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セシルの母フィオナによれば、セシルと母は、セシルが生まれる前からバナルとその家族の世話になってきた。
フィオナが身ごもりこの地に移り住む時、この家を世話してくれたのもバナルだった。セシルが生まれてからは、セシルの父親代わりとして慈しみ支えてくれた。
セシルもまた、見たこともない父の影をバナルに重ねていた。
そして、バナルの妻エンナとフィオナは、友を超えた同志でもあった。辺境でお互い家族を守るため二人の女は、つねに助け合い励ましあった。
バナルとエンナには、二人の子がいた。すでに嫁に行った娘のナナと十五年前に宮仕えするべく帝都に旅立った息子のカイトだ。
カイトは、セシルの三つ年上だった。小さな頃から一緒に遊び、笑い、泣き、そして守ってくれたのが、カイトだった。そんなカイトをセシルは本当の兄のように慕っていた。しかし、帝都に行った後は、一度も会っていない。
バナル達がいなければ、セシル親子は、この地で生きていく事は出来なかった。そして、何よりセシルと普通に接してくれる唯一の家族だった。
バナルは、乗ってきた馬から降りると悪い方の足を引きずりながらセシルに近づいてきた。顔に刻まれた皺が深くなったがガッシリした体格のバナルは、これほど心強い味方はいない。
「バナルおじさん。……俺……」
セシルに労わる様な眼差しだけをくれ、バナルは先ほどセシルを殿下と称した男を正面に見据えた。
「ゲンセイ隊長殿、話が違う。驚かせないよう、まず私が殿下にお伝えすると言ったはずだ」
「我々も驚かすことのなきよう考え、馬を置き歩いてきた。お逃げになられたら困る。また、貴殿が、出奔の手引をしないとも限らない」
「な、何を言って……」
「……バナルおじさん」
話が見えず不安に駆られ、セシルは、バナルの名を呼んだ。
振り返ったバナルは、暫しの沈黙の後、口を開いた。
「……セシル、いえセシリエス殿下、……貴方様の父親は、先代皇帝ダヴィーグ陛下にございます。あなた様は、紛うことなきロウダン帝国皇子。本来御座すべきところは、この辺地にございません。……これまで隠してきた事、深くお詫び申し上げます。」
そしてセシルの前で跪いた。
「や、やめてよ。おじさん。……俺、俺、殿下なんかじゃないよ。父親は、ただの商人だったって、俺が生まれる前に死んだって、母さんが……」
「母君の名は、フィオナ様。フィオナ様は、29年前黒の大地へ移り住む。次の年、男子をご出産される。13年前、フィオナ様、亡くなる。残されたお子は、現在28歳。そして、『白の民』。これが、セシリエス殿下についての調書です」
隊長ゲンセイが、淡々と述べた。
地上の強張った空気をよそに、森には、いつものように鳥のさえずりが聞こえ、木々の葉のざわめきがそれを飾る。
セシルは、腰まである髪を束ねていた蒼い紐をひいた。広がった白い髪を一房手に取る。今この髪を見つめる瞳もやはり白だ。
―― 『白の民』 ―― 白い髪、白い瞳、この『黒の大地』では、『色なし』と侮蔑される。
母のフィオナは、蒼い髪と蒼い瞳を持っていた。幼いころ母と違う事が悲しくて、どうしてと問い詰め母を困らせた。
少し大きくなると、今度は、他の人と違う事に気付き胸が苦しくなった。その時は、母を問い詰めなかった。母を悲しませたくなかったから。
バナルが傍らに立った。
「セシル、今だけセシルと呼ばせてもらう。わかっていると思うが、違う色の民と民の間にできた子が、『白の民』として生まれる。フィオナ様は、『蒼の民』だった。父親であるダヴィーグ様は、『黒の民』。そして、生まれてきたのが、セシル、おまえだ」
この世界には、誰もが知る創世の物語がある。