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  作者: まころん
第1章
34/70

33

「陛下、よろしいでしょうか」

『新緑の間』を後にしたいつもの三人が、応接間の席につくと、宰相イオリが口を開いた。

予定は、大幅に崩れた。当初の予定では、皇子セシリエスを『樹蔭の間』に、悪く言えば封じ込めておくはずだった。

そして、その間に、取り調べ、突き止めなければならない事が沢山あった。

リュイファ帝国との繋がりは……、他の皇族貴族とは……、セシリエス自身の人格、能力は……。

しかし、この状況は、どうだ。

「陛下、我々は、セシリエス殿下について何も知り得ておりません」

「その通りだ。何も知らぬ」

宰相イオリは、その言葉に安堵した。自分を見据え返して来る皇帝は、いつもの『鋼』の鋭さを取り戻している。

その皇帝が、更に鋭さを増し、続けた。


「兄上の、兄上の好きな物は何だ」

「はっ?」


宰相イオリと親衛隊長ドモンは、固まった。


「兄上の好きな食べ物、好きな音楽、好きな本……余は、何一つ知り得ていない」

「……」

「……、ぶっ、はっはっはっ」

一拍置いて、親衛隊長ドモンが、腹を抱えて笑いだした。

宰相イオリは、眉をしかめ、眼鏡を押し上げた。


「親衛隊長殿、笑いごとではありません」

「全くもってその通りだ。ドモン、即刻、影を使って兄上の好きな物を調べよ。より詳しく、正確にだ。人員は、いくら使っても構わん」

ようやく笑いを収めた親衛隊長が、皇帝グランジウスを向く。

「なあグラン。お前さんとセシリエス殿下は、兄弟だよな」

「言わずもがな」

「だったら、自分で殿下に聞くんだ。そして、いっぱい、話をしろ。兄弟の間には隠し事は許されねんだろ」

「ああ、そうだ」


帝国の枢軸たる3人の協議は、続いた。

皇子セシリエスを皇宮の中に入れた今、やるべき事が、山積している。


直近の所では、皇宮内への通達だ。

今頃、皇宮の使用人たちは、大騒ぎしているにちがいない。皇帝が、『白の民』抱えていた。それが、誰なのかと。

皇宮の使用人は、100人以上にもなる。そのほとんどが、貴族の出身だ。選りすぐられた者だけが、皇宮に勤めることが出来るのだが、心内全てを把握しているわけではない。

これからのセシルの生活を考えれば、早急に対策を練る必要がある。


帝国内外に関していえば、先ず、リュイファ帝国への「皇子セシリエス発見」の通知だ。確認の為に、折り返しリュイファ帝国から使者が送られてくるだろう。その対応もせねばならない。

国内では、皇族貴族、更にはロウダン帝国全土への公布だ。

何と言っても、皇帝の兄である。正式にお披露目の為の祝宴を開くことになる。



一日が、終わろうとしている。

グランにとって、魂を揺さぶられるような激しい波が打ちつけ日だった。その波は、最愛の者をもたらし、胸が締め付けられ様な切なさを伴っていた。

グランは、久しぶりに皇宮内の自室である『皇帝の間』にいた。もう寝床に入るだけなのだが、すぐ向かいにある『新緑の間』が気になる。自身が、抱きかかえ運び込んだ兄は、とっくに夢の中だろう。ドモンの言う兄と話をするのは、明日にするつもりだ。だが、寝床に入る前に、一目その姿をこの目に入れたかった。


廊下に出ると、夜番の親衛隊が、驚いている。無理もない。皇宮で休む事も珍しい上に、深夜に部屋を抜け出したのだから。

皇帝の行く手を阻む者は誰一人いないので、グランは、なんなく『新緑の間』に入った。家令のムロトが、音を聞き、すぐ脇にある近侍の控えの間から姿を現した。グランが頷くと、心得たように音もなく寝室の扉を開けた。

