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いつかは、この街で。

作者: 紅月 雨降

 ―――久方振りに帰って来た故郷は、知らない街になっていた。



 兵庫県、神戸市。政令指定都市でもあるこの場所の端っこ、明石に近い海沿いの街。そこが私、日向鳴海ひゅうがなるみの生まれ育った場所だ。

 公共交通機関が充実しているから、遠出に困る事は無い。多少坂は多いが、買い物も苦労すると言う程でも無い。そんな、なんて事の無い普通の街。

 進学を機に実家を出てから五年後、仕事を辞めた私は会社の寮を離れ、この街へと帰って来た。

「………懐かしい」

 電車を降りた時、そんな言葉が真っ先に出た。

 新しいとも古いとも言えないホーム、そこから見える公園の風景、海から漂う潮の香り。それらは何一つ変わる事無く、私を出迎えてくれた。

「………あ、出て来た。おーい、鳴海」

 駅舎を出た時、聞き覚えのある声がした。迎えを頼んでいた兄に呼ばれたのだろう、と周囲を見渡すが、近くに実家の車は見えない。

「久し振り、遅かったな」

 おかしいな、と思いながら周囲を見渡したその時、兄が知らない車から降りて来る。

「………久し振り。何、わざわざレンタカー借りたの?」

 私が尋ねると、兄は小さく溜め息を吐いた。

「違ぇよ。母さんが車買い替えたって、前に言わなかったか?」

 そう言われて、ようやく思い出す。

「あぁ、そう言えばそんな事言ってたっけ。すっかり忘れてた」

「全く………碌に帰って来ないからだぞ」

「あはは、ごめんごめん」

 笑って謝罪しながら、私は車に乗り込んだ。

(………あ、匂いが)

