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ズシーヨがおとなしくなると、出発の準備が始まった。
セシルは、馬車の中でマヒロの手で着替えさせられ髪を梳かれ身なりを整えた。
初め、どう見ても貴族の服に気後れし拒んだセシルだったが、ゲンセイの「警護のためです」の一言で受け入れた。
なんでも、表向き今回の旅は、ズシーヨが、アモルエの遠縁に遊びに行き、今度は、親しくなったそこの息子を帝都に連れてくるという筋書きだった。
二台の馬車のうち、1台は、主人たちが乗るもので、向かい合った座席は、大人4人が、ゆったりとくつろげる広さがある。椅子の座り心地も上等だ。
もう一台は、二人掛けの後ろに荷物を積むスペースがあり、主に従者が乗るため乗り心地がいいとはいえない。
セシルは、馬車に屋根があり外側が囲われているものを見るのは初めてで、その馬車が二台もあることに驚いた。
一方、バナルの胸の内は、複雑だった。
帝都から遠く離れたこの僻地しか知らなければ、目の前の馬車は、立派に映るかもしれない。だが、かつて宮廷に仕えたバナルからすれば、この馬車もセシルが着せられた服も皇族に相応しいものではない。
責任者と名乗る男も、エンナが、おたんこなすと言ったが、あまりにもその通りだ。
ただ、騎士団隊長を見る目は、変わったが…。
バナルは、皆があわただしく動く中、一人佇むセシルに声をかけた。
「セシル、これは2か月分の手当だ。これしか用意できなかった。すまん」
バナルが、手渡した袋の中には、1万ダベ金貨が4枚が入っていた。
「こんなに。……でも、俺、いつ仕事に戻れるかわからないよ」
本心は、「生きて帰ってこられるかわからないよ」だったが……。
セシルは、『精霊の森』の中にある湖と祠の手入れや世話をする守人の仕事をしていた。手当は一月2万ダベ。この手当が、実は、村ではなくバナルから出ているのではないかと、セシルは思っている。というか確信している。
バナルの家にも余裕はない。以前は、多くの家畜を飼っていたが、今では、牛のモモ一頭だけだ。
貰うわけにはいかない。返そうと思いバナルの目を見ると、そこに映るバナルの気持ちの強さを読み取り、大人しく受け取った。
二人にエンナも加わり、とっくに自分より背の高くなったセシルを「いつでも帰っておいで」と抱きしめた。
「セシル、あたしはね、フィオナが亡くなったとき誓ったんだ。セシルのことは、私に任せてって」
15の歳に森の奥深く一人暮らす事になったセシルに、エンナは、この家に来て一緒に暮らそうと何度も声を掛けてくれた。
しかし、セシルが森から出ることはなかった。自分のせいで大切な人が傷つくのは、もう耐えられなかったから。
エンナは、男たちが出発の準備をしている間に、さっさとセシルの洗濯物を洗い、器用に馬車の脇に紐を括りつけ、そこに洗ったシャツやズボン、下着を連ねた。適度な風が洗濯ものを具合よく棚引かせる。
「おい、女、ドウエン家の馬車に何をしている」
「あら、洗濯ものはね、湿ったままだと臭くなるんだよ。知らないのかい」
「そんなことを言っているんじゃない。こ、こんな無様な馬車に、この私が乗れるか」
その馬車は、主人用の馬車だった。
「そうですか。それならズシーヨ様、従者用の馬車にどーぞ、どーぞ。僕が、こちらに乗りますから」
ズシーヨは、気がつけばマヒロに促され従者用の馬車に乗っていた。
「ぐぁ、なんだ、この臭いは。マヒロ、この危険物をどうにかしろ」
ズシーヨが、馬車の窓から叫んだ。
「す、すみません」
答えたのはセシルだった。ズシーヨが、危険物と称したものは、セシルの数少ない荷物の一つ『鼻もげ』という薬草だった。万能の薬と言われ、医術が進んだリュイファ帝国からフィオナが持ち込んで体の弱いセシルの為に栽培していたものだ。薬効もあるが、その名の通り野菜が腐ったような臭いが強烈だった。
セシルは、自分は御者台でいいからこの薬草を馬車の中へと言ったが、なんとか従者用の馬車に積むことで落ち着いた。
結局、ズシーヨは、そのまま『鼻もげ』と道連れになることを選んだ。
彼の美意識が斬新的な馬車を受け付けなかったようだ。
皇帝の兄を乗せた二台の馬車は、悪臭を漂わせ、洗濯物をはためかせながら出発した。




