外交努力
我が国が保有している航空機は、戦闘機が200機、爆撃機が100機、攻撃機を50機と陸上攻撃機を50機に戦略爆撃機を50機また、偵察機を25機保有しているわけだが現在最前線の飛行場には、戦略爆撃機10機と戦闘機20機しか配備されていないため敵の被害は小規模なものだった。しかし、内戦も大きな動きはなく小競り合いが続いていた。
そんな状況が続いていたある日のことだった。
「密偵より、山形に関する重大な問題が報告されました。」と、少将が部屋に駆け込んできた。収集された情報によると、新潟及び、福島から武器や物資が送り込まれているのを確認したというのだ。私は、すぐに、保留されていた武器支援を開始するように命令した。また、爆撃目標として山形領内の物資集積所に狙いを定め攻撃をした。しかし、福島と新潟の偵察機が我が国の領空侵犯を繰り返し威嚇してくるようになったので、我々は航空攻撃を控えるようにした。しかし、今度は、山形領海内に新潟海軍が定期的に進出してくるようになった。敵は、コルベットやフリゲートといった艦艇を利用してきたためこちらも刺激しないように付近のそういった沿岸警備艦隊を展開した。
こうした睨み合いの最中、艦艇が衝突するという事件が起こった。この事件で死者は、出なかったが新潟のコルベットが沈没してしまった。この事件を受け更に、緊張が激化してしまった。このままでは大戦争になってしまいかねないので、私は外交努力を命令した。
まず、首都圏連合に加盟した神奈川との関係強化を進めた。そして、首都圏連合に対して、神奈川を通じて他国家よりも格段に安い利益がほとんど出ない値段での農産物の輸出を約束した。食料自給率が低く他県に食料を頼ったために食糧輸入が経済に大きな負担となっていたが今回の件を受けて、負担が軽くなるため彼らは、喜んで友好関係を結びたいと言ってきた。そこで、私自ら外交団を率い東京へ向かった。福島などの危険があったが道中で、神奈川艦隊が護衛を申し出てくれたため安全に到着できた。そこで、四か国首脳会談が開かれ東京友好条約が結ばれた。この条約では、首都圏連合と東北連合の間で、文化と経済の交流を進めることで合意した。
またここで、新潟との問題解決を依頼することにした。外交団は、新潟に「緊張緩和を行わなければ大戦争になる。私達には、その用意がある」と、通達した。更に、首都圏連合より名前を借りる許可をもらい合意には、「首都圏連合が仲介すると申し出ている。私たちと不用意に事を構えるつもりなら君たちにとっても望まない結果になるだろう」と威嚇した。
そこで、新潟より首都圏連合主催で三連合の代表を集め会談を行うことを提案してきた。私は、それに賛成した。