3 『黒猫』
あの後、彼女は喫茶店の場所と名前を教えてくれた。
『黒猫の昼寝』という喫茶店らしい。そこまで遠くないので、明日行ってみることになった。
彼女が見えないケイに、会話の内容を伝達するのは大変だった。
ケイはいちいち反応が大きい。そのうえ独り言も多い。彼女の話がさえぎられることもしばしばあった。
そのたびに僕はケイに訝しげな目線を送っていたが、彼が気づいていたかどうかは怪しい。
でも、彼女はそんなケイの様子も面白いらしく、いつものキラキラした笑顔を見せた。
夕日に照らされ、彼女の髪が穏やかなオレンジ色に染まるので、僕は彼女の髪が綺麗だな、と以前にも増して思った。
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翌日、僕とケイは喫茶店に向かった。
とはいえ、知っているのは喫茶店の名前くらいだ。店の人は何か知っているだろうか。
道を歩くと、日に焼けた道路のにおいがする。
歩くたびにどんどんシャツがへばりついてきて、うざったくて仕方ない。
心なしか、靴の中も湿っぽい気がして嫌な気分になった。
夏休みとはいえ、平日の昼間は人が少ない。
少し歩くと窓を開けた家から扇風機の音が聞こえ、また少し歩くと風鈴の音がした。
少し向こうで、朝顔のグリーンカーテン家を日差しから守っていた。しかし、僕から見ると真昼の日光を反射して目が痛い。
打ち水をした跡もある。でも、僕がその上を通るとジメジメとしていた。涼しいような気もしたけれど効果があるのかわからない。
今日はこの年一番の暑さだとテレビでやっていた。あと何回その言葉を聞けばいのだろうか。
家から10分ほどしかたっていないのに、すごく疲れてしまった。
自転車できたほうが良かっただろうか。
ようやくついた喫茶店の前では、ケイが待っていた。
「おお!シュン、おはよう!いや、この時間はこんにちは?」
「あ、ケイ、おはよう。待たせちゃってごめん。今日暑いのに。」
「いや?全然大丈夫だぞ?俺は結構慣れっこだから!」
そりゃそうか。ケイは毎日走り込みとかしてるもんな。
ふっと鼻から息が漏れた。
「そうだね。僕は体力ないからうらやましいよ。」
「シュンも鍛えればいいんじゃないか?」
そんなことを言いながら喫茶店の前でしばらく駄弁ってしまった。
さすがに見かねたのだろうか。喫茶店の中から店主であろう人物が出てきた。
「あの~?すみません。お店の前をふさぐのはやめていただけますかね?」
初老の、眼鏡をかけた男性だった。
エプロンを身にまとっている。
「あ!ごめんなさい!今からお店はいろうとしてて・・・。」
「すいませんおじさん!あ、でも俺らが話してる間誰も通らなかったので大丈夫っすよ!」
ケイはたまに余計な一言を言う。
店主は、はあ、とため息をはいた。
「まあ、そうだろうね。こんなに暑い日に、こんな店、お客さん来ないですよ。」
肩を落とした店主が店の中に入るので、僕らもそれについていった。
「どこでも座っていいですよ。今日は君ら以外にお客さんはいないので。」
ぶっきらぼうにそう言うと、店主はカウンターの向こうに戻っていった。
はたして彼はNについて知っているのだろうか。
話を聞くならカウンター席のほうがいいかもしれない。
そう思ったので、ケイに声をかけてカウンター席に座った。
落ち着いてから店内を見る。レトロな雰囲気だ。色の濃い木の壁と家具。そして、ステンドグラスの窓がとても印象的だ。今日は日差しが強いので、ステンドグラスがより濃い光を床に映している。
充満するコーヒーの少し焦げたような匂い。空調が効いていていて涼しい店内は居心地が良かった。
メニューを見てから注文を済ませた僕らは、店主にNのことを聞いてみることにした。
「あの、十年くらい前に、このお店に僕らみたいな学生が来てませんでしたか?」
店主が背中を向けたまま気だるげに答えた。
「十年前?そんなの覚えてない。・・・どんなやつだったか特徴は分かるか?」
「いや、それがわかんないんだよなあ。そいつの知り合いが、そいつがよくここに通ってたって言ってたんだよ。」
ケイがこういう時に物怖じしないところはすごいと思う。
「ああ、そうだ、髪の長い綺麗な女の子が通っていたことがある。」
「・・・え?」
それは、彼女のことだろうか。
「お前さんたちと同じ学校だったはずだ。彼女はいつも男の子と一緒に来ていたよ。男の子のほうは何というか、色が白くてなよっとしたやつだったかな。」
それが、Nなのだろうか。彼女が一緒に来ていたとは初耳だ。
・・・もしかして付き合っていたのだろうか。ズキンと心が痛んだ気がした。
でも、もしそうならなんで彼女に足枷なんて付けたんだ。
「女の子の方はすごくかわいくてね。ひと際目を引いた。まあ、こんな店に来る客なんてめったにいないから、絡まれることもなくて気楽だったのかな。」
「・・・その女性は、ウインナーコーヒーをよく頼んでいましたか?」
店主がふと手をとめた。ああ、と思い出したかのように顔をあげる。
「そうだね、確かによく頼んでいた気がするかな。」
「・・・なあシュン、これって、たぶん、Nだよな?」
恐らくそうだろう。この店主に聞けば彼についてよくわかるだろうか。
彼女とNの関係性は?なんでNは彼女をあんなところにつなぎとめたんだ。
ケイが僕に向けてはなった言葉に、店主は首をかしげる。
「N?なんのことだ?」
「ああ、えーっと・・・。実は僕たち、その女の子と一緒にいた男の人について知りたくて・・・」
「ふーむ。・・・まあ、覚えてる範囲で良ければ話そう。」
店主は淹れたてのコーヒーを僕の前に、ケイの前にはオレンジジュースを出した。
彼の舌は昔から変わらないらしい。
店主は、カウンターの向かいに座って、ぽつりぽつりと話し始めた。