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指輪

その頃デイジーはシンジノアの部屋に忍び込んでいた。

シンジノアはサツキナ姫とカラミス王子の試合を見ているから暫く帰って来ないだろうと思った。

ふうっとため息を吐いた。涙が浮んだ。

「突然村へ返すなんて。酷い。リード」

そう呟いた。


それでも自分は小さな村に住む平民。リードはイエローフォレスト王国随一の貴族、アクレナイト侯の息子。貴族と平民ではお話にもならない。

サツキナ姫は魔族とは言え、王女様。

リードは城に帰って来てからどんどん変わって行ってしまった。


ああ、もうリードはいないんだ。

私のリードは消えてしまって、代わりにシンジノア様が現れたのだ。だから諦めるしか無い。それでもデイジーは悔しくてならなかった。


「おや?」

リードのベッドサイドテーブルの上にチェーンと指輪が乗っていた。

シンジノアがいつも首に掛けていた指輪。チェーンが切れていた。

デイジーは指輪を手に取った。

百合の花が彫られた綺麗な指輪。


「サリーって結局誰だったのかしら? もしかして、元カノ?」

サツキナとの結婚は政略結婚で実はそれ程望んでもいないのかも知れないと思った。

寝言で名前を呼んでいる割には結構冷たいじゃない? サツキナ王女に対して。いくら忘れているからってさ。



きっとそうだ。きっともう死んでしまったこのサリーと言う人の方が好きなんだわ。

サツキナ姫はそんな事を知っているかしら? 教えてあげようかしらと思った。

事実を知ってずっと悲しめばいいと思った。

「私を蔑ろにした罰よ」

そう呟いた。


デイジーは指輪を薬指に嵌めてみた。

自分にぴったりだ。

その指を顔の前に翳して見てみる。

「すごく素敵」


指輪を外そうとしたが外れない。

「あ、あれ?」


 その時、廊下から声がした。

「ちょっと離してください」

サツキナ姫の声だ。

「駄目だ。大事な話がある」

シンジノアの声も聞こえた。

「やば! 来た」

デイジーは慌てて隠れる所を探した。

壁際のクローゼットに入り込んだ。そこでじっと息を潜める。



ドアが開いて二人が部屋に入って来た。

「デイジーは村へ返す。だからあなたもカラミス王子を国へ返すのだ」

シンジノアの声だ。

「何ですって? 馬鹿な事は言わないで。デイジーは平民じゃないの。カラミス様はレッドアイランドの皇子よ。そんな事が言える訳が無いでしょう!」

「……」

「カラミス様は私を心配してここまで来てくださったのよ。あなたを探し出してくれたのもカラミス様でしょう」

「……」

「ねえ。落ち着いてください。シンジノア様。一体どうしたと言うのですか?」

「カラミス様のお陰で我が国はレッドアイランドと同盟を結ぶのです。そんな事をしたら同盟が駄目になってしまう! 絶対に無理です!」

「……」



シンジノアはふうっと息を吐いた。

「……済まない。あなたの言う通りだ。つい腹を立ててしまって。確かに俺は冷静さを失っていた。……じゃあ、これは守れるだろう? もう二度と他の男と剣の稽古はしない。するなら俺とする」

サツキナは唖然とした。

「はい? それは……?あの、……くしゅん!」

サツキナはくしゃみをした。


シンジノアは慌てた。

「汗がそのままだった。悪かった。今、何か羽織る物を……」

そう言ってクローゼットに近寄る。

デイジーは心臓が跳ね上がった。

ドアが開いた。

シンジノアとデイジーは目が合った。

「うわっ! びっくりした。デイジー! 何でこんな所にいるんだ!」

シンジノアは叫んだ。

サツキナは目を丸くした。

「あの、えっと部屋を御掃除しようと思って、その、あの、す、済みません」

そう言ってデイジーはクローゼットからごそごそと出て来た。



信じられない。

サツキナは呆れた。

部屋の主がいない時に黙って部屋に入り込むなんて。

クローゼットに隠れているってどう言う事?

