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  作者: まころん
第1章
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モーリスは、先代皇帝から信頼があり、グランが成人(16歳)するまでの間の師も託されていた。この事だけは、グランも父に感謝した。その後、帝国医務院の長を務めたが、高齢を理由に退隠しようとしたのをグランが惜しみ、皇帝の侍医長の職に就かせそばに置いた。


モーリスは、早速、診察の為セシルと対し、早速、顔を曇らせた。

しかし、培った技ですぐに消し去り、やわらかく問いかけた。

「セシル様、帝都までの旅は、いかがでしたかな。何か、不都合は、ございませんでしたか?」

「とんでもないです。皆さん、とても良くしてくれました。屋根のある馬車にも初めて乗ったんです。でも…」

「でも?」

「…私は、小さい時から体が弱くて、旅の途中もみんなの手を煩わせて…。迷惑を掛けてしまいました」

「今は、いかがですかな?」

「今は、…もう、大丈夫です」


モーリスは、診察を始める前、宰相イオリからセシルの左腕の石を確認するよう耳打ちされた。だが、この火の気もない薄ら寒い部屋で上着を脱がすのは、医師としてどうしても憚れた。体調を崩しているのは明白なのだ。おそらく、ここにいる者は、『白の民』の特性の知識もないだろう。

まして、今、目の前におられるのは、仮にも皇族の血をひく皇子なのだ。それは、この場にいる誰もが確信していることだ。ただ裏付けや審問のためだけに、皇族としてあらざる扱いを受けている。策の為、いた仕方ない事とはいえ。


「モーリス、どうした?」

「陛下、ここは、診療には、そぐわないと存じますが。セシル様を皇宮へ移されるべきかと」

「侍医長殿、何を仰っているのですか?まだ、何も確認処理出来ておりません」

宰相イオリが、口を挟み鋭い視線を投げかけた。位でいえば、宰相の方が上だ。

それでも、モーリスは、ひかない。

「陛下、私モーリスは、幼いころより陛下に道義を説いて参りました。しかし、この状況は如何に」


その言葉に、皇帝グランジウスが、モーリスを見やる。次いで、視線を入口の扉へ向けた。

「ムロト、そこにいるな。『新緑の間』を整えよ」

「はっ、陛下。いつでもご使用いただけます」

扉の陰から家令のムロトが答えた。


『新緑の間』は、皇帝の子や独立する前の兄弟が、居とする部屋だ。『皇帝の間』の向かいに位置する。


「陛下、それは、危険すぎます。今しばらくこちらに!」

「セシル様の体調は、決して良いとは言えません。このあばら家では…」


「あ、あの、俺、ここでいいですから」

セシルは、目の前で、自分の所為で揉める光景にうろたえた。

日が暮れかかっているなか、知らない街中に放りだされては敵わないし、カイトの事も頭に浮かんだが迷惑を掛けるわけにはいかない。しかし、明日になれば、道を尋ねながら森に帰ればいい。多くもないが路銀もある。体もどうにか持つだろう。なんとかなる。…多分。

「俺、こんな立派な家に入った事もないし、えっとこんなお洒落な長椅子とか。…もし、ここがダメだったら軒下でも、そこの庭の木の上でもいいです」


「…っは、わっはっははは」

それまで黙っていたドモンが、腹を抱えて笑いだした。

「イオリお前の負けだ」

宰相イオリは、苦虫を噛み潰したような顔をした。

ようやく笑いを治めたドモンは言う。

「セシル様、最高だ。木の上で寝る殿下なんて、…はっはっはっは」

「あ、あの、木の上は、獣にも襲われないし…」

最高と称賛されたセシルは、なぜ称賛されたか分らなかったが、木の上の説明を試みる。

そのセシルの視界が急に高くなった。皇帝の顔が、すぐ近くにある。

「此度の件、全ての責は余にある」

グランは、セシルを腕に抱きあげると〝 あばら家 〟を後にした。


渡り廊下を進むうち、我に返ったセシルは身じろいだ。グランの歩みは、確かなもので不安はない。だからと言って、皇帝の腕の上にいて良いわけもなく、それ以前に、自分は大の男だ。

「陛下、陛下、降ろしてください。自分で歩けます」

「兄上、動かないでください。暴れると落ちる」

「ひっ」

グランは、前を向いたまま、声だけでセシルの意思を封じた。人を従わせることに慣れた声音だった。



皇宮に入ると、そこは全てが一変し、セシルは、グランの腕に抱かれたまま、目を見張った。

広い廊下は、床に深い紫紺の絨毯が敷かれ、白い壁に金の縁取りが施されていた。所々に見事な絵画や大きな花瓶も飾られていた。

その中に、皇帝の親衛隊が、一定間隔で立ち、皇宮に仕える者たちも、忙しそうに行き来している。

しかし、皇帝が近づくと、皆、驚愕の目を向け、または一瞬固まった後、慌てて道を開け廊下の端に控え頭を下げた。

皇帝の腕の中にいるのは、白い髪、白い瞳の『白の民』。

それ以上に、鋼と称される皇帝が、誰かを抱きかかえるなど信じられない。

セシルは、端々から突き刺される視線に居た堪れず、グランの肩に顔を伏せた。その様子に、グランが目元を緩め、わずかに口角を上げたことに、セシルは気付いていない。


グランは、周囲の反応など一切気にすることなく、セシルを抱きかかえ皇宮の中を進んだ。皇帝の住まいである皇宮は、コの字型の三階建てだ。

一階は、応接間、ホール、厨房、使用人たちの部屋があり、二階が、皇帝の生活の場だった。建物の中央にある広い階段を上り東側に進むと、突き当りに皇帝の家族がくつろぐ居間と食堂を備えた『樹冠の間』がある。もともと、家族の絆が強い皇族は、この部屋で過ごす時を大切にしていた。いかんせん、グランには、無縁のものだったが。

