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* * * と * * *の間は、ちょっとだけ痛い表現があります。
言伝えに、皇族は、石を抱いて生まれるとあるが、あながち嘘ではない。
皇族は、その体に、生まれた時から石がある。
『黒の民』は黒耀石、『蒼の民』は蒼玉、『赤の民』は紅玉。その石が、皮膚からわずかに盛り上がるように体の一部に収まっている。石のある位置も形も、人それぞれで、大きさも、卵大から米粒ほどと様々だ。
なぜ、皇族の体に石があるのかは、わからない。わかっているのは、『皇族の丘』(その大地によって呼び名は異なるが)を離れ、代を重ねると、石はだんだん小さくなり、やがて無くなる。もう一つは、同じ親の血をひく兄弟では、同じ位置に、同じ形、同じ大きさの石があるということだ。
セシルとグランには、同じ左腕に同じ石がある。兄弟の可能性が高い事を意味する。加えて、これまで調べた背景を鑑みれば、疑う余地はない。
* *
宰相イオリは、はーっとため息をつき後ろを振り返った。
「陛下、私の話が、まだ終わっていません」
それから、訳が分からないセシルに向き直ると、居住まいを正し告げた。
「この方は、『黒の大地』ロウダン帝国皇帝グランジウス様です」
告げられた名に、セシルは、驚き目を見開いた。
最高位者を前にして、本来なら片膝をつくのが先決だが、そこまで、頭が回らない。とにかく、着座したままでいるわけにはいかない。セシルの母は、普段とても優しかったが、礼儀作法については、厳しかった。身についた教えが、セシルを勢いよく立たせた。
その瞬間、―― 視界が暗くなった。
「兄上!」「危ない!」
一番に動いたのは、グランだった。セシルの血の気が失せ傾いだ体を腕の中に治め支えた。
「……すみ、ません」
セシルは、皇帝の手を煩わせた事に恐縮し、腕の中から出ようとしたが、更に抱き寄せられてしまった。
「兄上、大丈夫ですか?イオリ、医者を呼べ、侍医長のモーリスをっ」
セシルの耳に、医者と言う言葉が響く。
「ま、待ってください。い、医者様は、必要ないです」
なんとか声を絞り出したセシルを、グランが覗き込む。
「しかし、顔色が優れないが?」
「本当に、医者様は、いいです。……大丈夫です。いつもの、事です」
「なら、尚の事……」
「お願いだから、呼ばないで下さい」
グランの腕にしがみついたセシルの手は、震えていた。そして、懇願する真珠の瞳を見て、グランは頷いた。
「わかりました」
了承の言葉に、セシルは、細く息を吐いた。
同時に、ドモンが巨体を活かし、セシルの視界を遮り、宰相イオリが、音もなく扉を開け、外の護衛に隠れた指示を伝えた。
グランは、セシルを促し長椅子に掛けさせた。セシルは、一人で立つことが難しく、今度は抵抗なく従った。当然のように、グランも一緒に隣に座った。
セシルにとって、立眩みは、珍しくもないが、それ以上に、体は悲鳴を上げていた。保養所で休養を取ったとはいえ、この旅で余裕のない行程をこなしてきた。蓄積した疲労は、すぐにはとれない。その上、きのうは、冷たい川に落ち、死にかけた。
今日、マヒロたちと別れた後、この部屋に連れてこられ、初めは、気を張り詰め長椅子の上に端坐していた。だが、気付かぬうちに寝てしまうほど、体は参っていた。
腰を下ろした二人の前に、ドモンが跪いた。
セシルは、目と鼻の先に近づいた巨漢に、いまだグランに縋っていた手に思わず力を入れた。その手の上に、グランが手を重ねる。
「セシル様、はじめまして。俺は、親衛隊長ドモンです」
あえて、殿下とは呼ばない。
「は、初めまして」
怯えた風のセシルに構わず、ドモンは、親しみの持てる笑顔を作り話を続ける。
「セシル様は、医者が、苦手なんですよね。俺もですよ」
その言葉に宰相イオリが、「医者が、怖いなど子供ですか」と嫌味を言うが、この際、無視する。
ドモンには、直感的に告げるものがあった。
傭兵出身のドモンは、グランや宰相イオリたちより庶民を知っている。
「あの苦い薬も耐えられないですよねぇ」
「……ち、違います」
「んじゃぁ、なんで?」
