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二の二

「ところで、話は変わりますが。本日はユウワ様へお渡ししたいものがあるのですが、よろしいでしょうか?」


 ゴホンとわざとらしい咳払いをして、エマがその場で居住まいを正した。

 あまりにも大仰なその仕草に私もつられて椅子に座り直す。


「はい。謹んで伺います」


 私がそう返すと、エマは自分の鞄からごそごそと一枚の封筒を取り出した。

 両手で封筒の端を掴み、頭を下げながら私の方へと封筒を差し出す。


「エマ改め川端春子は、この度結婚することと相成りました。つきましては、ユウワ様改め柿島優羽様に挙式及び披露宴へのご出席を賜りたく、ここに謹んでお願いいたします」

「頂戴いたします」


 恭しい態度で差し出された封筒を、私も両手で丁寧に受け取った。

 封筒をまじまじと見つめる。

 宛名には「柿島優羽様」と非常に丁寧な毛筆で、私のフルネームが記載されていた。

 封書を開くと、そこには結婚式の招待状が封入されている。招待状には「堂山家・川端家 挙式及び披露宴のお知らせ」という表題と共に、三か月後に都内のチャペルで式が行われる旨が記載されていた。


「エマ様のご本名は、川端春子様という可愛らしいお名前なのですね。わたくし存じ上げませんでした」


 からかうようにわざと畏まった口調で告げると、エマもくすくすと笑いながら私の言葉に同意した。


「お互いハンドルネームで呼び合ってたから、本名なんて知らなかったよね。わたくしも、ユウワ様のハンドルネームがご本名だとは思いもしませんでしたもの」

「珍しい名前でしょ? 響きが好きだからそのまま使ってるの」


 私はそう言って、再び封筒と招待状に目を落とした。

 会う前から結婚のことを知らされてはいたものの、実際に招待状を目にするとエマの結婚が急に現実味を帯びて感じられる。

 エマは私よりも二歳年上で、今年三十歳になる。

 結婚相手の男性はエマのさらに二歳年上。丸眼鏡とチェックのコットンシャツがよく似合う、純朴な雰囲気の男性だ。

 どちらかと言えば、私と同じ陰キャのタイプらしい。

 初めて三人で食事をしたとき、紹介された彼を見て私は心底驚いてしまった。

 エマは元はバリバリのギャル。そして今は、外資系で働く美人キャリアウーマンだ。

 そんな彼女なので、てっきり彼氏は外資系とか大手商社系のイケメンを連れてくると思っていた。

 あとからこっそりその本音をエマに告げれば、「イケメンは二次元だけで十分。現実は顔より性格重視でしょ!」と言ってエマは笑った。

 そしてエマの言う通り、彼女の結婚相手は本当に良い人で「性格がイケメン」であることは疑う余地がなかった。

 彼は在宅ワークが中心の家事大好き男子。世話好き長男の属性を持つお陰で、忙しく働くエマのサポートをすることが苦ではないらしい。

 いつだったか「僕と彼女は割れ鍋に綴じ蓋なんだよ」と言っていたのを聞いたとき、私は妙に納得してしまった。

 私にとって大切な親友が、素敵な男性と一緒に幸せな家庭を築く。そのことが私には自分のことのように嬉しかった。


「お返事の方はいかがでしょうか?」


 感慨に耽っていた私の意識を、エマのおどおどした声が引き戻す。

 返事などエマだって分かり切っているはずなのに、妙にしおらしい態度で聞いてくるのがなんともおかしい。

 吹き出しそうになるのを堪えながら、私は大きく頷いた。


「もちろん喜んで出席させていただきます!」

「良かった! よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします。私、結婚式にお呼ばれするの初めてなんだ」


