1 『鍵』
_______「あなたは、なんで死んだの?」
その返事を、聞かなければよかったのかもしれない。
でも、聞けて良かったと、今はそう思う。
答えを口にした彼女は、とても嬉しそうに笑っていたのを、鮮明に覚えている。
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・・・あの夏の日、僕は天使に出会った。
彼女は屋上から見える青く、酷く澄んだ青空を背にしていた。
蝉の声がうるさく、屋上のアスファルトが蜃気楼を作る。
僕は、汗ばんだシャツが張り付く嫌な感じも、むせかえるような湿気をはらんだ風が頬をなでるのも、どうでもよくなっていた。
彼女に、目を奪われた。
真夏の日差しを浴びて、彼女の背中の翼は大きな影を作る。
風が吹くと、彼女の長くて真っ白な、絹のような髪がなびく。
それを抑えた右手の甲が雲のように光を反射し、僕の目を刺した。
少し古いデザインの制服は、季節に似つかわしくない長袖だ。
長いまつ毛を伏せたいた彼女は、ふと、こちらに気が付いたかのように目を向けた。
その真っ赤な瞳は、青い空と正反対で、景色の中で急に燃え上がるように現れたその色に、僕は思わず後ずさってしまった。
真っ白な肌に強調されるかのような淡い色の唇が、ふと、口角をあげた。
鳥肌が立つ。
僕はしばらく見とれてしまった。
その場に縫い付けられてしまったかのように動けない。
「カシャン」
不意に、金属音が響いた。
音のほうを見ると、彼女の真っ白でしなやかな足につながれた枷があった。
屋上の柵につながれている。
枷の付いた足首は赤く擦れていて、痛々しくて、僕はなんだか悲しかった。
あの日、僕は飛べない天使と出会った。
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高校一年生の夏。
僕、高橋瞬が春にこの学校に入学して、そろそろ3か月が経とうとしていた。
期末テストの返却も終わり、今日は一学期最後の登校日。
終礼が終わった教室はとても賑やかだった。
「宿題いつ終わらせる派?」とか、「おばあちゃんち行くんだけどお土産なにがいい?」とか、教室中が夏休みに浮かれていた。
僕は、帰りの支度をしながら友人と二人で話をしていた。
「夏休みの部活の合宿が楽しみだなあ。今年はインターハイ出れないけど、来年は出られるようにもっと頑張ろうと思ってるんだ!・・・そういや、シュンは夏休み何するか決めた?」
わくわくした様子で熱く語る彼は、陸上部の小田切景。幼馴染だ。
中学から陸上部に入っており、高校に上がったばかりの今年も、夏休みは部活で忙しいらしい。
「高校入ってからも頑張ってるね。僕はあんまり何するか決めてないから、家でのんびりするかなあ。」
僕は部活には入っていなかった。
入学してから迷っているうちに、入部締め切りを過ぎてしまった部活も多く、なんだか入る気が失せてしまったのだ。
「ええ~。せっかくだから青春っぽいことしたくないか?あ!そうだ。シュン、部活が休みの日に遊びに行こうぜ。あと、ちゃんと外に出たほうがいいぞ?なんか日光浴びないと健康になれない?とかテレビでやってた。」
「あはは、そうだね・・・。善処するよ。僕も遊びに行きたいし、あとで休みの日教えて。どっか行きたいところある?」
「うーん・・・、そうだなあ・・・。」
ケイは小さいころからずっと僕のことを気にかけてくれている。
僕は人に話しかけるのが苦手だ。中学からの知り合いは話しかけてくれるけど、高校から初めてであった人とはまだ打ち解けられていない。
ケイは活発な性格で僕以外にもたくさん友達がいる。それでも今も遊びに誘ってくれてありがたい限りだ。
そのあと、二人で遠くの川まで魚釣りに行こうという話になった。
元気に部活へ向かったケイを見送って、自分ももう帰ろう、と教室を出た。
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廊下を歩くと、少し先の教室で数人が駄弁っている声が響く。
