表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/22

二 柿島優羽、二十八歳独身。推しについて語る。

「ということがあってね! ”推し”が死んじゃったのよ!」


 私がおいおいと大袈裟に泣きながら悲痛な胸の内を明かすと、隣でパソコンをいじっていたサラリーマンが非常に迷惑そうな顔でこちらを見つめていた。

 なんとなく気まずさを覚えて、無言のまま会釈する。サラリーマンはパソコンをばたんと勢いよく畳むと、私のことを一睨みしてから別の席へ向かってしまった。

 街中にある静かな純喫茶での一幕だ。

 私は声が大きい。特に自分の好きなことの話を始めると、ただでさえ大きい声がいつも以上に大きくなる。

 こんな風に全く知らない人から迷惑そうな視線を向けられることは、ままあることだった。

 またやらかしてしまったことに反省をしつつ、遠ざかっていくサラリーマンに謝罪の意味を込めてそっと両手を合わせた。

 そんな私の態度に慣れっこのエマは、向かいの席で優雅にジュースを啜っている。

 グラスに刺さったストローが変にひしゃげているのは、彼女にストローを噛む癖があるせいだ。

 私の大声などエマからすれば聞きなれたもの。けれど常識人でもある彼女は「声のトーン落としな」と忠告を入れることは忘れなかった。


「ユウワ、落ち着いた?」

「うん、聞いてくれてありがとう。”推し”の死亡がこれほど辛いものとは思っても見なかった」


 私が噛み締めるように呟いた一言に、エマはにやりと笑みを浮かべた。


 私は根っからのオタクだ。

 オタクといっても色々あるが、漫画やアニメを中心に浅く広く作品に触れることが多いタイプ。

 今はある海外ドラマに夢中なのだ。

 そのドラマの名は『青藍に花神散る』、通称『青散る』。架空の君主国家、佩峠国を舞台にした宮廷歴史もののドラマだ。

 最初は「ドラマに出てくる登場人物たちが綺麗だなあ」と思って見始めた程度。

 二次元も三次元も美男子よりも美人の方が大好きな私にとって、美人ばかりが数多く登場する『青散る』は目の保養に最適だった。

 ところが物語を見進めるうちに、妃嬪たちの織り成す人間ドラマにどっぷりとはまってしう。

 現実の単調な日々しか知らない私にとって、架空の物語とはいえ、ドラマの中に広がる刺激的な世界は極上のエンターテイメント。

 陰謀や策略が張り巡らされる宮中の物語は非日常感が満載で面白く、私の心は簡単に鷲掴みにされた。


 そして今日は、三か月に一度の報告会の日。

 親友のエマと開催するそのお茶会はお互いの近況を語り合うほか、お互いのおすすめ漫画やアニメをプレゼンしあう場でもある。

 私は満を持して『青散る』について語り、私の好きなキャラクター、いわゆる”推し”が死んでしまった経緯をエマへ方って聞かせたところだ。

 私とエマとの付き合いは、もう数年来のものになる。

 知り合ったのは学生時代に参加したイベント。

 互いに好きな漫画や小説のジャンルが被っていたおかげで意気投合し、プライベートでも一緒に遊ぶようになった。

 オタクという共通点が無ければ、バリバリのギャルタイプのエマと地味で陰キャ系の私が仲良くなることはなかったかもしれない。

 語るにつれて熱を帯びていく私の話を、エマは黙ってうんうんと頷きながら聞いている。

 自分の知らない作品でも、嫌な顔せず聞いてくれる友達がいることはありがたい。

 エマの寛大な心に、私はいつも感謝するばかりだった。


「数話前から、雲行きが怪しいとは思ってたんだけどね。まさか皇帝が鶯淑様を殺すとは思ってなかったから、辛くて辛くて!」

「ユウワのSNS、鶯淑ちゃんのことばっかり呟いてたよね。鶯淑ちゃんが死んじゃったときなんて、寝られなかったんでしょ?」

「うん。会社も遅刻した!」

「うわ! 末期じゃん!」


 私の無様な告白に、エマは半ば呆れたような薄笑いを浮かべた。

 その表情に私は覚えがあった。


「あ、その顔知ってる。私も前にその顔してたね……」

「あら、覚えてた?」


 私のしょぼくれた表情を見て、エマは右側の口角だけをくっと上げて笑った。


「『ウルデグ』のジューロッド様が死んだとき、私は今のユウワと同じ気持ちだったんだよ!」


 数年前に放送されたアニメ『Wolf&Degu』、通称『ウルデグ』。

 エマをはじめとする多くの女性アニメオタクたちに空前のバディブームを巻き起こしたその作品の中で、主人公と敵対するキャラクターが死んだ。

 エマの”推し”キャラクター、ジューロッドである。

 当時の私には ”推し”に心酔する人の気持ちが分からなかった。

「ジューロッド様が、”推し”が死んだー!」と泣き喚くお通夜状態のエマに対して、私は呆れ顔を浮かべた記憶がある。

