召喚獣は傷つかない
お気に入りのピンクのくまさんがプリントされたパジャマを着て、机に向かったのは、時計の短針が8を指している頃だった。夕からお土産でもらったシャープペンシルを手にとる。ノック部分に有名なネズミのマスコットがチェーンでついているものだ。このネズミのマスコットは気味が悪くてわたし自身は嫌いだったが、このシャープペンシルだけは大事に使っている。
鞄からノートを取り出した。それから、わたしの現国ノートも。夕の字は読みやすい。綾香たちが使っている変に凝った文字ではなくて、習字のお手本のような。
「さて、やるぞ」
早速シャープペンシルの先をノートに置いた。
電気が消えてしまったのかと思った。ざわざわと木々の揺れる音に、すぐさま否定される。ここは外だ。左手から冷たい土の感触がする。
「イズミマヒロ、あいつらを殺せ」
暗闇に浮かんだのは、あのローブ男だった。手の平から火の玉が浮いて、辺りが照らされる。ここは森の広地みたいなところだった。わたしはそこで呆然と男を見上げている。
「え?」
また召喚された?
「後ろだよ、後ろ」
わたしはゆっくりと振り向いた。木々の間から男が数名迫っている。
「何これ」
刃が月夜で煌めいた。男たちの手の中に剣の柄がしっかりと握り込まれている。
わたしはさっと立ち上がった。
「ちょっと、帰してよ。もう召喚しないって言ったじゃない」
ローブ男に駆け寄ろうとしたが、後一歩のところで、届かない。見えない壁みたいなのが男とわたしの間にあった。どんどんとシャープペンシルを握り締めた手で叩くけど、ローブ男はおもしろそうに唇を釣り上げただけだった。
「わかったとは言ったが、承諾はしていないだろ」
「詭弁だ!」
男たちはもうすぐそこにいた。赤い制服みたいなものを三人とも着ている。影になって表情が見えない分、恐ろしかった。目頭が熱くなるのを感じながら、なおも壁を叩く。
「お願い。まだ死にたくない。ねぇ。帰して、帰してよ。ひっ」
男の一人が剣を振りかざした。60センチほどの刃渡りをわたしは見据える。頬にはもう涙が伝っていた。
「助けて、助けてください」
腰が抜けて地面に座り込んだ。脚に力が入らなくて、かわりに全身に震えが走る。
恰好悪くてもなんでもいい。泣きながら口に出るのは懇願の声だけだった。
「わたし関係ない……、助けて、助けて」
風を切る音がして、腹に灼熱の痛みが走った。
「った……」
剣はわたしの腹に深々の食いこんで、背まで貫通した。
「ったい。痛い」
内臓が抉られるような感覚だ。思考も何もない。痛みだけがわたしを支配した。
仰向けに倒れこんだ。剣が引き抜かれ、また鋭い痛みが走る。男はまた突き刺そうと剣を振り上げた。
目の中に入ってきたのは、ローブ男のいやらしい笑みだった。
「なぁ、イズミマヒロ。大丈夫だろ?」
「……にが」
何が。
「召喚獣は傷つかない。異世界の生物に、この世界の物質は干渉できないからな。召喚獣には傷一つつけられないってわけだ」
得意そうに語るローブ男に、憎悪を覚えた。
パジャマを切り裂かれたが、裂け目からのぞくわたしの皮膚は綺麗なままだ。血も出てない。
「うっ」
だけど、痛い。また刺された。
「理解したならさっさとあいつら殺れよ。いくらひ弱で力がなくたって、傷つかないなら時間経ったって殺したりぐらいできんだろ」
新たに心臓に剣が突き立てられた。違う男だ。
「…んで。なんで、あんたなんかのためにわたしが人を殺さないといけないのよ!」
ローブ男はおもしろそうに笑い声をあげた。
「わかっていないようだな、イズミマヒロ。お前をここへ呼ぶも帰すもオレの自由だ。つまり、オレの命令を聞かない限りは元の世界に戻れない」
それとも一生ここで剣のくし刺しになっておくか?
ローブ男の言葉に、わたしはゆっくりと身を起こした。自分から動く分、刃が食い込み、痛みが走る。でも、痛みは耐えられるって、今知った。沸々と湧き上がってくる憎しみが、痛みよりも強いんだってこと。
最初にわたしに剣を振るった男が息を飲んだ。柄を離そうとする手を掴んでわたしに引き寄せる。そのまま、右手に握ったシャープペンシルを男の首筋に後ろから力一杯さした。肉の感触、軽い呻き、熱い血、男は痙攣して倒れこんだ。
「あんた、本当に最低」
月明かりが男の死体を照らす。延髄に突きささったシャープペンシルの、ネズミのマスコットがゆらゆらと揺れた。
心臓の剣が引き抜かれる。身体が跳ね上がるような痛み。わたしは己れの腹に刺さった剣をゆっくりと抜いた。剣はずしりとして重い。両手でやっと持てるほどだ。
雄叫びを上げながら、男がわたしに斬りかかった。わたしはおとなしく受ける。肩に痛み。男の動きが一瞬止まったのを見て、わたしは剣を男の腹へ向かって払う。切れ味はよかったらしい。男の腹からピンク色の腸が零れた。返り血がわたしの頬やパジャマを濡らす。じっとりと熱かった。
肩から剣が外れて、痛みも消える。
なるほど、剣が刺さっていないと痛みはないのか。
わたしは残る男に目を向けた。今更ながらに、三人組だったことが分かる。腹を抑えて呻いている男を尻目に、ゆっくりと最後の一人へ近づいた。
「うっ、うわあああぁああああぁあ」
怯えをみせるが、果敢にも男は斬りかかってきた。腹で剣を受け止め、わたしは男を見上げる。はじめて、それが若い男だと気づいた。大体二十すぎたぐらいだろうか。コーカソイド系の顔立ちだから、もしかしたらもっと若いかもしれない。そんなことをぼんやりと思いながら、わたしは両手で剣を振るう。痛みで思ったように力が入らず、男の脚が切れた。がくん、と跪くように倒れる。腱をやったか。
腹から剣を引き抜いて、わたしはやっと一息ついた。
うつ伏せに倒れた男が、涙声で何かつぶやいている。
「助けて……、殺さないで……」
わたしが懇願した時は無視したよね。これって、お互い様じゃないかな。男の脳天をめがけて、剣を振り下ろした。




