東北連邦の成立と改革
陸軍は、既存の歩兵3個師団に機甲師団1個師団・騎兵1個師団に加え、同盟国の歩兵4個師団と機甲師団2個師団、歩兵3個師団に騎兵2個師団そして、岩手秋田より、身辺調査をした志願兵を募集し、歩兵2個師団が編成された。東北連合軍は、12個師団の歩兵師団に、3個師団の機甲師団そして、3個師団の騎兵で編成された。そして配備された場所は、盛岡に、歩兵1個師団、仙台に2個の機甲師団、石巻に1個の歩兵師団、釜石・宮古に合計1個師団、八戸に騎兵2個師団、青森に歩兵2個師団、弘前に騎兵1個師団、秋田と湯沢にそれぞれ1個師団の歩兵計2個師団を配備することが決まった。
続いて行われたのは、より大規模な国内の産業改革である。
まず第一に、農業改革が計画された。整備されていない農場を政府で買収し、道路を引き直し、農場の区画整理をした。また、放棄された農場に関しては、政府主導の国営農場として失業者を雇いそこで働かせた。また農業の機械化も区画整理を進めることによって可能になるため、進めることとした。この農業改革には、2年の月日がかかるが即刻開始が決断された。
続いて、八戸での再開発が行われた。八戸の山間部を開発し、そこへ移住を奨励し沿岸部では、工業化を進めるというものだった。
工業化計画は、農業改革完了次第開始することと定めた。
続いて、私に権力の集中している状態の解消に乗り出すことにした。第一段階として、北海道基本条例を更に一般的な憲法に近づけ、東北連合条例の条項を受け継いだ東北基本条例を制定した。ここで、議会の設立を約束し、旧北海道議会に東北民衆評議会を設置した。そして、近くにもう一つの議会を設置することにした。それは、国内の有力な専門家を集めた東北専門評議会というものだ。現在は、旧青森議会に設置されている。
国内改革を終えると、私は、民衆評議会に、山形問題に対する介入案を提出した。現在、山形は、米沢・山形・新庄を中心とする山形社会主義評議会と、鶴岡・酒田を中心とする民主山形共和国との間で内戦状態にある。山形評議会は、我々を仮想敵国としているので、旧来、比較的友好関係にある民主山形共和国つまり、旧政府を決めた。
評議会に提出したがんに含まれるものは、まず義勇軍を送り支援すること。しかし、これは、すぐにはできないうえ周辺国を刺激するためその前に、武器支援を行うことが決められた。また、国境周辺の航空隊には、少しでも侵入した機体があれば迎撃するように指令を与えた。
また夜間には、国籍を判別できなくした機体で空襲を行うなどして支援することの許可も下りたため実行されている。