グランが、そっと天蓋の幕を捲れば、そこには、静かに寝息をてる兄セシリエスがいた。幕の中は、ほとんど真っ暗だが、輝く白い髪だけが浮き上がっている。

その白い髪に、指を滑り込ませ髪をすいた。その髪にそっと口づけた。

ああ、我が兄は、ここにいる。ああ、夢ではなかった。

グランは、生まれて初めて精霊に感謝した。兄と巡り合わせてくれたことに……。



翌朝、目覚めたセシルを囲んでいたのは、高雅な天井と幕だった。左腕に手をやれば、革紐ではなく、傷をいたわる包帯が、巻かれていた。いっきに昨日の記憶が、よみがえる。

ああ、自分に弟がいた。ああ、夢ではなかった。


気配を察し、家令のムロトが顔を出し、次いで、侍医長モーリスも顔を出し診察を受けた。昨夜飲んだ薬が効いたのか、体も軽い。侍医長もベッドを出る事を許可してくれた。

その後、ムロトの丁寧な世話を受け、最後に、これまで見た事もないような上等な服を着せられた。

「……えっと、あの、こんな立派な服、俺には……」

戸惑うセシルに、ムロトは、笑顔だけを返した。


身支度を整えると、ムロトに案内され、『樹冠の間』に入った。広い室内は、見事な彫刻の施された太い柱によって食堂と居間に分けられている。そこには、象嵌細工の施された重厚な長卓、豪華なゴブラン織りのソファー、広いバルコニーが、あった。

