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セシリエス一行が、峠で襲撃を受けたあと、警戒の為すぐ近くの野営場を素通りし、次の野営場にたどり着いたときには、日が暮れていた。
セシルは、目を覚まさなかった。疲労の溜まっていたところに、生死をかけた極度の緊張を味わった体は、限界だったのだろう。
騎士団隊長ゲンセイは、騎士たちにセシルを馬車から天幕まで運ばせた。そして、セシルの顔色の悪さに眉をひそめた。
今回の任務を親衛隊長ドモンから聞いた時、自分では不敬に当たるのではないかと考えた。騎士団隊長という職は拝命していたが、爵位も持たない自分が、皇帝の兄君を皇宮にお連れするなど無礼なのではと。
しかし、その兄君が『白の民』だと聞かされ考えが変わった。
ゲンセイは、かつて精霊を祀る寺院の聖職者を父に持ち、自身はその寺院の衛兵隊長をしていた。戦争が長引くにつれ、『白の民』の弾圧が激しくなり寺院に逃げ込む者も多かった。寺院は、横暴な黒源教に背き『白の民』を匿い保護した。しかし、権力を濫用した統制に最後まで守り切れず、多くの『白の民』が拘束された。その中に、ゲンセイの妻もいた。
その後、寺院は取りつぶされ、ゲンセイは、ドモンの傭兵隊に加わり現在に至る。
久しぶりに目にした『白の民』は、儚げで弱く、それから強かった。
強いというのは、体や剣術の事だけを言うのではない。全てを受け入れ、尚も人を思いやる強さだ。
セシルは、これまで、『白の民』として多くの理不尽な事を味わってきたに違いない。それは、マヒロが確認した肩から胸までの剣によるものだろう傷からも容易に想像できる。
人は、自分が不幸に見舞われたとき、それを嘆き恨み澱みとする。澱みとするから荒む。しかし、彼は、それを受け入れ糧としたのだろう。悲しみや苦しみを悩みながらも受け止め、糧とし自身の実とした。得た実を思いやりとして人に分け与える。騎士たちにも、自分をけなしたズシーヨにさえも。過去に人から傷つけられたはずなのに。
人に優しくする、思いやるという事は、心が大きく強くなければ出来ない。
あの片田舎からセシルを引っ張り出し旅を続けている。いつの間にか、ゲンセイにとってセシルは、任務の為の単なる護衛対象ではなくなっていた。
次の日、セシルは、浮き上がるような感覚とともに目が覚めた。目に映ったのは、最近見慣れた天幕の天井で、どうやら、自分用に与えられたベッドに寝ているようだ。
俺、いつ布団に入ったんだろう ― セシルは、記憶をたぐっていく。襲撃を受けた後、峠を下り、町に入った辺りまでは、覚えている。それ以降の記憶がない。たぶん、誰かが、寝床まで運んでくれたのだろう。また、手を煩わせた事に気が引ける。
「……はあぁ、駄目だな、俺」
思わず声に出てしまった。
「おい、白、たいそうな御身分だな」
「へっ」
視線をまわすと、椅子に座り本に顔を向けたままのズシーヨがいた。誰もいないと思っていた中、独り言を聞かれ恥ずかしくなり、とりあえず朝の挨拶をした。声がかすれていたのは、しかたがない。
「……あの、ズシーヨさん、おはようございます」
「馬鹿な。今、何時だと思っている。もう昼をとっくに過ぎているぞ。白、貴様のおかげで、帝都に帰るのが、遅くなった。」
「すみません。……俺……ゲホッ……」
セシルは、申し訳なさに、なんとか重い体を起き上がらせた。
ズシーヨは、セシルと二人だけの時は、依然としてセシルの事を〝 白 〟と呼ぶ。セシルもかしこまって殿下と言われるよりも、どこか気が楽だった。
話し声を聞きつけたのか、マヒロが姿を見せた。
「殿下、お目覚めですか。お加減はいかがですか」
「マヒロさん、……俺、こんな時間まで呑気に寝てい……ゲホッ、ゲホッ……」
「殿下、こちらのお水を」
水呑みを差し出したマヒロは、セシルに向けた優しげな目を反転させズシーヨを向く。
「ズシーヨ様、殿下をいじめてなかったでしょうね」
「ふん」
その後、体調が悪いセシルの為に、マヒロが、布団の上に膳を運んだ。今日は、このままここに留まるという。寝床を出る事はないとはいえ、マヒロは、なにかとセシルの世話を焼く。
一息ついたときに、騎士団隊長ゲンセイが、顔を出した。
「殿下、よろしいでしょうか。もし、殿下のお許しがあれば医者を呼び、御診察を受けてみてはいかがと」
ゲンセイの話に、誰もが頷くと思っていたセシルの顔が、医者という言葉を聞いた瞬間、強張った。
「……い、医者様は、呼ばなくていいです。……少し休めば大丈夫です。本当に医者様は、いらないです」
「ですが、殿下、熱が……」
「お願いです。呼ばないでください」
これまでにない強い拒絶に、マヒロもゲンセイも息を呑む。みれば、セシルの手は、震えていた。
「ふん。殿下様は、医者が怖いんだろう。まったく子供じゃあるまいし。臆病者にも程がある」
声を荒げるズシーヨにセシルは返す言葉もない。
「……ごめんなさい。ズシーヨさんの言うとおりです。……俺、弱いから、どうしても医者様が怖くて……ダメなんです。情けなくて、すみません」
ゲンセイは、セシルのベッドの脇に立ち、頷いてしまったセシルの視線の高さに合わせ膝を折った。
「殿下、ここにいる者の中に殿下を臆病者や弱いと思っている者は、誰一人おりません」
「ゲンセイ、私は、思ってい……「殿下、」」
ズシーヨをマヒロが遮る。
「誰にも苦手な物はあります。私も高い所が苦手なんです。小さい頃、木から落ちて、それ以来、高い所が怖くて……」
立ちあがったゲンセイが、顎に手を当て一つ頷く。
「ふむ。そういえば、私も生の玉ねぎとセロリは、苦手だ」
「隊長、それは、ちょっと違う気が……」
「貴様ら、何を言っている。……まあ、この私でさえも苦手な物はある。あふれ出る才能を隠す事が苦手だ」
「……」
「……みなさん、ありがとうございます。……俺の為に……」
「おい、殿下様、弱虫の上に泣き虫では、救いようがないぞ」
「はい。……すみません」
これまで、セシルの生きて来た世界は、狭かった。母と一握りの者たちだけだ。しかし、この旅を通じて初めて、友とも仲間とでもいえる者たちに囲まれている。そして、その者たちは、不甲斐ない自分に寄り添おうとしてくれている。セシルは、その気持ちが嬉しかった。




