少の頃、よくこの木を伝って部屋を抜け出され、そういば、現皇帝グランジウス様も。この木は、皇帝一家によく貢献しておりますなぁ。

そう言えば、オルゲムント殿こそ、今しがた二階にいらしたと思ったら、もうこちらにお出でとは。なかなか、忙しない事ですな」

「はい。セシリエス殿下の窓に不審者がとの通報がありまして。それより先程、聞き捨てならない事を言われたような」

「ええ、聞こえましたか。この方は、セシリエス殿下ではないと言ったのです。殿下を訪ねられた聖職者様です」

「ほう。その聖職者様は、なぜ木を伝って外へ」

「それは、この方の趣味だからです」

「趣味?」

「はい。木を見ると、登りたくなり、降りたくなり、その衝動を抑えられないのです。

まだ、殿下かお疑いでしたら確認されますか」

「……」

頬傷の親衛隊オルゲムントは、うなった。

聖職者のローブは、神聖なものとされ、おいそれとはぎ取る事は出来ない。

皇子だとしても、無理やり着ている服を脱がすわけにはいかない。

セシル本人とわかっていても確認せずに拘束することも出来ない。

親衛隊オルゲムントは、食えない家令を相手にするよりもと、セシルに向き直った。ここ数日付き従い、セシルが、ごまかしができる器用な性格ではないということは見抜いていた。

「聖職者殿、あなたにお伺いしたい。あなたは、聖職者か?否か?」

「……えっと……」

答えに詰まったセシルを庇うように家令ムロトが前に出ようとする。

しかし、セシルは、それを遮った。

「ムロトさん、ありがとうございます。でも、訊かれたのは俺だから……。オルゲムントさんとおっしゃいましたか。ここ数日、お世話になっています」

そう言うと、セシルは、フードを外し、白い絹糸の髪を晒した。

そして、強いまなざしを向ける頬傷の男にがばりと頭を下げた。

「オルゲムントさん。どうか、お願いします」

慌てたオルゲムントは、「殿下、頭をあげて下さい」と言うが、セシルは、頭を上げない。むしろ、更に膝をつく。

「俺、どうしても、どうしても、宮殿に行ってグランに会わなければならないんです。どうか、ここを通して下さい」


家令ムロトは、ただ黙って見ていた。

セシルは、この皇宮に来て半ば監禁状態にあっても何一つ逆らったことはない。しかし、今、見た事も会った事もない賄い方の為に、自分より遥かに強い弟の為に部屋を抜け出し、頭を下げる。


風がふき、巨木の葉がさわさわと鳴る。

セシルの下げた頭に、ぱさりとフードが被せられた。

「聖職者殿、私のことは、オルグとお呼び下さい。この私が、皇宮までご案内いたしましょう」

オルグは、セシルの手をとり立たせ、自らは、跪いた。





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