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どんなに頭の中で否定したがっても、いい加減これが夢じゃないってわかる。一瞬で汗だくになったり、さらには靴下まで泥まみれになることなんてありえないのだ。この徒労感だって。異世界召喚? も十分ありえないことだけど、実際は「あった」。6時間目の開始を知らせるチャイムを聞きながら、わたしは間抜けな顔をしているわたし自身を見た。
三度目の召喚も、例の湿原だった。トイレから抜け出して上履きを脱いだところで呼び出された。泥のぬるぬるとした感触が靴下を通して伝わる。生ぬるい。
顔を上げると、ローブ男が股間を抑えて悶えている。
「うう……。イズミマヒロ、召喚士に歯向かうことができるとは……規格外だな」
「あのさ」
もうわたしの許容範囲なんてぶっとんでる。いざ渦中に放り込まれると、人間思考なんてどうにかなるものだ。わたしは汗でべたついた前髪を掻き上げた。
「説明してほしんだけど」
「何をだ?」
「すべて」
目の前の男がわたしを呼び出したのは理解した。だけど、それ以外がわからない。あの化け物のことだって、わたしが今ここに呼び出された理由、とか。
「あの化け物は何よ」
ローブ男はやっと身を起こした。
「ゴーレムだ。かつてこの地が巌の荒涼とした土地だったころ、この地下に眠る遺跡を守るために創られたらしい」
「へぇ」
よくアニメやマンガにあるような設定だな、なんて思う。
「で、うっかりオレがトラップ踏んで復活したわけだ」
自然と右手を握り締めた。お前が原因じゃないか。やばい、一発入れたくなってきた。
「で、どうしようもないから、以前から気になった召喚獣を試しに呼び出してみた次第だ。本当に出てくるし」
ローブ男の胸ぐらを掴む。161センチのわたしよりも15センチほど背が高い。そんなの関係ない。ぐいっとわたしに引き寄せた。ローブから除くのは相変わらず口元だけで、若干引きつっているようだ。
「あのさ。なんなのよ、その召喚獣っての。見ての通りわたしは歴とした人間だし、獣じゃないし! こんなか弱い小娘があんな化け物倒せるわけないじゃない」
「倒したじゃないか」
「……ふざけんな」もしあいつが自滅しなかったら、わたしが死んでいた。
軽口を叩ける雰囲気ではないことを、ローブ男はやっと察したようだった。一回唇を引き締める。
「召喚獣ってのは異世界の生物のことだ。そう、イズミマヒロみたいに。それをオレのような召喚士が呼び出す。召喚獣はその呼び声に従ってこの世界へ渡る」
「わたしはあんたの声なんて聞いてない」
この3回とも、いつも唐突だ。
「イズミマヒロは特殊みたいだね。話せるし、召喚士に攻撃するし。まぁ、言語を解する召喚獣も高級なものになればいるけど、君はそうじゃなさそうだ。普通召喚獣ってのは召喚士に逆らえないし、まず逆らわない。召喚士と召喚獣は信頼関係で結ばれているからな。それに、召喚獣は呼び出される度に力を得る。喜んで召喚に応じるってわけだ」
「わたしは強くなってなんかない」
ローブ男は頷いた。
「元々がよわっちそうだしな。0に0を掛けたっていつまでも0だろ。そういうものじゃないのか」
わたしはローブから手を離した。ローブ男は蹌踉めいてわたしから離れる。
「見ての通り、わたしは弱いよ。特殊能力なんかないし、魔法? なんてわたしの住んでいる世界には存在しない。格闘とか、剣とかそういうのも扱えない。むしろ運動なんてからっきしだよ」
ローブ男の口は一文字に封じられたままだ。
「ただの人間なの。それもなんの力もない」
見定められている気分だ。
「だから、もう呼び出さないでくれるかな。はっきりいって力になれないし、なりたくないし、死にたくないし」迷惑だし。
湿気った空気は嫌いだ。とくに、温度も高いなんて。わたしは腕を擦りながらローブ男を眺める。何か考えているようだったが、ため息一つ吐いた後、わたしが望んだ台詞を口にした。
「わかったよ」
「よかった」
本当にこの湿地にも、このローブ男にも到底好印象なんていだけなかったけど、これで最後ならまぁいいかって気分になる。
「さよならだね、ローブ男」
「イズミマヒロ、オレの名はウツキだよ。じゃあな」
そうして、わたしの異世界譚は無事終わりを迎えた。