 新車特有の不思議な匂い。以前と違うその匂いに、僅かな違和感を覚える。

「………?どうかしたか?」

「いや、何でもない」

 私は兄を誤魔化してシートベルトを締め、窓の外に目を向ける。

 動き出した風景は、以前より少し小さかった。



 「ただいまー」

 実家に戻った私が帰宅の挨拶をすると、廊下の奥から気の抜けた返事が聞こえた。

「おかえりー」

 ―――娘が久し振りに帰って来たんだから、顔ぐらい出してくれればいいのに。そんな事を考えながら、廊下の奥へと歩いていく。

「………ただいま」

 奥の部屋では、母が椅子に座ってドラマを観ていた。子供の頃から変わらない、いつも通りの姿に少しほっとする。

「おかえり。さっき言わなかった?」

 母の返事は、相変わらず気の抜けたものだった。通常運転過ぎる母に少し呆れつつ、私は言う。

「だって、顔出さなかったから。顔を合わせて改めて、って事」

「あんた、そんな無駄な律儀さよりもたまには帰ってくる律儀さを持ちなさいよ。お盆どころか正月も帰って来ないで」

 母はドラマの再生を止め、じとっとした目で私を見る。痛いところを突かれた私は何も言えず、目を逸らす事しか出来なかった。

「はあ………ま、良いけど。それよりも、分かってるわね?」

「分かってるよ。実家に住む代わりに家事は私がやる事、それと家賃を払う事。そう言う約束だもんね」

「ん、分かってるならよろしい。あんたの部屋、そのままにしてあるから」

 母は言いたい事を言い終えると、私から視線を外して再びドラマを観始めた。相変わらず自由な人だなぁ、なんて事を思いながら、私も母に背を向けて自室へと向かう。

「………ほんとに、何も変わってない」

 久々に入った自室は、引っ越した時そのままだった。

 子供の頃から使っていた学習机も、父にねだって買ってもらったベッドも、お気に入りのカーペットも、埃を被ったりもせず綺麗なままそこにあった。

 ちゃんと掃除をしていてくれた母に感謝をしながら私は荷物を床に下ろし、既に届いていた段ボールの中身を片付け始める。

「………あ」

 ふと窓の外を見た時、そんな声が漏れた。

「ここ………こんな感じ、だったっけ」

 窓から見える風景は、ほんの僅かに違っていた。元は無かった建物が建っていて、見えていたものは隠れて小さくなっている。

「………まぁ、変わるよね。五年だもん」

 その事に微かな寂しさを覚えながらも、私は荷解きを続けていった。


    ◇


 「これで、良し………と」

 掃除機を止め、塵一つ無くなった廊下を見て、私は清々しい気持ちで小さく頷く。

 実家に戻ってから、三週間が経った。

 私は母との約束通り家事をこなしながら、職業安定所に通って社会復帰の準備を進めている。

 幸い前職で貯めた貯金はそれなりにあったし、母に数ヶ月家賃を払い続けても困る事は無い。

 のんびりやっていこう―――そんな余裕綽々な気持ちで、私はこの三週間を過ごしていた。

「晩御飯の準備………には、まだちょっと早いか」

 時計を見ると、午後二時。母が仕事から戻る時間を考えると、煮物でも無ければまだ用意を始めるには少し早い時間だ。

「どうしようかな………やる事、何かあったっけ」

 買い物………は、昨日行ったばかり。掃除は今やったところだし、洗濯物も干し終わった。洗い物は食洗機に入れて終わりだし、庭の草むしりは今週末に家族総出でやる事になっている。

「………暇だぁ」

 特に何をすれば良いか思いつかず、私はリビングのソファに腰を下ろした。その後何となくテレビをつけてみるが、興味を惹かれる番組はやっていない。

 スマホで動画を見るのも良いが、よくよく考えると最近そればかりだったような気がする。お陰で少し、お腹周りが怖くなって来ていたのを不意に思い出した。

「………散歩でも行こうかな」

 軽い運動のつもりで、私は外に出る事にした。寝巻きのままだった服を着替え、鍵と財布と携帯だけを鞄に入れる。

「行って来ます」

 返事の返って来る筈もない外出の挨拶をして、私は家の外へ出た。

 外の空気は少し冷たくて、微かに身震いする。冬はもう過ぎた筈なのに、この日は随分と気温が低かった。

 戸締りをしっかりと確認し、私は街を歩き始める。

 とは言っても、見慣れた街。目新しい発見がある訳でも無し、特に何の感情も無いウォーキングになるだろう。この時の私は、そう考えていた。



 「………あ、ここって」

 特に目的も無く、ぶらぶらと歩いているうちに行き着いた場所は、私がかつて通っていた小学校だった。

 校門は錆びて塗装が剥げ、校舎には所々に黒い泥汚れが付着している。当時からあった梅の木は、今も変わらず鮮やかな花を咲かせていた。

「懐かしい………変わらないなぁ」

 昔の事を思い出し、思わず笑顔を浮かべてしまう。あの頃はいろんな事があったなぁ、なんて考えつつ、私は学校をぐるりと回るように歩き始めた。

 ぼろぼろの塀。咲き誇る沢山の桜。響いて来るチャイムの音。それら全てが、記憶の中にあるそのままだ。

 過去を思い出しながら歩いて、学校裏門前に差し掛かる。

 そう言えば、この辺りには大きな遊具が一つあった。 

 総合遊具、なんて呼ばれていた吊り輪とか登り棒とかが併設された遊具で、私は休み時間になるといつもそれで遊んでいた。

(多分、この辺りからなら―――)

 見える筈、と思いながら目線を向けて………一瞬、固まった。

「………あ、れ?」

 そこには、見覚えのない校舎が建っていた。新しくて綺麗な、プレハブ感のある校舎だ。

 元々この周辺は住宅街だし、私が通っていた時から生徒数のかなり多い学校だった。恐らくは、生徒数に対して校舎が足りなくなったから急造で増やしたのだろう。

(………仕方ない事、なんだけど)

