行政改革と産業改革①
国内の反抗勢力を制圧することに成功したため国内改革に乗り出した。
まず始めに行われた改革は、軍隊の再編だった。
陸軍は、歩兵3個師団に機甲師団1個師団騎兵1個師団となっており、機甲師団は、自動車化に成功していた。また、砲兵大隊を各師団は編成していた。
その部隊を機甲師団を札幌に置き騎兵を釧路に、歩兵を函館、稚内、日高に配備することとした。
これにより、数だけは多かった陸軍を平時に見合った形にしたことによって、充足率が満たされ兵力も区分しやすい数に統一できた。
続いて行われた改革は、工業化である。しかし、工業化は、すぐにできるものではない。そこで、5か年計画をわが国でも行うことにした。
まず、私達は表向きは、民間企業である国営企業を立ち上げた。その企業を通じて、距離の近いロシアに鉄鉱石と石炭の輸入協定を結んだ。
我々は、次に用地の確保に移った。そこで、私が目を付けたのが樽岸・湯別・北作開周囲の平らな地形であった。ここの海岸を埋め立て港を作り、交通網を整備することを決めた。
工業化の第一方針が決まると、経済の発展を目指し、貿易の強化に乗り出すことを決めた。食料自給率の低い宮城県と食料輸出協定が結ばれた。
つまり、革命後すぐに、交通網の整備が実行された。これは、大規模に行われたが最低でも一年はかかる計算だった。国内の企業は、人と機械を駆使し、国道229号線と国道9号線の道幅を広げるなどの整備に乗り出した。
この開発の間に、北海道の行政職務の細分化を図った。北海道大学などから専門家を集め、農林水産委員会・経済産業委員会・文部委員会などが設立され道内行政の発展を行った。
この改革を半年で終わらせると、残りの半年を青森との関係強化に利用した。この関係強化により、多くの道民が青森へ旅行や移住をした。青森側からも多くの訪問者があったが入国や移住の審査を強化し、人数や持ち物、身元調査を厳重にした。
我々は、青森へ一般人に、混ぜてスパイを送っていた。そのため、我々がその被害にあっていないかを確かめたのだ。
私たちのスパイは、数百人が青森から陸上の国境を越えて、東北地方全域に、スパイを置き情報網の構築を行った。
情報網構築のための準備を進めているころ道路の拡張工事時及び線路の敷設工事が終了した。これにより、インフラが整ったので、続いて、港湾工事に取り掛かることにした。これには、二年間かかるので、これに合わせて駅の工事と、工場用地の確保のために整地を開始した。