その『樹冠の間』の手前に『皇帝の間』があり、隣が『皇后の間』。向かい側に、皇帝の子弟の部屋である『新緑の間』『若葉の間』がある。


グランが『新緑の間』の前に立つと、家令のムロトが、扉を開けた。

『新緑の間』は、薄緑色を基調とした爽やかさの中に、優しい趣をかもしだしていた。広さは、居間だけで、森にある小屋がすっぽり入る。やわらかそうなソファーやテーブルなどの調度品は、ベージュ色で統一されシンプルだが格調高い。


侍医長の進言により、家令のムロトが、更に寝室の扉を開け、グランが中に入った。

居間もそうだったが、寝室の暖炉にも、あらかじめ火がくべられ暖かい。

部屋の真ん中には天蓋つきのベッドがあり、家令のムロトが、今度は天蓋の幕を開け、グランがセシルをそっと横たえた。セシルを受け止めた軟らかな上質なベッドは、森の小屋のベッドの三倍はあった。


寝室の中には、いつの間にか、宰相イオリと親衛隊長ドモンもいた。五人の男たちから見下ろされるセシルは、緊張に身を竦ませた。

侍医長モーリスが一歩前に出る。セシルの竦ませた体を更にビクッと震わせた姿に、グランがセシルの手を握る。

「兄上、大丈夫です」

頷くセシルを見定め、侍医長が、口を開く。

「セシリエス殿下、診察をさせていただきます。それでは、服を……」

セシルが、また頷き、自分で服を脱ごうとすると、「失礼します」と家令のムロトが手を出してきた。断ろうとしたが、向けられた瞳が、馴染みのある瞳にみえ、その手を素直に受け入れてしまった。今日、初めて会ったのは、間違いないのだが。


ムロトが、端切れと言える着衣を手際よく、下穿きだけを残し剥いでいくと、皇帝の兄の体が露わになった。

服の上から想像はしていたが、皇帝グランジウスとは程遠い華奢な、しかし、何もしない貴族とは異なり、薄い膜のような筋肉がしなやかな体に張り、艶やかな肌を持っていた。

そして、左腕と右の足首には、革紐が巻かれていた。


グランは、セシルの全身を堪能した後、ある一点を凝視した。そこには、右肩から胸にかけて刃物と思われる小さくはない傷があった。

何時、誰が、この傷を……。グランの瞳に、怒気が宿る。


先程、『樹蔭の間』で、倒れ込みそうになったセシルを見て、勝手に体が動き腕の中に寄せた。その華奢な肢体は、背も自分より頭一つ分低く、腕の中にすっぽりと入ってしまうほどだった。

その体を、この部屋まで運んできたが、腕の負担にもならぬほど軽かった。過去を聞き、傷をみれば、これまで辛い思いを味わってきたのは明らかだ。

もう、そんな思いは絶対させない。このかよわい生き物を守るのは、自分だ。自分しかいない。


侍医長の診察が終り、ムロトの手を借り、セシルが、ベッドの上に体を起こすと、いよいよ左腕にあるはずの石の確認をする段になった。

こんどは、宰相イオリが、一歩前に出た。

「セシリエス殿下、左腕の革紐を外して頂けませんか」

宰相の言葉に、セシルは、困惑の表情を浮かべた。確か、皇帝も石がどうとか言っていたが、頭に入っていない。

「申し訳ありません。この革紐は、母から、絶対に人前で外してはいけないと言われてきたので……」

宰相イオリが、眼鏡を上げる。

「殿下、その革紐の下にある物が、何を意味するかご存知ですか」

「……」

問われたセシルは、戸惑いながらゆるゆると首を振る。

それを見たグランが、無言のまま剣体と剣を外し、ムロトに渡し、更に服のボタンを外し始めた。

「陛下!」

水浴びするならいざ知らず、皇帝が、人前で肌をさらすなど通常は、ありえない。宰相イオリの制止の言葉も聞かず、グランは、上着を全て脱ぎ捨てた。


突然のことに呆然としているセシルの前に、鋼の体躯があった。ぼこぼこと無駄な筋肉が付いているわけではない。鍛え抜かれた筋肉が、広い肩幅と厚い胸板を、逞しい腕を、鎧のように覆っている。


グランは、セシルの前に立ち、そして、左腕をみせた。

目の前にある腕、そこに収まっていたのは、自身しか持ちえないと思っていた石。決して人目に触れさせてはいけないと言われていた石。

セシルは、そうっと手を伸ばし、それから、恐る恐る、滴型の黒い石に触れた。

「……石。……同じ。……俺と、同じ石」

セシルにとって、皇帝の体に触れるなど不敬以外のなにものでもないが、手は、かってに自身も持つ同じ黒く光る石に引寄せられた。


―― 同じ ―― 

セシルとは、かけ離れたところにあるものだった。

髪も瞳も人とは違った。自分を生んだ母親でさえ、自分と違う色を持っていた。せめて体だけでもと思えば、腕には黒い石があった。

その同じ黒い石を持つ人間、自分と相通じる人間がいた。


     ―――  おんなじだ。 俺とおんなじだ。 ―――


セシルの瞳に涙が浮かぶ。一人だけじゃなかった。


「兄上、この石は皇族の証です。そして、兄弟は、同じ位置に同じ石を持つのです」

「……同じ石は、……兄弟」

「そうです。私たちは、間違いなく兄弟です」

「……兄弟」

このむせ上がってくる気持ちは、なんだろう。あふれた涙が頬を伝わり落ちた。一人ぼっちじゃなかった。


「兄上、私と同じ石を見せてはいただけないか」





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