 私がこの街を離れてからは五年。ここを卒業してからなら十年以上。こうなる事も、当然と言えば当然だ。

 ………けれど、少しだけ。ほんの少しだけ―――寂しい、気がする。

「………行こう」

 微かな物悲しさを胸の内にしまい込み、私はその場から離れた。そうして向かったのは、子供の頃友達とよく遊んだ公園だ。

 サッカーやバスケなんかが出来るグラウンドの併設された、それなりに大きな公園。子供の頃の私は男子に混じって、日が暮れるまでボールを追いかけ回していた。

「ぁ………」

 公園に着いた私はある一ヶ所で立ち止まり、吐息にも似た声を漏らした。

 そこは元々、一つの遊具が置かれていた場所だ。柱にタイヤが鎖で吊るされた、ブランコ型の遊具。子供の頃には悪ふざけをして思い切り回転させ、降りる頃には友達共々目を回していたのを覚えている。

 そんな遊具のあった場所には、もう―――何も、残されてはいなかった。

 よく見れば、公園の違いはそればかりではない。

 勝手に何度も入り込んで秘密基地を作った森は禿げて隠れ家を作ろうにも隠せる状態では無くなっているし、タイムカプセルを埋めた場所には花壇が整備されている。

「………………………」

 私は何も言わず、公園を後にした。

 それから私は、記憶にある場所を手当たり次第に歩き回った。友達とよく駄菓子を買った商店、何度も本を買いに行った本屋、通っていた中学校………

 思い出の残り香を追い求めるように、とにかく歩いて歩いて歩き回る。けれどどこを見ても一つ二つは変化があって、思い出のまま存在する場所は一つとして見つからない。

 見慣れた筈の故郷が、見覚えの無い初めての街のように思えた。

「………はぁ」

 僅かな欠落感を抱えたまま家に戻ろうとした時、不意に携帯が着信を告げる。鞄から出して画面を見ると、そこにはこんなメッセージが記されていた。

『小学校同窓会のお知らせ』


    ◇


 「………あ、ここだ」

 週末。庭の草むしりを終えた夜、私は一軒の居酒屋の前に立っていた。

 数日前に届いた、同窓会の連絡。この居酒屋はメッセージに記されていた、同窓会の会場だ。

 ………正直、来るかどうか微妙に悩んだ。

 理由はどうあれ、私は今仕事をしていない。結婚して専業主婦になった、と言う訳でもないただの無職。

 こういう場に来れば、まず間違い無く近況報告が行われるだろう。そこで「無職だ」などと言うのが恥ずかしくて、少し足踏みしたのである。

 それでも来ると決めたのは、メッセージを受け取った日に私が感じた欠落が切っ掛けだ。

 別に自分が郷土愛の強い人間だとは思っていない。それでも、思い出が別の色に塗り潰されていれば多少は寂しい気分になるものだと思う。

 それだけに少し、昔の記憶に浸りたかった。だから私は恥を捨て、ここに来る事にしたのだ。

「らっしゃーせー!」

 扉を開けると、元気の良い挨拶が私を出迎えた。若い男性店員が歩み寄って来て、朗らかな笑顔を浮かべる。

「一名様でよろしいっすかぁー!」

「あ、いえ。団体の予約が入ってると思うんですけど」

「少々お待ちください………はい、三十二名でご予約の田渕様っすね?奥の座敷へどうぞー!」

 元気の良い店員に促され、私は言われた通り奥の座敷へと向かう。

 田渕君………懐かしい名前だ。六年生の時の学級委員長で、真面目な少年だった覚えがある。告白こそしなかったものの、あの頃の私は彼が好きだった。

 そんな事を思い出しながら座敷の前に立つと、中からは既に騒がしい声が聞こえて来ていた。私は小さく深呼吸をし、襖を開ける。