 それを見たエマから「この薄情者! あんたも”推し”が死ねば、私の気持ちが分かるわよ!」と言って叱られたが、ようやくその状況が私にも訪れたということになる。


「その節は本当に申し訳ありませんでした。たかがアニメキャラクターが死んだだけと、高を括っておりました」


 あの頃の無知の自分を恥じながら、私はその場で三つ指突いて謝罪した。


「私の気持ちが少しは分かったでしょ?」


 悪戯っぽく微笑むエマに、思わず首肯する。

 まさかこれほどまでとは思わなかったのだ。

 鶯淑死亡のエピソードを見て以降、私は廃人と化した。

 まず最初は、とんでもない喪失感が私を襲う。心の中にぽっかりと穴が開いたような感覚を覚え、全身からどっと力が抜け落ちた。

 次に体に支障を来した。とめどなく溢れ出る涙によって、瞳が真っ赤に腫れ上がる。

 長時間泣いて鼻をかみまくったせいで、鼻はひりひりと痛むし、頭もがんがんと痛んだ。

 全身にのしかかる重い気分のせいで、私はしばらくの間全く使い物にならなかった。

 職場の上司から「柿島さん、失恋……?」と遠慮がちに心配されたので、「まあ、そんなもんです」と適当に返事をしてやり過ごしたのは苦い思い出だ。


「”推し”のいない生活は辛いね」


 一人ごちるように呟いた私の言葉に、エマはぷっと吹き出した。


「まさかユウワがここまで落ち込むとは思わなかった」

「そうかな?」

「うん。だって、ユウワって執着心が少ない方でしょ。漫画にしたってアニメにしたって、広く浅くがモットーじゃない?」

「確かに、そういうところはあるかも。でも、なんでかな? 鶯淑様にはびびっと来ちゃったんだよね。運命感じちゃった、的な?」

「何それ、ウケるんだけど! ところで、鶯淑ちゃんの登場は本当にそれでおしまいなの? リスポーンはなし?」

「なし! ターンエンド!」


 私は威勢よく返事すると、鞄からスマートフォンを取り出した。

 慣れた手つきで検索画面にキーワードを入力し、『青散る』のホームページを表示するとスマートフォンごとエマに手渡す。

『青藍に花神散る』と華やかなフォントで描かれたロゴマークをクリックすると、美しい登場人物たちが映ったキービジュアルがトップ画面に現れた。

 出演者のほとんどが実力者と呼び声高い俳優ばかりだが、頭一つとびぬけて人気なのが鶯淑様を演じた女優である。

 美しさはもちろんのこと演技力も折り紙付きで、数年前にはハリウッド進出を果たした。以降は飛ぶ鳥を落とす勢いで、様々な作品に出演している。

 一方で、小秋子を演じたのは新進気鋭の若手俳優。

 ほとんど無名の役者だった彼は、『青散る』への出演を機にトップスターの仲間入りを果たす。

 本国では彼を主演にした映画の製作が決まったそうで、日本国内にも徐々にファンが増え始めた。

 他にも、妃嬪を演じた女優は美人揃い。

 セットや装飾品の豪華さも相まって、『見ているだけで目の保養になるドラマ』と公式が銘打っているのには、納得の一言しかない。

 初見のエマもそのことに気がついたようだ。一通りホームページを眺め終えると、ニヤニヤと口元を緩ませながらこちらを見つめてくる。


「なるほどね。こんなに沢山美人が揃ってたら、美人大好きユウワちゃんがドハマりするのも納得」

「そうでしょ。鶯淑様が本当にドストライクなの! 私が男に生まれてたら、絶対に鶯淑様に結婚を申し込むね!」

「美人を養うには経済力が必要だぞー」

「それは言わないで」

「あははっ、そこは『頑張る!』って言うところでしょ。それにしてもユウワの好みって分かりやすい。優等生タイプが好きだよね?」


 エマからの指摘に、私は再度スマートフォンの画面を覗き込んだ。

 牡丹の花を手にした鶯淑様の横顔を眺めながら、その容姿をまじまじと観察する。

 彼女の容姿だけを一言で形容するならば、庇護欲をそそる女性といったところだろうか。

 ぱっちり二重の鶯淑様の瞳は目尻に向かって少し下がっていて、柔和な印象を見る者に感じさせる。

 白く透き通った肌は青磁のように美しく、さくらんぼのように愛らしい赤い唇をより魅力的に見せるのに一役買っていた。

 身長は百五十センチほどと比較的小柄だ。

 にもかかわらず、皇后としての威厳あるオーラを纏うせいか、演技中はそれ以上あるようにも見えるから不思議である。

 そして、性格は謙虚で素直。皇后という地位にありながらも驕ることはせず、誰に対しても優しく接し、面倒見の良い人物として描かれていた。

 確かに、これだけなら優等生タイプと言えるかもしれない。


「確かに。言われてみればそうかも」


 私が鶯淑様にドハマりしたのは、学級委員長系の鶯淑様が親しい人間にだけ見せるお茶目な振る舞いに、ギャップ萌えした結果。

