施薬師 ヨハン
ジョージ・アクレナイトの屋敷にいるヨハン。
ジェームズ・ボンド(商店)の仲間達とリエッサ王妃とその新しい婚約者、側近について調べていた。即ちレオナルド・パンジー男爵とクリス・ポピー近衛兵についてである。
「二人は親戚の関係だと言っていた。先頃、王妃の毒について調べていた調査官がパンジー男爵の領地へ行って屋敷を調査して来た。その報告書があるのだが……」
ルイスは言った。
「パンジー男爵はレンドル侯の領地の中に屋敷がある。村人の話を聞いた所、彼はパンジー男爵の親戚らしい。数年前にやって来て、子供のいないパンジー男爵の後を継いだらしい。それでパンジーと」
「親戚か……。怪しいな」
「パンジー男爵は酷く貧乏だったと言う事だ。もしかしたら爵位を売ったのかも知れん」
「その本物のパンジー男爵は今、どこにいるのだ?」
「その行方を捜している。村人によると巡礼の旅に出ると言ってそのままだと言う事だが……」
「殺されてしまったのか?」
「その可能性もある」
「うむ……。これはレンドル殿に尋ねた方が早いかも知れん」
ルイスは言った。
そんなある日、ジェームズを通してアジから連絡が入った。
「リエッサ王妃が湿疹で悩んでいるらしい。ブラックフォレスト王国の施薬院から誰かを派遣してくれとそちらの施薬院から連絡があった。ヨハン。そっちにいるなら丁度いい。ちょっと行って来てくれないか」
という事だった。
ヨハンは「これは渡りに船だな。分かった。様子を見てくるよ」とジェームズに言った。
そしてここは王宮。
女官長に案内されてリエッサ王妃の部屋へ向かう。
「こんこん」とノックをする。
「誰だ?」
リエッサ王妃の声がした。
いや、ルシール魔女か。
ヨハンは思い直す。
「リエッサ様。ブラックフォレスト王国の施薬院から薬師が参っております」
「おお、早かったな」
ルシールはドアを開けた。
その顔を見てヨハンはびっくりした。
顔が2倍に膨れ上がっている……。
これは酷い。
こんな酷い副作用が出るとは……。
初めての事例だ。
ルシールはヨハンを見て胸がどきんとなった。
何て素敵な男だろう。
こんな素晴らしい男がいるなんて。
ブラックフォレスト王国。ずるい。ずる過ぎる。
思わず上目遣いでヨハンを見る。瞳に星を宿して、ぱちぱちと瞬きをしてみる。
目もおかしいのか……。
ヨハンは眉を顰める。
王妃の後ろから男が現われた。
若い男と中年の男性だ。
「ああ、こいつ等がきっとお花畑貴族だろう……」
ヨハンはそう思った。
ヨハンはにこりともせずに言った。
「ブラックフォレスト王国施薬院から参りました。ネリと申します。宜しくお願い致します」
中年の男性はネリと言った施薬師を上から下までじろりと見た。
その視線の鋭さにヨハンにはある考えが浮かぶ。
これはただモノでは無い。
自分と同じ匂いを感じる。
これはどこかの諜報部員では無いのか?
一体、どこの?
ヨハンは気を引き締める。
「王妃様。こちらの方々は、王妃様の……? と申しますのは、診察はプライバシーに関する事なので……」
「ああ。レオナルドは私の婚約者だから大丈夫だ。クリスも側近だから構わない」
ルシールは言った。
レオナルドは腕を組んでヨハンを見る。その不機嫌な表情にヨハンは警戒する。
俺を疑っているのか……?
だがしかし、レオナルドは別の事を考えていたのだ。
何だ。このやたらイケている男は。施薬師の癖に。
それだけで気に入らなかった。リエッサを見ると何故か頬を赤らめ(顔中赤く腫れているからよく分からないのだが)はにかんだ表情でちらちらと施薬師を上目遣いに見ている。
その態度にもレオナルドはムカついた。
俺の婚約者の癖に、色目を使いやがって。
レオナルドは自分が敗けていると感じた男は今までにたった一人、それはジョージ・アクレナイトだった。自分は世界で2番目にイケてる男だとずっと思っていたが、これでは第3位になってしまうと思った。
心の中で「畜生」と呟く。
ヨハンは王妃の顔や首筋の湿疹の様子を診察した。
ルシールは恥ずかしそうにヨハンに診てもらう。
「クローゼットの衣服や化粧品、アクセサリー、入浴剤など見せて頂いても宜しいですか? 繊維による肌ストレスや化粧品に寄るかぶれなど予想されますので」
「分かりました」
ルシールはおしとやかに言った。
レオナルドはむかむかして来る。
ヨハンはクローゼットの中を隅々まで調べた。毒は無い。
ふと手が止まる。
酷く古ぼけたショールがあった。
白いショール。
毛玉が沢山ついている。
王妃の持ち物とは思えない。
ヨハンはそれに手をやる。
視線を感じた。
振り向くとレオナルドがそこで見ている。
ヨハンはクローゼットを閉めた。
次に寝室のありとあらゆる物を調べた。化粧品の小瓶も調べる。別段、変わった物は無い。
毒の痕跡は無い。
ヨハンはベッドの下やドレッサーの後ろも見てみた。
「そんな所を見て何か関係があるのですか?」
レオナルドが不機嫌に言った。
「ハウスダストが影響している場合があります」
ヨハンは言った。
「リエッサ王妃。何か長期間に渡ってお薬を摂取されていたという事は有りますか?」
ヨハンは言った。
ルシールはどきりとした。思わずレオナルドを見上げる。
「ええと……有りません」
そう答えた。
「そうですか。……うーん。薬疹で無いとすると……これは何かの感染症かも知れないですね。新種の感染症かも知れない。婚約者の方、治るまでは我慢してあまり触れ合わない様にしてください。触ったら必ず手を洗ってください。一応、痒み止めのローションだけ置いて行きます」
そう言ってヨハンは口元を布で覆った。
手にしゅっしゅと消毒薬をスプレーする。
ルシールはびっくりする。
「か、感染症?」
レオナルドはびくりとして王妃から離れる。思わずハンカチで口元を覆う。
その手首に見えたブレスレット。
ヨハンの目はそれを見逃さなかった。
クリスが慌てて窓を開けて換気をする。
「では、失礼致します」
ヨハンはそう言ってリエッサの部屋を出て来た。
あのブレスレッドの石。
乳白色の。オパールに似た。光の加減に因っては乳青色に見える。
あれはグリンデルタ国特産の白鳥石だ。白鳥石は希少な鉱物だから、めちゃくちゃ高価だ。
男爵クラスが買える代物では無い。
グリンデルタか……。
グリンデルタはカーラ山脈の向こうにある。面積はイエローフォレスト王国の半分程度である。そう言えば、数年前に穏健派の貴族が失墜して極右の貴族が国務大臣に就任したとジェームズに聞いた記憶がある……。
これはすぐにグリンデルタ国を調べなくては。
ヨハンはそう思うと急ぎ足で城を出た。
数日後、民衆の間で噂が流れた。
「おい、リエッサ王妃、感染症らしいぜ」
「うつるのか?」
「皮膚に湿疹が出来て酷いらしい。目なんかお岩さん状態だってよ」
「マジか? こえーな。それは隔離だな?」
「もうどこなに隔離されたらしいぜ」
「ジィド伯の呪いだな」
「死ぬまで隔離されていればいい」
そんな話があちらこちらで聞かれた。