「でさー………お?」

 中にいた一人が、私の方を見た。軽薄そうな容姿をした、ガタイのいい青年だ。

 彼は一瞬きょとんとして、それからはっとしたような表情で叫ぶ。

「………あー!お前、もしかして日向!?」

「えっ、日向?」

「日向って、鳴海?鳴海来たの?」

 その声に反応して、続々と視線が私に集まる。少し気恥ずかしい思いをしながら私は靴を脱ぎ、座敷に足を踏み入れた。

「………久し振り」

「わー、ほんとに鳴海だ!久し振り、元気してた!?」

 真っ先に駆け寄って来たのは、あどけなさの残る顔立ちをした女性だ。そのお陰か、迷う事なくそれが誰だか言い当てられる。

「変わんないね、夏美」

 春日井夏美。田渕君と一緒に学級委員をしていたクラスメイトで、当時私にとって一番の親友だった相手だ。

 明朗快活で人懐こく、どこか幼さを感じさせる愛らしい容姿。誰からも愛される、まさに「アイドル」のような少女だった。

「鳴海は大人っぽくなったねー、一瞬わかんなかったよ」

「えー、そうかな?そんなに変わんないと思うけど」

 会うのは中学校卒業以来だから恐らく八、九年は経っていると思うが、夏美の態度は全くと言って良い程変わらない。昔と変わらないその性格が、私の心を落ち着かせた。

(………やっぱり、変わんないな)

 あの日に感じた、微かな欠落。寂しいような、足りないような。そんな奇妙で、微妙な気持ち。

 ここに来て、懐かしい友人と再会して。その空白が、埋められていくような気がした。

「そうそう、あんまり変わってないだろこいつ」

 そんな気持ちに浸っていた時、不意に真横から太い声が聞こえた。見るとそこにいたのは、真っ先に私に気付いた軽薄な雰囲気の男だ。

「えーっと………あんた、誰?」

「は!?え、俺の事分かんねぇ!?」

 男は驚いて、大きな声で叫ぶ。

 ………耳元で叫ぶなよ、と言う言葉を飲み込んで、がっくりとする男に私は告げる。

「分かんない。いたっけ、あんたみたいなの」

「………ふふっ」

「………?何、夏美」

 その時、突然夏美が耐え切れないとでも言うような笑い声を溢す。何かと思い問い掛けると、夏美は笑いながら驚きの事実を口にした。

「それ、田渕君だよ」

「………は?え、田渕君?どこの、誰が?」

「そこの、がっくりしてる人」

「は………はぁぁぁぁぁぁ!?」

 今度は、私が大声を上げてしまった。

 私の記憶にある田渕君は、真面目な雰囲気の少年だ。

 ルールに厳しく、頭が固くて、分厚い眼鏡と七三分けが特徴的な絵に描いたような学級委員長。それが、田渕正弘と言うクラスメイトの筈だ。断じて、こんな見るからに軽薄な青年ではない。

「冗談でしょ!?完全にチャラ男なんだけど!」

「ほんとだよ、ほんと。田渕君、免許証見せて」

「あー、はいはい………ったく、何度目だよ………」

 ぶつぶつと文句を呟きながら、チャラ男は財布から免許証を取り出す。ひったくるようにそれを受け取り、確認するとそこには確かに「田渕正弘」と書かれていた。

「………嘘でしょ」

 つい先刻の穏やかな気持ちが、一瞬にして吹き飛んだ。まさかあの真面目な田渕君が、こんなチャラ男に変貌しているとは………

「何があったの………?人体改造?」

「いや違うから!ただのイメチェンだよ、イメチェン!」

「イメ、チェン………?」

 改めて、田渕君の全身をまじまじと見る。

 髪は金染めされていて、肌は日焼けで真っ黒になっている。体型は筋肉質で背も高く、服装もどこか洒落っ気を感じさせる。その姿はまさに、昔の姿をそっくりそのままひっくり返したような感じだ。

