泉まひろの平穏な日常
あれは多分俗に言う異世界トリップってやつなのだろう。アニメや漫画によくあるけど、巫女でも神子でも、当然勇者なんてものでもなく。「元の世界へ戻るため〜」なんて旅に出ることなんてなかった。こうして極普通に日常があると、やっぱりあの出来事は白昼夢なんじゃなかったかな、って思ったりもする。
ゴールデンウィークが終わって、さらにゴールデンウィーク後の憂鬱な日々も乗り切って、五月ももう下旬だ。来週からテストという地獄の週でもある。さすがに朝冷えるなんてこともなく、昼頃は冬用のセーラー服だと少しだけ暑くなる。
疎らだった教室も騒がしくなってくるのを横目に、わたしはカリカリとシャープペンシルを動かした。
「おはよ、泉」
「おはよう」
西崎綾香だ。今日も念入りに天然の茶髪を巻いて、ナチュラルメイクに余念がない。ほんのりピンク色のリップを塗っていて唇も艶やかだった。綾香は学年で1番かわいいと評判の生徒だ。さらに言うと、女子のリーダーみたいな存在でもある。自分でもかわいいを演出しているのがよくわかる動作や言動をする。綾香の周りには自然とそういう取り巻きのような女子が集まり、一つの大きなグループを作っている。そんな彼女は何故かわたしと会話をしたがり、当然の如くわたしは西崎綾香グループに取り込まれた。グループで一人だけ浮いている、だけど、隣にはいつも綾香がいる、そんな状況。10年も女子学生なんてやっていると、女子はどこかのグループに属さないと学校生活が送れないってことは悟る。仕方なく現状を受け入れているが、本当は橘さんみたいな地味グループがよかった。明らかに友達作り失敗です、はい。席が隣だったのがよくなかったな。
「泉、昨日現国サボったでしょ。教室にも結局帰ってこないし」
「まぁね」
だから、そのツケを今払っているわけなんですよ。英語の予習と数学の宿題だけはやっておかないと。
「佐藤先生怒ってたよ。で、昨日の授業の内容をテストに出すって」
「えー……」
サボったのは不可抗力だったっていっても、多分誰も信じないだろうな。異世界トリップして泥まみれ汗まみれです、とか。結局上履きも靴下もどろどろで、制服だって張り付いてて、とても授業どころではなかった。昨日はかばんも置いたまま早々に家に帰ってしまった。洗い物は大変だし、散々だったんだ。
それに、わたしがサボったからその日の内容をテストにするって、さらにそれを公言するって幼稚すぎるよ。わたしが佐藤先生に嫌われているってのは知っている。一年のころから、現国の記述問題で分からないところがあると、「解釈は読者の自由です」って書いていた。多分その所為だ。説明文はまだいいとして、小説が大嫌いで仕方がないし、小学生のころから無意味だって思っている。行間を読み取って登場人物の心情を理解しろ、だなんて。そんなにはっきり読み取ってほしいなら説明文みたいにきっちり説明すればいい。そうでないなら、小説は作者の手を離れたら後は読者の解釈次第だ。どう読み取ろうが読者の自由だと思う。それで作者の思いが伝わらないのなら、単に作者が力不足で作品は駄作ということだ。学校教育のような解釈の強制だなんて、自分の思考を型に押し込められているようで窮屈だった。
朝からため息をついてしまった。
「まぁ、誰かに教えてもらうよ」
綾香に教えてなんて言わない。
「ふーん」
わたしはまた英語の予習に戻った。単語を覚えるなんて努力はしていないから、単語一つ一つ調べるのに手間取る。
「あ、春宮くん、おはよう!」
「おはよう」
「春宮くん、おはよう」
「春宮くん」
クラスの人気者が教室に入ってきた。この時間になると、女子は大体揃っている。人気者に挨拶したいがためだ。綾香は席から離れて春宮君の側へ行った。毎日の出来事だ。わたしは目もくれず、ひたすら勉強に集中する。どんなに外野が煩くても。
わたしのクラス、2-Bは特殊だ。学年で人気の男子と女子がいる。特に男の方の人気が凄まじく、学年の違う生徒が教室を訪れることも珍しくない。
春宮要の名前は1年の頃から知っていた。何しろ特進のSクラスを抜いて首席だし、モデルも唸るような端正な容姿をしている。天に二物を与えず、と言うけど、春宮に関しては二どころか三も四も持っている人間だ。運動抜群、家は金持ちと聞いたことがある。本当に、どこのスーパーマンだよ。
綾香はすっかり春宮君に夢中でアプローチも見ての通り。それを春宮は笑顔で交わす。三文芝居のループのような下らない日々。
朝のホームルームが始まるまでに、わたしは火急の英語の予習をやり終えた。ひどい訳だけどね。