「……俺は、『色なし』だから……、『色なし』のくせに医者様の手を煩わせてはいけないと……」
グランの眉間に皺が寄る。今は、それも無視する。
ドモンは、『色なし』への世間の目も、扱いも知っている。
「誰が、そう言ったんです?その幼馴染って奴ですか?」
「カイト兄さんは、カイト兄さんは、そんな事、絶対言わない!むしろ俺のせいで、医者様に……ゴホッ、ゴホッ」
勢い込んで喋った為に、咳き込んだセシルの背を、グランが優しくさする。
ドモンは、初めて目にする稀有なものに目を見張った。『鋼』と呼ばれ、血も涙もないと言われた皇帝が、人の背中をさすっている。
それとなく宰相イオリを見れば、彼も呆気にとられ、開いた口を閉じられないでいる。宰相イオリとは短くない付き合いだが、こんな顔を見たのは初めてだ。
グランが言う。
「兄上、訳を話して下さいますね」
セシルは、静かに頷くと、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
「……俺が、四つか、五つの頃……」
* * *
秋から冬へ向かう季節の変わり目に、セシルは風邪をこじらせ、熱が下がらない日が続いた。母フィオナは、手に入る薬草と、得た知識を尽くし看病したが、所詮は素人、限界があった。見兼ねたバナルが、月に一度、村に巡回に来る医者を連れてくることになった。
だが、当日、バナルは、家畜が急に産気づき、医者を案内することが出来なくなり、息子のカイトを替わりに同行させた。
カイトは、医者とその助手を馬車に乗せ、セシルの家に案内した。
医者とその助手は、使命感にあふれていた。深い森に入る悪道も厭わない。
「幼子が、寝付いているとは気の毒な」「早く、治してあげたいものだ」
セシル親子について、医者たちには、村人にも使っている〝 戦争で火傷を負った親子 〟という触れ込みを使った。
森の小さな家に着くと、セシルの母フィオナは、スカーフですっぽり髪と瞳を隠していた。ベッドの上には、頭と目に布が巻かれ、頬を上気させたセシルが寝ていた。今日は、医師たちの為に、セシルは、目が悪いという設定も加えられ、母フィオナから、絶対、布を取ってはいけないと言い聞かせられていた。
白衣に着替えた医者たちは、セシルに優しく声をかけながら、診察を進めていった。しかし、その優しさに気の緩んだセシルは、うっかり目を覆った布を外してしまった。母が気付いたときは、遅かった。
「お前、『色なし』かっ」
医者が、そう言った途端、バシッバシッという音と共にセシルの両頬に衝撃が走った。何がおきたかわからず、反射で閉じた目を開けると、態度の豹変した医者がいた。その眼に宿るのは、嫌忌、憤怒、憎悪。
引っ叩かれた事より、その眼の方が恐ろしかった。
目の前の人物に、自分は、何か悪い事をしただろうか。自分は、そんなに悪い存在なのか。自分のせいで、優しい医者が変わってしまったのか。
口の中に、釘の味がして、鼻から生温かいものが流れた。痛みは、後からやってきた。
「『色なし』のくせに、医者の手を煩わせおって」
また、医者の手が降り上げられた時、母が、医者の腕にしがみ付いた。
「やめてぇーっ」
医者が、腕を振り払うと小柄な母は、床に吹っ飛んだ。その勢いでスカーフが外れ、蒼い髪と瞳が露わになる。後ろにいた助手が、「女、『蒼の民』か。敵国の民が、誑かしおって」と、母を床に抑えつけた。
時は、戦時中である。
医者は、更に怒りを膨らませ、セシルをベッドから引きずり降ろそうとしたが、今度は、カイトが、医者の腕に噛みついた。
「離せ、くそっ」
医者が、喰らい付いたカイトを殴るが、カイトは、離さない。更に、力任せに殴り飛ばすと、カイトが、竈に叩きつけられた。竈には、部屋に蒸気を上げる為、湯釜が、かけられていた。その湯釜の熱湯が、カイトの肩から背中に降りかかる。
「ぎゃーっ」
カイトの絶叫が、狭い家の中に響き渡った。
そこに、バナルが、駆けつけ、医者と助手を叩きのめした。すぐに、母フィオナが、カイトの火傷の手当てをした。セシルは、カイトに這い寄り、真っ赤になった背中を目にする。涙とまだ止まらない鼻血と血の混じった涎が、背中に滴り落ちた。その後のことは、覚えていない。