「………やっぱり改造手術じゃない?」

「だから違ぇーっての!いくら信じられなくても、行き着く結論がそれなのは流石におかしいだろ!」

「………ぷっ、あはは!」

 直後、そのやりとりを見ていた夏美が笑い出し、それを皮切りに部屋全体で笑いが巻き起こる。

「いや、そう思うよな!俺も最初信じらんなかった!」

「私も私も!誰この人、ってなったもん!」

 どうやら私の意見は、クラス全体の総意であったらしい。皆は爆笑しながら口々に、田渕君に対する再会時の驚きを話していく。

「ったく、驚かれるとは思ってたけど………そこまでかぁ?」

「いや、そりゃそうでしょ。何があったの、結局」

 私が問い掛けると、田渕君は照れ臭そうに頬を掻いて目を少し逸らす。

「あー………いや、なんつーか………」

「何々、言いづらい事?」

 私がそう言って茶化すと、彼はどこか憎々しげ………腹立たしげ?とにかくそう言う感情のこもった目で私を睨みつけて来た。

「あー………もしかして、本気で聞かれたくない感じ?」

「いや、そうでもなくて………ここでは、と言うか………」

「ここでは?」

「あーもう、良いだろ俺の事は!それよりほら、さっさと座れ!全員揃ったんだから乾杯すんぞ、乾杯!」

 余程怒ってしまったのか、田渕君は顔を真っ赤にして私を無理やり座布団に座らせた。

 ―――悪いことしちゃったかな。そう思って彼を見たが、隣に座る彼の顔は怒りに歪んでいるという風でも無かった。寧ろ、少し恥ずかしげな………

「ん、ゴホン………えー、本日はお日柄も良く………」

 しかし、私がその表情の意味を理解するよりも早く乾杯の音頭が取られ始めてしまった。よくよく考えれば私は来て早々で驚愕の事実を告げられ、そのまま急かされるように座ったから何も注文していないのだけれど。

 ………まぁ、良いか。私は手近にあった水のコップを手に取り、周りと同じように顔の前あたりで掲げる。

「………つー訳で、久々の再会に………乾杯!」

『乾杯!』

 グラスのぶつかり合う音が響き、部屋が俄かに騒がしくなる。私は水を飲みながら、ほんの少し………もやもやした気持ちが、胸の中に渦巻くのを感じていた。



 「ところでさ、お前らって今何やってんの?」

 同窓会が始まって一時間。場が程良く温まって来たこのタイミングで、田渕君がそんな事を聞いた。

 ―――まぁ、聞かれるよね。覚悟はしていたものの、ほんの少しびくっとしてしまう。

「私はねー、幼稚園の先生だよ!」

 真っ先に口を開いたのは、夏美だった。

 幼稚園の先生。そう言えば昔、そんな事を言っていた気がする。

 昔からあの子は、年下に好かれ易かった。六年生の時にあった一年生との交流会でも夏美の周りには一年生の子が集まっていたし、中学生の時の職場体験………トライやる・ウィーク、だっけ。あの時も幼稚園に行って、子供達から圧倒的な人気を得ていた。職場体験が終わる時、子供達が行かないでと号泣していたのを覚えている。確か、幼稚園の先生になりたいと言い出したのはその後からだった。

「中学生の時から言ってたよね。叶ったんだ」

「うん!大変だったけど、頑張った!」

 ぶい、と指を二本立てて夏美は自慢げに笑う。あまりに子供っぽいその笑顔に、私も思わず頬を綻ばせてしまう。

 その後も、元クラスメイト達は口々に自分の現在を話していった。

 サラリーマン、OL、料理人………多種多様な職業が出ていくが、私と同じ無職と名乗る人間はいない。ちなみに、田渕君は「薬学部だからまだ大学生」らしい。人は見かけで判断出来ない、とはまさにこの事だろう。

