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1時間目の化学はぼろぼろだったけど、2時間目と3時間目は考えていたよりも解けた。当然いつもより点は低いと思われるが、化学に比べたらまだましだ。いやはや、持つべきは友というか。
「綾香、ありがとう。言ってくれたところ解答できたよ」
お礼に、少しだけその打算に乗ってやる。
「えー、よかった」
テストの時の席替えで、わたしと春宮君は席が近くなる。春宮君にもこの会話は届いているはずだ。
「春宮君が教えてくれたからだよ」
頬をわずかに染めて、綾香はもじもじと言った。女特有の計算が見えてこなかったら、わたしもきっと綾香に夢中になっていた。そんな愛らしさだ。
「じゃあさ、お礼言ってきなよ。すぐそこにいるんだし」
「えっ」
ほら、なんて綾香の背を押しつつわたしは鞄を持つ。逃亡体制へ。
「西崎さん、どうかした?」
「あ、あのね……」
ちらっと振り向く彼女が目にしたのは、颯爽と教室を後にするわたしの姿だろう。邪魔者だし、いなくてもいいんじゃないかな。
明日の現国への戦に備えて、帰宅後すぐに昼食の準備に取りかかった。テストは嫌いだけど、早く帰れるのはうれしい。これが翌日の勉強のためだとわかっているんだけど、ついつい遊んでしまうのが学生というものである。いや、わたしはそれでも勉強しないとピンチなんだけどね。さらに、明日は一番強敵の現国だ。後でみっちり夕の現国ノート手写しを脳裏に刻み込まねばならない。
だから、せめてご飯の一時だけはゆっくりと過ごしたい。そう、おいしいものを食べて英気を養うのだ!
人はそれを逃避行動と呼ぶのだろう。普段はカップラーメンだったり出前だったり、はたまたコンビニのおにぎりだったりするわけだが、テスト期間中は念入りに料理を作る。
今日はグラタンにした。挽き肉が安かったし、牛乳も家にあったし。
わたしはウキウキとした気分でフライパンを揺すった。バターを溶かして挽き肉を炒める。そこに塩胡椒で味付け。バターと肉のそそるような香りがしてきたら、ここで小麦粉の登場だ。
ホワイトソースは具材とは別に作ったりするけど、ダマになりやすいからわたしはやらない。具材と一緒に絡めて炒めちゃえば、香ばしくなるし、何よりダマにならないのだ。
小麦粉の袋を手とって、いざ入れん、とした時だった。
やけに埃っぽい掘っ立て小屋。そこに例の赤い制服を着ている男二人が、今すぐにでも剣を抜こうと柄に手を置いている。男二人は唐突に現れたわたしに警戒しているようだった。背後には当然あのローブ男がいるはずだ。大方ローブ男が小屋に連れ込まれ、殺されそうになったところでわたしを呼んだということだろう。ちらっと背後に目をやれば、ローブ男はもごもごと何か言っていた。
突然のトリップにも慣れたものだ、と自分でも思う。眼鏡を外して、スカートのポケットにしまった。ため息がつきたくなる。本当に、どうにかならないものかな。この召喚というやつは。というよりローブ男は。
わたしはおもむろに小麦粉の袋を掲げた。黄色と赤のラベルででかでかと「薄力粉」と書いてあるものだ。男二人が息を飲んだ。その男どもをわたしは見据える。慄いたのか、一歩後退り。
小麦粉を手にとった女子校生に怯える大の男二人。この光景はさぞかし滑稽なことだろう。でも、これは別にハッタリのつもりはない。
袋の口を両手で持った。ビリビリビリ、と紙の破れる音がする。視界が白く染まる。1秒、賭けは負けか、と身構えた。瞬間、信じれないほど大きな音が鳴った。一瞬だけ全身を痛みが襲う。
わたしが顔を歪めた時、バターの香りが鼻についた。
「あー」
火を止めた。
「今日は早かったな」楽だったし。
確認すると、服は埃と煤まみれ。粉まみれ。血まみれよりマシ。眼鏡は無事だ。
頭から小麦粉を被ったから、シャワーを浴びた。一通りまたぼろぼろで捨てる寸前の服に着替える。うん、最近おしゃれからさらに遠ざかっているのは気のせいではない。裏で綾香たちに嗤われているのも分かるよ……。
再びフライパンを前にして、わたしは何か足りないことに気づいた。
「あ、小麦粉ないや」
すでに午後2時、ぐ〜と間抜けな音が台所に響いた。