 転勤族だった両親のお陰で、小中高と様々な場所を転々とした私には友人が少ない。

 結婚した友人がいない訳ではないが、最近は結婚式を控えるカップルも多く、私の身近で結婚式を挙げるのはエマが初めてだった。


「三か月後か。私が結婚するわけじゃないけど、なんだかわくわくしちゃうね」


 素直な気持ちを告げると、エマは大笑いしながら言った。


「ユウワも結婚すれば良いのに」

「相手がいないよ」

「新郎側にフリーの人が多いらしいよ。オタクもいるって。ユウワに合う人がいないか、帰ったら聞いておいてあげるね」

「うーん」


 エマの優しい気遣いがありがたいとは思いつつも、彼女の提案に素直に首肯できない自分がいるのを感じていた。


「何かまずかった?」


 眉間に皺を寄せた私を見て、エマが首を傾げた。


「正直、今が一番楽しいんだよね。学生時代の万年金欠状態から抜け出して、働いて稼いだお金を自分の好きなことに惜しみなく使うことができるから」


 欲しいときに欲しいものを買い、行きたいときに行きたい場所へ行く。

 決して高給取りではないが、程々の就労時間で程々の給料をくれる会社に勤めていることに、私は満足していた。


「恋人がいたらいたで楽しいと思うんだけど、今はもう少し一人の時間を楽しみたいかな」


 私の正直な告白に、エマは納得したように何度も深く頷いた。


「分かる! 私にもそういう時期があったし、今でも時々ある」

「え、それって花嫁さんが言って良い台詞なの?」


 目を真ん丸にする私に、エマはぺろりと舌を出しておどけてみせた。


「私も一人暮らしが長かったからね。自分以外の誰かがいる生活を久しぶりに経験すると、不自由さを感じることもあるって」


 だけど、と前置きしてからエマはさらに続けた。


「今は、その誰かがいる不自由さの方が幸せだと思うから結婚するんだ」

「例えばどんなときに思うの?」

「ありきたりだけど、『ただいま』って言葉に『お帰り』って返ってくるのは嬉しいよね。あとは感想を言い合いながらテレビを見てるとき。一人じゃないな、楽しいなって感じる」