「それで、鳴海は?」

 そしてついに、私の順番がやって来た。一瞬誤魔化すか悩んだが、隠しても仕方ないので正直に答える事にする。

「あー………私、仕事辞めたんだ」

「えっ、そうなの?」

「大学卒業して入った会社がブラックでさ、暫くは耐えたんだけどこの間辞めちゃった」

「そうだったんだー………やっぱり、そう言うのってあるんだね」

「え、どんな感じにブラックなん?」

「へ?あ、えっと、まず上司が………」

 ………少し驚いた。何と言うか、もう少し弄られるか腫れ物に触るような扱いを受けるかと思っていた。

 けどまぁ、そんなものか。他人に起きた出来事なんて、本人以外にはそう気になる事でも無いのだろう。まさに読んで字の如く他人事、と言うやつだ。私はその事に安堵しつつ、自分の身に起きた事を話していく。

「………で、今は実家に戻ってる」

「ふぇー、大変だったんだねー………」

「うん、本当にね………あ、そうだ。久し振りにこっちに戻って来て、驚いたんだけど………」

 私は皆に、戻って来てからの事を話した。小学校の総合遊具が無くなっていたこと、公園が作り替えられていた事、その他街に起きていた変化を。

「あー、それかぁ」

 その話を聞いた皆の反応は………とても、軽いものだった。

「総合遊具が無くなったのって、いつの話だっけ?」

「どうだったっけ?覚えてないけど、確か二、三年前じゃなかった?」

「あそこ、そう言えば花壇とか出来てたなー。いつの話だよって感じで、なんかもう懐かしいわ」

 元々、そうだったかのように。あの頃を懐かしむでもなく、淡々と話は進んでいく。それを聞いているうちに、何となくずっと感じていた寂しさの正体が分かった気がした。

 ―――あぁ、そうか。皆はもう、の街に馴染んでいる。今もまだ、過去の街にいるのは………もう、私だけなんだ。

「っ…………………」

 そう気付いた瞬間、無性に悲しくなった。

 当たり前の事だとは分かっている。時間が流れれば風景は移り変わっていくし、人はその在り方を変えていく。それが、正しい世界の在り方だ。

 けれど、それでも。私は………変わっていて欲しくなかった、と思ってしまう。

 大人になって、今を生きる事に必死になる経験をしたせいだろうか。思い出は思い出のまま、変わらずにそこにあって欲しかった。思い出の場所が姿を変えて、見ても思い出せなくなるのが怖かった。