火傷の痕が、カイトの肩から背中にかけて残った。カイトは、「この火傷の痕は、俺の勲章だ」と言い、自分を責めるセシルを気遣った。
また、セシル親子の秘密は、村に広まらなかった。バナルが、策を講じたと思われる。
* * *
話が終わる頃には、部屋に灯りがともされていた。
気がつけば、グランは、うつむいたセシルの背に手を添えていた。
くだらない妄想だが、その時のその場に行き、医者たちを殴り倒してやりたいと思った。
扉を叩く音がした。
「陛下、モーリスでございます。よろしいですかな?」
「入れ」
セシルが、怯えた眼をグランに向けた。
「大丈夫です兄上」
グランは、不安を拭えるように、セシルの手を強く握る。
入ってきたモーリスは、ひょろりとした体格に白くなった長い髭を携え、人のよさそうな笑みを浮かべていた。白衣は、着ていなかった。
モーリスは、これまでの話を聞いていたのだろう。扉の陰に気配があった。
「初めましてセシル様。侍医長を務めるモーリスでございます」
跪き最高礼を示す。
「……」
医者を前にしたセシルは、声を出すことも出来ない。
モーリスは、笑顔を引っ込め粛然な面持ちで硬直したセシルを見つめた。
「初めに、お詫びしなければなりません。この世に生を受けた者は、精霊の子として皆同じ。医師として治療を必要とする者を診るのは、当然のこと。ましてや、人に危害を与えるなど許される事ではありません。あまつさえ、セシル様の心に深い傷を負わせた事、同じ医者として心からお詫び申し上げます」
モーリスは、深々と頭を下げた。
「……待ってください。あの、頭をあげてください。侍医長様」
「モーリスとお呼びください」
モーリスは、頭を下げたまま言った。
「じ……モ、モーリスさんが、謝る必要はありません。俺、弱いから、……今でも強くなれなくて、……思い出しただけで震えてきて……だから、誰の所為でもないんです。頭をあげてください」
それでもモーリスは、頭をあげない。
セシルは、困ったように、またグランを見つめた。
グランが、命ずる。
「モーリス、頭をあげよ」
やっと頭をあげたモーリスを見てセシルほっと息をついた。
そして、自分の望みを叶えてくれた皇帝に、微笑むことで感謝を伝えた。
これで何度目だろうか?
セシルは、何時の間にか、どうしていいか分らなくなるとグランに縋る様な瞳を向けてくる。
自分だけに向けられるその瞳、弟である自分だけを頼る真珠の瞳。
グランは、そのことに、言い知れない喜びを感じていた。
セシルを初めて目にしたとき、心が震えた。更に、宰相の問への答えで、セシルの暖かさを知った。
宰相は、その答えを「取るに足らない……」と、一笑に付した。グランも、目の前の貧弱な男から、得る益があるなど考えていない。
しかし、セシルの言葉は、グランを揺さぶった。
―― 兄弟ができたら、嬉しい
兄として何かしてあげたい ――
セシルは、兄弟なら、兄弟というだけで無我にグランに情を傾けたいと言うのだ。
益など、なにもいらぬ。これが、自分が、真に欲っするものではないのか。
今、その兄と手を取り繋がっている。自分の隣に兄という存在がいる。それだけで、心が潤い満たされていく。それは、渇いて、ひび割れた川底に水が静かに浸み渡り、やがて豊かな水を湛えるのに似ていた。
自分は、飢えていたのか。こんなにも飢えていたのか。
しかし、もう、独りではない。これは、私の兄だ。私だけのものだ。
願うことは、ただ、ただ、隣にいて欲しい。
隣に、いて下さい。
セシルも、自身が皇帝の兄と認識出来たわけではないが、無意識にグランに心寄せるようになっていた。
もともと、他人に甘える方ではない。体が弱く、非力ではあるが、自分から誰かに頼ることはしない。森の中で、長年たった一人で生きて来たのだ。しかし、グランは違った。
最初に目に入って来たときは、その大柄な体付きと面貌から怯えてしまったが、時折見せる篤実な様に心を許し始めていた。
「兄上、モーリスは、信頼のおける人物です。医師としても申し分ありません。診察を受けていただけますね?」
セシルは、黙って頷いた。