ほとんどの生徒は帰ったり部活に行ったりしているのか、少し人の少なくなった校舎の階段を降りる。
下駄箱のにおいは苦手なので、手早く靴を履き替えて校舎の外に出た。
建物から外に出ると、日陰から日向に急に出たのもあってか、日差しがまぶしくて思わず目を細める。
—――そういえば、日光を浴びないと健康になれないとかケイが行ってたな・・・。
そんなことを思って青い空を見上げると、視界の端に白い何かが映った。
屋上の手すりに何か引っかかっている。
最初はビニール袋でも引っかかっているのかと思ったが、それにしては大きい。
どこかの家の洗濯物が飛んできてしまったのだろうか。
なんとなく気になってしまった僕は、出てきた校舎を戻り、屋上へ向かった。
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そこで出会ったのが、冒頭の天使だ。
いや、本当の天使なのかはわからないが、人間の背中に白い羽が生えていたら大抵の人は天使だと思うだろう。
屋上の手すりに座る彼女は、純白の羽に純白の髪、ルビーのような瞳を持ち、古い長袖の制服を身にまとっている。しかし、鉄の足かせにつながれているのは、なんというか天使らしくないところだと思った。
屋上までの階段を一気に上り、息を切らしていたまま、僕は彼女に釘付けになっていた。
「やあ、こんにちは。ちょっと頼みごとがあるんだけど、いいかな?」
彼女は、柔らかい声で微笑んだ。
浮世離れした彼女が話すと、言い知れない感覚に襲われる。
心臓をつかまれた恐怖のような、美しい彼女に見つめられている歓喜のような。
緊張からか、耳元でドクドクと響く音にセミの鳴き声がかき消されていく。
僕は、あまり回っていない頭で一生懸命に、何とか声を絞り出した。
「頼み事って…なんですか?」
「ああ。君がちょうどいいところに来てくれて助かったよ。・・・ちょっと手を貸してくれるだけでいいんだ。」
そう言って、彼女は自分の足元を指さした。
「ほら、私はこれにつながれちゃって動けないの。昔、ある人につけられちゃってね。鍵を持ってるその人のことは知ってるんだけど、その人は多分もう死んでる。」
彼女は遠い目をしながら、ふふっと笑った。
「・・・それで、鍵を持ってきてほしいんだ。ここでぼんやり景色を眺めてるのももう飽きちゃったしさ。」
彼女が目線を向けた先には、部活をする生徒たちのいる校庭と街の景色が広がっている。
「えっと・・・、その鍵っていうのはどこにあるんですか?」
「お、やってくれるんだ。ふふ、鍵の場所はね、・・・わかんないんだ。」
何でもないことのように彼女は言って、いたずらっぽく笑った。
「え・・・?わかんないって、じゃあ無理じゃないですか?」
「いやいや、君が探してきてくれるんでしょ?えっとね、鍵をかけた人は昔のここの生徒。10年前になるから、この学校で知ってる人はいないだろうね。」
かなりの無理難題なんじゃないだろうか。死んでしまった人の持ち物ってどうやって探すんだ。
「え、えと・・・それじゃあ、なにか手掛かりはないんですか?」
「ふふ、そうだね。あの人は、自分のことについて話をしてくれた。だから、本当は大体の目星はついてるの。」
彼女は僕の反応を見てからかっていたみたいだ。
なんだ。それじゃあそこまで取りに行って、彼女の足枷を解いてあげればいいじゃないか。
「それで、その場所って?」
「ええ~、教えたらそこに取りに行っちゃうでしょ?そんなのつまらないじゃん。せっかくなんだし、ゆっくり探してみてよ。ちょっとした謎解きだよ。」
彼女はじっとこちらを見て微笑む。
ええ、鍵を持ってほしいんじゃなかったのか?
戸惑う僕を見て、彼女は少し眉尻を下げて、「だめ、かな・・・?」とつぶやいた。
なんだかさみしそうだった彼女を見て、少しなら彼女の提案に付き合ってみてもいいかもしれない、と思った。
そうして、僕の記憶にずっと残る夏が始まった。