有り得無さ過ぎだわ……。


「サツキナ様。シンジノア様。御免なさい。あ、あのう、私は御邪魔だから出て行きます。どうぞ、ごゆっくり……」

そう言って手を合わせたデイジーの指を見てサツキナは「あっ」と声を上げた。


思わずデイジーの腕を取った。

「痛い! 何をするのですか。サツキナ様」

デイジーは腕を払おうとするがサツキナはその指を見詰めたまま動かなかった。


「デイジー。その指輪は……」

シンジノアが驚く。

デイジーははっとした。そうだ。忘れていた。指輪を付けたままだった。


「この指輪をどうしてお前が持っているの? デイジー?」

サツキナは尋ねた。

デイジーは青くなった。

貴族の物を盗んだ者はその手を切り落とされると聞いた事がある。



「は、離してください。これは、あの、あの……」

デイジーはシンジノアを見る。

その顔を見てびくりとした。

氷の様に冷たい目でデイジーを見ている。すごく怒っている。

こんな怖い顔は見た事が無い。


サツキナの顔を見る。

こちらもすごく冷たい顔をしている。

背筋が凍った。

咄嗟にデイジーは言った。

「こ、これはシンジノア様が貸してくださった指輪で……」

「えっ?」

シンジノアは驚いた。サツキナを見る。

サツキナも驚いた顔でシンジノアを見ている。


デイジーは青い顔で言った。

「綺麗な指輪だからちょっと貸してくださいって言って、貸して頂いただけで、す、すぐにお返しいたします。今すぐに。だから手を、手を離してください……」


サツキナはぎりりと腕を締め上げる。

「痛い。痛い。御免なさい。御免なさい。許してください。御免なさぁい」

デイジーはとうとう泣き出した。


「シンジノア様。あなた様にお聞きしたい。あなた様は本当にこの指輪をデイジーに貸し与えたのですか?」

サツキナは震える声で尋ねた。

シンジノアはサツキナを見詰めたままだ。

そしてデイジーに視線を移した。デイジーは顔中涙と鼻水だらけにしてシンジノアを見詰める。その目に涙が浮かんでは流れて行く。


シンジノアは目を閉じた。じっとそのまま考える。

目を開けてサツキナを見ると静かに「はい。私が少しだけならと言って貸し与えました」と言った。


サツキナは目を見張った。

デイジーの目が輝いた。そして「シンジノア様ぁ」と言ってうわーんと泣いた。


サツキナは黙ってシンジノアを見ていたが、デイジーの手を離した。

「では、仕方が無いでしょう。……お前の主人が許したのだから。……デイジー。その指輪は私の指輪です。とても大切な指輪だからすぐに返しなさい」

と言った。

「は、はい。今すぐ。……でも、サツキナ様。御免なさい。指輪が取れなくて」

デイジーは指輪を引っ張る。

「だったら、その指ごと切り落としますか?」

「ひっ!」


「こっちへ来なさい」

サツキナはデイジーを引っ張ってドアを開けた。

「サツキナ姫!」

シンジノアが後を追う。


ドアの外で聞き耳を立てていたフィリップ、ガジール、カラミス、オダッチ、サンダー等々はさっとドアから離れた。



サツキナは泣き喚くデイジーを井戸へ連れて行くと桶に水を汲んだ。

そして「この中に手を入れて外しなさい」と言った。

デイジーは顔を真っ赤にして指輪を取った。

やっと指輪が外れた。

デイジーは指輪を両手で差し出して「サツキナ様。本当に申し訳が有りませんでした」と頭を下げた。


サツキナは指輪を手に取るとそれを自分の指に嵌めた。

そしてほっとした顔をしているデイジーの横っ面をパンと叩いた。

デイジーは頬を押さえて驚いた顔をする。

サツキナを追い掛けて来たシンジノアもその他の面々も驚く。


デイジーはぶるぶると震えながら恐怖の表情でサツキナを見ている。

いつもの柔和なサツキナでは無い。

とても怖いと感じた。


周囲に召使などが集まって来た。皆、一体何事かと驚いている。


「シンジノア様は侍女の躾も出来ぬらしい。だから私が教えて差し上げました」

サツキナはそう言ってシンジノアを見る。

「シンジノア殿。貴族の矜持も忘れてしまったあなたとは連れ添う事は出来ぬと私には思われます。だから婚約は解消しましょう。白紙に戻します。

ブラックフォレスト王国王女の夫として、あなたは役不足です。あなたに王族の伴侶は無理です。よく分かりました」

そう言った。


周囲の誰もが息を飲んだ。

デイジーの顔が強張った。

シンジノアは凍った様に立ち竦していた。



「我等はすぐにでもここを立ちます。世話になりました。では」

サツキナは無言で立ち尽くすシンジノアにそう言うとすたすたと部屋に向かった。

誰もが茫然とそれを見ている。

「シ、シンジノア様……、あ、あの」

デイジーは青い顔でシンジノアを見上げる。

シンジノアは一瞥もくれない。


「ガジール」

「はい」

「デイジーを村へ送り届けろ。出来るだけ早く城を出るのだ。二度と俺の前に姿を現さない様にしろ。顔も見たくない」

デイジーはその言葉に愕然とした。

「畏まりました」

ガジールは頭を下げた。



シンジノアはそのまま部屋へ向かった。

そして椅子に倒れ込んで頭を抱えた。



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