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「畑を全て焼き尽くせ」
ロウダン帝国の『裁きの間』に皇帝グランジウスの声が低く響き渡る。
本日、詮議になっている件は、ご禁制のアヘンの製造だった。被告の男は、爵位を持つそこそこ有力な貴族だった。
男は、領民を脅かしアヘンの原料となるケシを隠れて栽培していた。更に、若い娘たちにも無理やりアヘンを摂らせ、地下に監禁し貪りつくし、使えなくなったものは娼館に売り払っていた。
逆らうものは、容赦なく切り捨て、幾人の領民の犠牲者が出たかわからない。
「判決を言い渡す。領地没収の上、死罪だ」
被告の男は、その場に崩れ落ちた。
現皇帝は、貴族といえども特権的扱いはしない。『裁きの間』に参列する者たちは、顔色一つ変えず下された極刑に身を震わせた。その多くが貴族だった。
一人の貴族が、手を挙げた。
「恐れ入りますが陛下、死罪とは、いささか性急な判決かと」
それを、皮切りに次々にと声が上がる。
「もう少し議論の余地が」「どうか酌量を」
この『裁きの間』の間で、気がついた者は何人いるだろう。無表情とも言える皇帝グランジウスの眼光が、鋭さを増したことに。
この優しき者たちは、死罪を受けた貴族に同情や良心から異を唱えているわけではない。これを機に相手に恩をうるか、もしくは、万が一、自分に同様の状況が降りかかった場合に、少しでも有利な前例を作っておくためだ。
とんだ茶番である。
今まで、多くの似た光景をみせられてきた。これから、幾度、この光景をみせられるのか。彼らの、行動のもとにあるのは、つねに自分の利益と欲望のみだ。
揺るがない鋼の皇帝の声が、低く響いた。
「如何なる事があろうとも、この判決が覆ることはない。以上を持って閉廷とする」
皇帝は、立ち上がると、皇帝の紋が印されたマントをひるがえし、一度も振り返ることなく『裁きの間』をあとにした。
裁きの後、いつものごとく『黒耀の間』にいつもの姿があった。
「リオン、此度の件、ご苦労であった」
皇子リオンが、胸に手を当てる。
「……いや、もっと早く解決していれば、犠牲者がより少なく済んだかもしれない……」
不正の臭いを嗅ぎつけた皇帝が、観光という名目で皇子リオンを実態把握のため送り込んだのだ。
皇帝の労いの言葉も、事件の痛ましさにリオンの顔は晴れない。
宰相イオリが、棚の奥にしまってある極上の茶葉を入れた。
「殿下、どうぞ」
リオンは、いつもの椅子に座り、茶を口にした。
宰相イオリは、密かに分析していた。
皇帝であるグランの椅子は、芸術品ともいえる極上品だ。細やかの彫刻が施され、金糸、銀糸の紋ビロードにワインレッドのパイルが織り込んである。丸みを帯びた大きな肘掛と背もたれをもち、三人の大人がゆったり座れる長椅子だ。
グランは、その長椅子を当然のように独占している。主なので当たり前なのだが。
親衛隊長ドモンは、自分用の馬鹿でかい肘掛椅子を勝手に持ち込んだ。ここにあるのは座り心地が悪いし、気にいらんと。一時は、満足のいく椅子を求めて、仕事より椅子探しに夢中だった。
皇子リオンの椅子は、上等ではあるが普通の一人掛け用の椅子だ。元々この部屋にあり、イオリと同じものだ。
たかが椅子一つのことだ。それでも、各々の性格を表していると、イオリは思う。
「うまい茶だ」
皇子の言葉にイオリは、頭を下げた。
一息ついた皇子リオンは、気になっていたことを口にした。
「ところで、セシリエス殿下の件は、どうなっているんだ?」
「ゲンセイからの報告書が、こちらです」
宰相イオリが、封書を手渡す。開けて見ると中には
「 ご出立 」
の三文字だけがあった。
「これだけか?人物像なり状況報告はないのか?」
「報告する価値もない者ということだ。厄介者め」
感情も何もない声が答える。
「グラン、血の繋がった兄君だ」
「血の繋がりがなんだ。兄だと、そんなものは、いらん」
リオンは、幼いころを思い出した。
ロウダン帝国帝都には、政を行う宮殿の裏に小高い丘が広がっている。広さは、村が一つすっぽりと入るほど広い。その広大な敷地に、皇族が住んでいる。民は、その丘を『皇族の丘』と呼んでいた。
『皇族の丘』で、宮殿に一番近いところに皇帝の住む皇宮がある。さらに奥には、他の皇族の住む離宮が点在している。
皇宮や離宮は、皇族にとって自分の家だ。自身たちは、宮と呼んでいる。それぞれの宮は、樹木や美しい庭園で彩られていた。
宮と宮は、道で繋げられている。その道は、石畳みを敷き詰め、馬車もすれ違えるほど広い。
皇族たちは、互いの宮を馬車や時には散歩がてら行き来していた。
リオンは、その内の一つの離宮に両親と四つ下の妹と四人で暮らしていた。母は前皇帝ダヴィーグの妹である。
子供のころ、皇族の中でも年が近いグランの宮に、よく遊びに行った。そこには、無駄に広い部屋の中で、大きないすにたった一人座っているグランがいた。
周りには、多くの仕える者がいる。しかし、グランを見ている者は、誰もいない。
リオンは、まだ何も知らない子供だったが、これが、「一人」ではなく「独り」だということを学んだ。
グランは、生まれた時から「独り」だった。グランの母アーリャは、グランが生まれると母と妻の責務を放棄した。
ロウダン帝国は、一人の夫に一人の妻しか認めていない。側室やそのための後宮もない。
また、女帝にならない限り、皇族の妃(妻)が政にかかわることはなかった。規模の違いこそあれ、庶民の女房と同じように、家庭である宮を守り、自ら乳を飲ませ子を育てることが務めだった。
当時第四皇子ダヴィーグの妃アーリャは違った。私心の赴くまま花を愛で、詩を嗜み、刺繍などの趣味に勤しむ日々を送った。
産み捨てられたグランのために、乳母が付けれた。だが、ロウダン帝国におけるその役目は、あくまでも乳を与えるだけのものだった。
妃である母を差し置いて、子を慈しむわけにはいかず、アーリャの不興を買ってまで、目を掛ける者もいない。
グランの周りには、いつも乳母や侍女、警護の騎士など多数の人間がいた。その群は、ただそこに在るだけの冷たい壁に等しかった。
その母が、グランに唯一接する時があった。夫であるダヴィーグが絡む時だ。
アーリャは、年端の行かないグランに、常に説き聞かせた。夫ダヴィーグが如何に不誠実か。そのせいで自分がどんなに不幸になったかを。
ダヴィーグも、激務の中、妻とわが子の状況を危惧し歩み寄ろうとした。しかし、ダヴィーグがグランに触れようとするだけで、アーリャは狂乱状態に陥った。激しく罵る妻に為す術もなかった。
アーリャにとって、グランを奪われることはあってはならない。
グランは、自身を妃に繫ぎ止める大切な道具であり、愛情を注ぐことは無くとも価値ある存在だった。




