理由を求めたコイン
そこに理由なんてなかった。それになった理由もそうする理由も。その必要だってないはずだ。それでも確かにここにいる。哲学的で逃避的で、消極的とも言えるその問題は常に私の周りを囲んで蝕む。特別痛いわけでもない。でも痛いと感じたいと思っているのは、自分の不満足さによるものか、やせ我慢の限界なのか...。考えれば考えるほどまた理由が無くなりそうで考えたくもなかった。
初めは気にもしていなかった。開放感の海に深く深く沈んでいくことに多少の刺激を感じどこか安堵していた。次第にそれは形を変えて私にとって何にもなり得なかった。ただ、余力で果てのない虚ろな体を引っ張られていく毎日だった。
仕事は...。いや、そんなつまらない話は止めよう。一日の大半がその時間だがとても好きなことではなかった。対価も得られず、気にもされず、世界平和にも終焉にも繋がらない。答えは考える程ぼやけていき、追うことを拒絶する。そう答えがないのが答えだ。高校数学の「解なし」のように空気的で神秘的なものだ。考えるうちに仕事の時間になった。なんで俺なんだ。しかし、俺じゃなくてもいい理由も見つからない。そして俺は足元に転がっていった。
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考えすぎは良くない、とよく言うがそこまで考えたことないだろ。頭を埋めるのはあいつのことばかりだ。嫌いなのにその人ばかりを考えてしまうことで、その人に依存している状態になる。その過程となる感情は怒りでも好意でもなんでもない。とにかく誰かに依存するのはどこか悔しい。
こうやって色々考えて人より頭が回るのかと考えれば、コミュニティが広がる程自分の凡用さに吐き気がする。
知ってるさ。
自分はスペック低めの使えないモブキャラだと。
でも人間誰しも必ず意味があって生まれたのではないのだろうか。今はしぶしぶ我慢させられているだけなんだ。そう自分に言い聞かせ...
ドン!
「す、すいません」
「あ?」
不幸は連鎖するようだ。柄の悪い人にぶつかってしまうとは今日はついてない。
三十分後、目立たない程度にシバかれ、金を取られ、名前を覚えられた。
わかったよ。このために俺は生まれたのか...。
行き先を変更した。この街は人の割に使う建物の数が少ない。いや、今となってはむしろ好都合と言えるだろう。侵入は簡単だった。まさか自分がこっち側の人間になるとは。遺書を残すような人間ではなかった。
足をかけた先はいい具合の天気だった。意外と綺麗に見えるのか。まぁ錯覚なんだろうけど。
この下は人気が少ない。多分迷惑にはならないはずだ、そもそもこんな状態に俺を追い込んだこの世界そのものが俺に迷惑をかけている。これで恨みっこなしだろう。
驚いたことに怖くなかった。この土壇場度胸はまだ捨てたもんじゃないなとしみじみ感じる。
色んなドラマでこういう時は下を向くなと言われるが、迷わず下に目をやった。こんなふうに常識に逆らうことが今、自分が唯一信じれる美学だった。
しかし、下に広がるコンクリートの大地よりもすぐ目の前に転がっていたコインの方に目がいった。そこまで雑学に弱い訳でもないがそれでも見たことの無いコインだった。五百円玉のように縁には縦の模様が刻まれ、表と思われる面には、なにかの光に手を伸ばす様子が描かれていた。どこか不思議な魅力で溢れ、磁場のような違和感をまとっていた。
そして、それに触れた時から拒絶反応を示さずに体を流れていくエネルギーが頭まで到達した。
「そんなに死にたいのか?」
声が頭の中に響いた。まるでテレパシーでも受け取っているかのように。
「この世界に必要とされてないみたいなんです。」
「いや、必要としてくれる人間は必ずいる。自覚がないだろうが、そういう奴が集まってこの世界はできているんだ。まるでパズルのピースのようにな。」
「まさかぁ」
「さっきのチンピラだってお前から巻き上げた金で投資をする。それが膨らみこの国の経済を回していくんだ。」
「ちょっと無理やりすぎるんじゃないですか?とにかくそんなことなんかもう、どうでもいいんです。独りになりたいんです。この世で1番恐ろしいものを味わうことで自分はもうこれ以上不幸にならなくていいんだと、思いたいんです。」
「じゃあいいことを教えてやる。この世で1番恐ろしいものは死なんかじゃない。わかるか?
誰にも認識されずその存在を忘れられることだよ。」
なるほど納得できる。
「じゃあどうすればいいのさ?」
「いや、もうなってるよ。誰もお前を覚えてないし、思い出さない。今お前はこの世界のサイクルから外れた不純物だ。今ギリギリ魂と体が引き止めあっているが、死ねばこの先お前という存在は永遠に再生されない。これが一番怖いことさ。」
言われてみれば、いつもと違う感じがする。
「じゃあ死んでもいいんだな?でももう誰にも認識されてないんだったら死ぬ必要もないのか。うーん迷うな。どうすればいいかな?」
「じゃあ俺を回すといい。表が出たら晴れて自由の身だ。」
自由か。悪くない。そして俺はコインを手に乗せた。やったことは無かったが、やり方は何故か知っていたし、できるという自信もあった。
コインは宙を舞った。綺麗に何回転もして、ランダム要素で溢れていた。長いようで短い時間は今終わりを告げ、コインは確かに俺の手に戻ってきた。
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この日、私は1人の少年を見送った。