ムロトの話では、ここは、皇帝の家族が集う大切な部屋だという。その部屋に自分は、いる。

セシルは、気になっている事を口にした。

「あの、陛下は?」

「はい。陛下は、政務の為、宮殿にお出でになられています」

「政務?……あ、お仕事に行かれたのですね。……そうですか」

セシルは、帝都までの旅の間に見聞きした現皇帝の働きを思い出した。さぞかし、忙しい日々を送っているに違いない。


セシルの為に遅い朝食が、用意された。

「セシリエス殿下、昼食は、陛下と御一緒にとられる予定になっております」

「はい」

家令ムロトは、一人で食事するには大きすぎる卓に座るセシルに気遣い声を掛けた。


昼近くになると、『樹冠の間』に、グランが姿を現した。

昨夜、兄弟の証を確認し合い、その胸にセシルの涙を受け止めてくれた弟だ。

ソファーに座っていたセシルは、立ち上がりグランを出迎えた。

「お帰りなさい」

「……」

しかし、グランから返事がない。

「すみません。皇宮では、そう言わないんでしょうか。あ、それに、また仕事に行かれるんですよね。『お帰りなさい』は、変ですよね」

悔いるセシルにグランが、言う。

「そんなことはない。兄上、今一度」

「えっ?……はい」

セシルは、改めてグランを見つめ笑顔を添えた。

「お帰りなさい」

「兄上、ただいま戻りました」


正直言って、午前中は、グランにとって政務どころではなかった。皇宮に、愛しい兄がいる。

少なくはない政務を精力的に片づけ皇宮(我が家)に戻り、『樹冠の間』の扉の握りに自ら手を掛けた。


『樹冠の間』は、これまでグランにとって何の意味も持たない空間だった。幼いころ、たった独りこの空間にいた。


しかし、扉を開けた瞬間、変わっていた。

兄が、いた。

グランは、一瞬違う部屋に迷い込んだような錯覚におちた。

これまで、無機質だった空気が、温かみを持った。ただの物体だった調度品は、意味を持った。長卓は、家族が食事を囲む長卓へ、ただのソファーは、団欒の為のソファーへ。


それから、遠慮がちに、しかし、はっきりと自分を迎える言葉を受けた。

「お帰りなさい」

そう、兄セシルは言った。

今までも、仕える者から同じ言葉を受けていた。しかし、それは、あくまでも職務の一つだ。

立場も強制もない、慈しみだけの出迎えの言葉などいつ聞いたか覚えていない。

その為、せっかくの帰宅を喜ぶ言葉に返事をするのを忘れた。

「ただいま戻りました」



長卓を兄弟二人で囲む。ムロトが、手際良く給仕をした。

グランは、兄と向かい合い食事をとるこのひと時に心満たされていた。

一方、セシルは、緊張していた。頭では弟とわかっていても、差し向かいに座る圧倒的な存在感は、まぎれもなくロウダン帝国皇帝だった。


「兄上、体調は、いかがですか」

「は、はい。へ、陛下、おかげさまで、調子、いいです。それから、陛下、きのうは、ありがとうございました」


セシルの言葉にグランは、少しだけ眉を寄せた。

「兄上、昨日、申したはずですが。……グランとお呼び下さいと」

「えっ。えっと、……あの、でも……そんな、急に……」


セシルは、どうしたらいいかわからない。皇帝を弟と認識出来たのは、つい昨日だ。だからといって、すぐに皇帝を呼び捨てに出来るほどセシルは、器用ではない。


その皇帝は、さも残念そうに息を吐いた。

「兄上、兄上は、弟である私から殿下と呼ばれて嬉しいですか」

「そ、それは、かなり、嫌かも……」

「ならば、私の事もグランとお呼び下さい。……それでは……」

グランの視線の中で、セシルは、頭を巡らせた。

……じっと見てる。……これって、言うのを待ってるってことだよな。

考えあぐねているセシルに目の前の皇帝は、さらに催促した。

「兄上、さあ」

「グ、グラン様……」

「様は、いりません。今一度」

迫るグランにセシルは、もう、どうにでもなれと叫んだ。


「グ、グラン!!」

「兄上、良くできました」

グランが、口角をゆっくり上げた。


疲れた食事を終えると、セシルは、グランに背に手を添えられ居間のスペースに移動した。

大人が、三、四人は座れるほどゆったりとしたソファーに二人並んで腰かけた。ゆったりしているのだから、余裕を持って座ればいいのだが、昨夜のベッドの上のように、なぜか密着している。グランの長い腕が、セシルの後ろの背もたれにまわされ、セシルは、囲まれているような気持ちになった。


「兄上」

「は、はい。何でしょう」

グランに腕で囲まれているだけでなく、体もセシルを向きいよいよ囲まれる。グランは、兄を見つめる。

「兄上の好きな食べ物を教えて下さい」

「好きな食べ物、ですか?……そうですね、果物は、なんでも好きです」

「果物の中では何が?」

「特に柿は、大好きです」

「柿ですか……」

柿は、リュイファ帝国が原産で、今では、ここロウダン帝国でも目にするようになった。

セシルの育ったアモルエの地でも、バナルの家の庭先には大きな柿の木があった。毎年、秋になると、柿をもぐのが、セシルとカイトの仕事であり、楽しみだった。


「それで、カイト兄さんが、木の上の方にいるから、俺も登ろうとすると来るなって怒るんです。『カイト兄さんだけ、ずるいよ』って言うと『柿の木は、折れやすいから駄目だ』って……」

篭いっぱいの柿は、馬でカイトと家まで運び、皮を向いて軒下に干し、干柿を作った。春には、母フィオナが、風邪の予防になると柿の若葉で茶を作った。


食事の時の硬い表情とは違い、思い出を語るセシルの顔は、和らいでいる。

昔を懐かしむセシルとは逆に、グランの表情は、変わらない。

「兄上、すぐにでも柿を用意しましょう」

「あの陛下、……あっ、ごめんなさい。……グ、グラン、柿は、秋にならないと……」

「では、柿の木を植えましょう」

「ありがとうございます。陛、えっと、グラン。そのお気持ちだけで嬉しいです。……柿は、実をつけるまで時間がかかるんですよ」

セシルの心に、自分のことを慮ってくれる弟の気持ちが、染みていった。







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