 だがそれを語りだすと、一日あっても足りなくなりそうだからこの場では黙ることにした。

 素直に頷いた私を見て、エマは得意げに鼻を鳴らした。


「『ウルデグ』のときはアイリーンが好きだったし、その前の特撮のときも円城寺さくらが好きって言ってたもんね」

「本当だ。みんな学級委員長系女子だね」


 付き合いが長いとここまで嗜好を把握されるものかと、私は思わず苦笑する。

 とはいえ私自身も、エマがどういう作品を好み、どういうキャラクターを好きになるかは熟知しているからお互い様かもしれない。


「そして学級委員長系女子の”推し”がせっかくできたのに、鶯淑ちゃんは死んでしまった……と。なんという悲劇!」

「やめて、言わないで、現実に引き戻さないで! 鶯淑様が死んでから泣きっぱなしで、ご飯も喉を通らないんだから!」

「嘘つけ。さっきケーキ平らげてたじゃない」

「デザートは別腹!」


 ぺろりと舌を出しておどけてみせると、エマが「現金なやつ!」と言って笑った。


「あれ? サイトには『第二部の制作は未定です』って書いてあるけど、これってどういうこと?」


 サイトを眺めていたエマが、ホームページの下部に書かれていた文字を指さして尋ねる。

 私は思わずげんなりした表情を浮かべた。


「実は『青散る』って構想の段階から二部作だったの。だけど肝心の第二部の制作が頓挫してるんだって」

「どうして?」

「噂によると第一部の制作費が想像以上に膨らんだとか、女優同士が揉めてるとかいろいろ問題があったみたい」

「大人の事情ってやつか。そういう事情で作品が打ち切りになるのって、悲しいよね」


『青散る』は鶯淑が皇帝に嫁いでから死ぬまでの人生を第一部として描いている。

 物語の真相は第二部以降で明かされる予定だったのか、鶯淑に罪を被せた真犯人は現時点では明かされていない。

 第一部のラストで鶯淑が官女の裏切りを示唆していたから、今のところ彼女が悪役と噂されるが、真相は闇の中だ。

 ファンの間では、第二部の主人公は小秋子ではないかと言われている。

 彼が自身の素性を周囲に明らかにし、鶯淑を陥れた妃嬪たちへ復讐する展開になると噂されていた。

 そういう説があることをエマに伝えると、エマは目を軽く見開いた。


「後宮ものって詳しくないけど、男性が主人公ってあまり見かけないよね?」

「そうだね、少ないと思う」

「素性を明らかにするってことは、そのショウシュウシって人は訳あり男子なんだ」

「実は名家の御曹司なの。だけど第一部ではその設定が活かされてなかったから、第二部こそは彼が活躍するはずだってファンが期待してる状態」

「訳ありキャラが実はチートキャラって展開、漫画やアニメだとよくある話だね」


 私はエマの言葉に頷いた。


「そうなれば良いんだけど、その展開を見ることは多分叶わないかなあ」


 ファンの期待とは裏腹に、第一部の完結からもう二年以上が経過している。

 アニメなら数年ぶりに復活なんてこともざらにあるが、生身の人間が演じるドラマではそうもいかない。

 先日流れたネットニュースには、鶯淑様を演じる女優が産休に入るらしいと報じられていた。彼女が女優業へ復帰するのはしばらく先のことになるだろう。

 物語上では死んでしまったキャラクターとはいえ、回想部分など、彼女が必要な場面はまだある。彼女が復帰しない限り、第二部の制作はあり得ない。

『青藍に花神散る』は実質お蔵入りになってしまったも同然だ。


「なんにせよ、”推し”の姿がこれ以上見られないかと思うと辛い。とても辛い!」


 私の悲痛な叫びが店内に響き渡った。

 先ほどと比べて店内の人はまばら。幸いにも、私の叫びを気にとめる者は誰もなかった。

 正面に座るエマだけが、にこにこ顔で私のことを見つめている。


「また新しい”推し”を見つけなよ。失恋には新しい恋、”推し”の死亡には新しい”推し”って言うでしょう!?」


 エマが戻してくれたスマートフォンを受け取りながら、私は力なく頷いた。

 エマの言うことがもっともであることは分かっている。

 ジューロッドを失ったあとのエマもすぐに新たな”推し”を見つけ、生き生きとオタク活動を再開した。

 私もしばらくすれば鶯淑様への熱が冷め、新たな作品で好きなキャラクターを見つけるのかもしれない。

 しかし今は焦燥感の方が大きい。

 次の作品を開拓するには、まだ少し時間がかかるだろうなあと内心思った。

 しばらくは自給自足の二次創作で己の欲求を満たすよりほか道はなさそうだと考えながら、私はスマートフォンを鞄の中へしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