東北・岩手戦争
すぐに、我々は準備が整ったとの連絡が届いた。北海道軍も移動を完了したとの連絡が届いた。
私は、海軍に出撃命令を出し、同盟国にも事前に定められたように、海軍を出撃させるように連絡した。
艦隊が岩手連合の海域に接近したころ私は、岩手連合に対し、最後通牒を拒否することを通達した。更に、三カ国で東北連合の発足を発表。それに伴い防衛戦争を宣言し、こちらから岩手連合に宣戦布告した。
宣戦布告に伴い準備を整えていた連合航空隊が岩手と秋田の前線及び街々を攻撃した。敵は、空からの奇襲攻撃によって、混乱状態に陥った。そこに、陸上からの侵攻を行った。初動攻撃を終えた航空隊は、その時、港湾攻撃を敢行しようとしていた青森艦隊及び、北海道宮城連合艦隊と共同して攻撃した。秋田艦隊には、まともな戦力がいなかったので開戦後1時間で艦隊は、殲滅された。そして、輸送船団より、機甲師団所属の連合軍が上陸し、秋田の主要地帯を制圧した。
一方で、開戦直後に、岩手側では、三陸沖海戦が行われた。空では、北海道海軍の空母航空隊と、双方の陸上航空隊が入り交じりながら空戦が行われた。海上でも東北二か国連合艦隊空母1隻、戦艦4隻、巡洋戦艦1隻、重巡8隻、軽巡14隻、駆逐艦31隻と岩手艦隊戦艦1隻・重巡3・軽巡5・駆逐15隻が戦火を交える開戦が始まった。東北艦隊は、初動は劣勢だった。陸上航空隊は、港湾攻撃を優先したため敵の航空隊の攻撃を空母航空隊が引き受けることとなったのだ。我々は、敵艦隊に接近することを決めた。しかし、その時敵の航空爆弾が宮城駆逐艦に直撃し沈没は避けたが機関部に受けた被害が大きく速力が大きく落ちたため帰投せよと命令が出された。
敵艦隊との砲戦距離に接近するとわれらの戦艦は、砲撃を開始した。我々は、重巡2隻・軽巡1隻・駆逐艦3隻を分離した。敵艦隊の重巡以下、水雷艦隊が突撃を敢行してきた。それに対し、連合艦隊は、主力艦隊を敵艦隊に向け、反航戦の形をとった。そして、分離した艦隊で敵を歓待の間に挟むようにした。敵は後方より戦艦が追っていたが孤立していた。そこに、釜石・大船渡・宮古などの港湾攻撃を終えた三カ国の航空隊が支援に来た。援軍到着後1時間もする頃には、制空権は完全にこちら側の手中にあった。爆撃隊と攻撃隊は、孤立した戦艦に攻撃を集中した。両舷に向け、魚雷を投下し何発もの爆弾が命中した。戦艦は、傾いて沈んでいった。それを終えると航空隊は、補給のために、帰投した。海上では、敵艦隊に、砲撃を行い続けた。敵は、両側面に回り込まれたことで砲撃が分散していた。更に、連合艦隊は、両艦隊で、同時に、雷撃を行い魚雷にて飽和攻撃を行った。
数十分後、敵の発射した魚雷が到達した。こちらより先に発射していたようだ。全艦艇は各自に回避運動をとったが宮城の戦艦仙台の艦尾に命中し、航行能力を喪失し航行不能になった。しかし、すぐに、隊列を戻すと敵艦隊に向け反転し、全艦隊で突撃を開始した。その時、こちら側の発射した魚雷が命中した。敵艦隊は、両舷から雷撃を受けたため回避ができず重巡軽巡が2隻ずつ沈没し、重巡が1隻航行不能になった。これにより、敵艦隊は、撤退を開始した。連合艦隊は、任務を終えたため航空隊に引継ぎ帰還した。
青森県境側から進軍した部隊は、葛巻町周辺まで前線を上げ秋田を降伏させた。
機甲師団は、秋田を下した後秋田南部より、谷となっている場所を通り、岩手南部へと進軍した。
私達は、岩手連合の首元まで軍を進めたのだ。