 ………今が苦しくなった時、逃げ込めたのは思い出の中だけだったから。忘れてしまったら、逃げ場を失ってしまう気がした。

「………?鳴海、どうかしたの?」

 私のそんな様子を不審に思ったのか、夏美が心配そうな表情を浮かべて顔を覗き込んでくる。私は誤魔化すように笑みを浮かべて、出来る限り優しい声で返答した。

「何でも無いよ」

 だって、こんな事を悲しむのはきっと私だけだから。きっとこの悲しみは、正しくなんて無いのだから。

 ………あのまま、帰って来なければ良かったかな。そんな虚ろな悲しみを抱えたまま―――目的を失った同窓会の時間は、緩やかに進んでいった。



 「………なぁ、日向」

 同窓会が終わり、帰り道。たまたま同じ道になった田渕君が話しかけて来た。

「ん、どうかした?」

「あー………勘違いだったら、悪いんだけどさ」

 歯切れ悪く言葉に詰まりながら、彼は問いかけて来る。

「もしかして、楽しくなかったか?」

「………え、何で?そんな事無かったよ?」

「じゃあ、その間は何だよ」

「いや、急だったから驚いただけだって」

 別に、嘘は吐いていない。実際楽しくなかった訳ではないし、嫌な部分があった訳でもない。

 ただ、ほんの少し。ほんの少し引っかかった点はあった。そこを見咎められたのか、と不安になる。

「ち、ちなみに………何で、そう思うの?」

「いや、途中なんか微妙そうな顔してただろ?そっから話にもあんま入ってこなくなったから、もしかしてと思って」

 ………驚いた。まさか、本当に見透かされていたとは。

「で、どうなんだ?もしつまらなかったなら、企画者としては………その、申し訳ないと」

 悲しそうにそう言う彼の顔は、昔の彼とそっくりそのまま同じだった。

 ―――参ったな。そんな顔をされては、隠す方が申し訳なくなってくる。

「………はぁ。別に、大した事じゃないよ」

 結局、私は彼に自分の馬鹿馬鹿しい悲しみを話した。

 悲しむような事でもない普通の事が悲しくなった、しょうもない気持ちを。

「………ね、大した事なかったでしょ?」

 どうせ私も、彼らと同じだ。時間が経てば今に馴染んで、そのうち悲しいなんて思わなくなる。

「………別に、良いんじゃないか?」

 その程度の気持ちを、彼は笑いもしなかった。

「思い出の場所が変わってたらさ、誰でも最初は寂しいもんだろ。俺だって最初、総合遊具が無くなったって聞いた時はちょっと寂しかったし」

 彼は特に真面目な顔をするでもなく、当たり前のことを言うように続ける。

「まぁ、そのうち慣れていくもんだけどさ。だからって寂しく思っちゃいけない、なんてルールはないだろ?

 だから、まぁ………なんて言うか、慣れるまでは悲しめば良いだろ。普通にさ、ゆっくり。慣れて悲しくなくなったからって、思い出が消える訳じゃない………と、思うぞ。多分」

「………最後の最後で、曖昧だなぁ」

 茶化すように言いながらも、私はどこか救われたような気持ちになっていた。

 私はまだ、あの街にいて良い。私の感じた寂しさは間違いなんかじゃない。それを教えてもらえた気がして、心の底から嬉しかった。

 ………のだが、言い終わってすぐに彼は途端に顔を赤くしてその場に蹲ってしまう。

「………あ、あぁぁぁあーっ!恥っず、恥ずいなこれ!なんか説教みたいになったし、厨二くせぇーっ!」

「………ぷっ、あはは」

 その姿を見ていたら、思わず笑いが込み上げて来た。

「な、何だよ、笑うなよ!」

「あはは、いや、かっこいいこと言ってたのに最後の最後で台無しだなぁと思ったら、つい………」

「う、うるせーっ!」

 ………あぁ、なんだ。見た目は変わっても、彼の中身は変わっていない。

 真面目で頭が固いけど、なんだかんだで優しくて。委員長なんてやってた、あの頃のままだ。私が恋をした、あの頃の彼のまま。そう思うと同時に、胸が僅かにとくんと跳ねた。

「………ちょっとだけスッとした。ありがとね、田渕君」

「い、いや………気にすんな、うん」

 蹲る田渕君に手を差し出すと、彼は照れ臭そうにしながらその手を取ってくれる。

「………ねぇ、田渕君」

「ん………ど、どうした?」

「あー………やっぱり、何でもない!」

 思わず口から出そうになった言葉を、寸前のところで押し留める。

「な、何だよ?止められると余計気になるだろ」

「今は内緒。そのうち言うよ………そのうちね」

 田渕君は不満そうにしながらも、何も言わずに歩き始める。私はその隣に、さっきよりほんの少し近い距離で並び歩く。

 今はまだ、あの街で過ごした頃の―――心地良い距離感のままで、過ごさせて欲しい。



 いつかは、この街で―――


皆様どうも、作者の紅月です。

思いの外すぐにアイデア浮かんだので、戻ってすぐに着手してしまいました。

以前にも言った通り、友人から聞いた話がモデルになっています。因みに、舞台となる街は友人の故郷がモデルにはなっていますが、確定でここと明言はしないので知っている街と似ていたとしても「よく似た架空の街」と認識してください。

楽しんでいただければ幸いです。良ければ感想とか、評価とかしてってください。低くてもついてるだけで割とテンション上がります。

それでは皆様、そのうち来る次回作でまたお会いしましょう。

ではではー。

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