 エマはそう言って少し照れたような、それでいてどこか誇らしげな表情ではにかんだ。

 目の前をちかちかと眩い閃光が走ったような気がして、私は思わず瞬きを繰り返す。

 エマの結婚報告を聞いて以来、エマが私のことを置いてどこか遠くへ行ってしまうような焦燥感を感じていた。

 ところが目の前で微笑むエマを見たら、その気持ちが一気に吹き飛んだ。

 目の前で微笑むエマは、これまでに私が見てきたどんな彼女よりも、満ち足りて幸せそうな表情をしている。

 彼女の穏やかな微笑みは、私の心の中に温かな炎を灯した。

 知らず知らずのうちに、私の瞳から涙が零れ落ちる。


「ちょっと、どうしてユウワが泣くの!?」

「分からない。エマが幸せそうなのが嬉しくて、私まで幸せな気持ちになっちゃった。いい人に出会えて良かったね、エマ!」


 急に泣き出した私に狼狽するエマが、顔をくしゃくしゃに歪めながら笑った。


「何よそれ。あんたは私の母親かっての!」

「エマ。あらためて、おめでとう。幸せになるんだよ」

「やだもう! そんなこと面と向かって言われたら、私まで涙が出てきちゃう!」


 私の顔はもう涙でぐちゃぐちゃだ。エマも今にも泣き出しそうなのに、どうにか笑顔を浮かべて必死に堪えていた。

 エマは鞄からティッシュを取り出すと、私の頬を乱雑に拭った。

 エマの力が思った以上に強くてのけぞろうとすると、「逃げるな!」と言ってエマの手がさらに深追いしてくるからたまったものではない。

 その乱雑さがエマの照れ隠しだと私には分かっているから、彼女の優しさが嬉しくて、私の瞳からは再び大粒の涙が零れた。


   * * *


 お互いに一頻り泣いて涙が乾いたころ、エマがふと真剣な表情を見せた。


「どうしたの、エマ?」

「ユウワ。私の幸せを喜んでくれて、どうもありがとう」


 瞬きすらせず、じっと私の瞳を見つめるエマの姿に私の心臓がどくりと音を立てた。


「どういたしまして」


 妙な緊張感が全身を駆け巡る。生唾を飲み込む音が妙に大きく聞こえた。


「ユウワが私の幸せを願ってくれるように、私もユウワの幸せを願っているよ。これから先、離れることがあってもずっとずっと願ってる」


 喫茶店の窓から差し込む夕日が、エマの横顔を鮮やかに照らしている。

 エマの長くて美しい髪は陽光に透け、金糸のような光を放った。

 どこか神々しささえ感じるこの瞬間を切り取って、そのまま胸にスクラップしておきたいとさえ思う。


「何それ。まるで私がどこか遠くへ行っちゃうみたいじゃない」


 照れ隠しに呟いた私の声は、僅かに震えていた。

 エマも急に照れ臭くなったらしい。誤魔化すかのように私の額へデコピンをかました。


「痛ぁい」


 呻きを上げた私を見て、エマがにやりと笑った。


「このご時世、いつなんどき何があるか分からないでしょ。言いたいことは思ったときに言っておく主義なの」

「うわぁ、格好良いなあ。エマのそういうさっぱりしたところ、すごく憧れる!」

「ありがとう。私は感情に正直に動くユウワが好きだけどね」


 お互いに顔を見合わせて笑った。

 趣味で繋がった友情が、時を経てかけがえのない絆に変わったことを感じて思わず嬉しくなる。

 敢えて口には出さないけれど、この関係がこれからもずっと続けばいいと心の中で願わずにいられなかった。


「さてと。そろそろ暗くなるし、今日は解散にしようか」

「そうだね。彼氏さん待たせちゃうと悪いし、今日はおしまいにしよう」


 互いに身支度を整え、足早に店を後にする。空はいつの間にかすっかりオレンジ色に染まっていた。

 店の入り口を出たところで立ち止まると、二人の間を木枯らしがぴゅうと吹き抜ける。私は思わず寒さに身を縮こまらせた。

 十一月も半ばに入り、街中には冬物コートを着た人が随分と増えてきた。

 エマも淡いピンクのチェスターフィールドコートに身を包んでいる。

 暖かそうで羨ましいと思いつつ、帰宅したら押し入れから冬物コートを取り出そうと心に決めた。


「彼がね、ユウワにまたご飯食べにおいでって言ってたよ。結婚式が終わったら、新居にも遊びに来てね」

「嬉しい! 彼氏さんのご飯、美味しいよね。ぜひお邪魔させていただきます!」

「それと、彼からもう一つ伝言。『結婚後もエマと一緒に遊んでやってください』だって。私からもよろしくお願いします!」


 エマは右手を額に当て、敬礼ポーズを私に向けた。つられた私も右手を上げ、同じように敬礼をし返す。


「こちらこそよろしくお願いします。彼氏さんにも『奥さんをお借りします』って伝えて」

「了解しました!」


 お互いに破顔一笑したところでエマは踵を返した。

 エマは最寄りのバス停へ向かい、私は電車で帰宅する。


「それじゃあ、ユウワ。また今度ね!」

「うん、またね! 結婚式楽しみにしてるから!」


 大きく手を振りながら去って行くエマの姿をなんとなく見送る。いつもそうするわけではないのだが、今日はどうしてかエマの後姿をずっと見ていたい気分だった。

 足取り軽く去って行くエマの背中には、まるで羽が生えていそうだ。

 幸せな人は後姿も幸せに見えるんだな――と感傷的な気分に浸りながら、エマの後姿をじっと見つめ続ける。

 ものの数分もしないうちに、エマの姿は人ごみに紛れて見えなくなった。


「よし、帰ろっと」


 自分自身に言い聞かせるように呟くと、私もも踵を返して駅へと向かう。


(家に帰ったらもう一度、鶯淑様のラストシーンを見直そう。明日も休みだし、今日はとことん独身飯を満喫するぞ!)


 家にあるはずのビールとポップコーン、それから大好きなレトルト飯の数々を思い浮かべると、私の足取りはより速度を増した。

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