紅き月の吸血鬼
※本編には流血表現、暴力の残酷描写があります。苦手な方はご遠慮ください。
また15歳未満の方の閲覧がお控えいただけるようお願い申し上げます。
馬車の中でリーリアは先ほど起きた出来事を思い返す。あの時自分は彼らの笑顔が見たいとただひたすら願いながら歌えば、既に失った体の一部まで治してしまう事ができたのだ。だとしたらなぜあのコウモリは直せなかったのだろう。やはり人間とは体のつくりが違うからなのだろうか。だがリーリアは小さな小鳥や小動物でも昔から治す事ができた。
ますます自分の能力の謎が深まるばかりだ。リーリアはため息をついた。
王室の馬車の中はとても乗り心地が良かった。普通、家の馬車で移動する時は腰やお尻が痛くなってしまうのだが、この馬車は椅子や壁にまでクッションがひいてあり、いつもよりも幾分か体が楽だ。
窓から見える景色は少しずつ王都から離れていくにつれ、変遷する。住居が少しずつ減り、薄暗くなった時間帯のためポツポツと灯りがつきだす。もう少しでアッシャー家の敷地につく。家に帰れば、またあの部屋に閉じ込められてしまうのだろう。
(コウモリさんはまだお部屋にいてくれているのでしょうか)
コウモリが来てから長く部屋を開けるのは初めてだった。もう日も落ちてきた頃であるから、コウモリはいつものように目を覚ましているに違いなかった。初めてできた大切な友達が、いなくなっていたらどうしよう。
普段誰かと話をするということは滅多にない。なぜなら仕事の時はクロードがリーリアが余計なことを言わないようにとかわりに話すし、屋敷の使用人はリーリアを避けるように食事や着替えを部屋に置いていくからだ。また昔はよくちょっかいをかけてきた他の家族ですら、リーリアの能力が発覚して、クロードが執着を見せるようになってから絡んでくることはなくなった。ただ腐った食事が運ばれてきたり、生き物の死骸が部屋に落ちていたり、そのようなことをする(もしくは指示する)のは義母や義姉の仕業に違いないだろう。
食事のことはいいにしても、生き物たちの死骸を持ってくるのはやめてほしい。なぜならどれだけ歌おうと、彼らが息を吹き返すことはなかったから。母の時もそうだった。死んだものは生き返らない。これはこの世界の理のように思えた。それに外に出られないから土に埋めてあげることすらもできないのだ。
ともかく話し相手に飢えていたリーリアにとって自分の話を聞いてくれる存在というのは、何にも替え難い心の拠り所であった。それにあのコウモリにはなぜだか不思議と惹かれるのだ。こんな話誰かに話せば当然頭がおかしくなったとしか思われないのだが。
あたりは完全に暗くなった。道の街灯は不思議と温かな光を放ち、アッシャー家の近くの栄えている街を照らしている。こちらでは雨が降ったのだろうか。地面と空気が少し湿っている。昼間は雲ひとつない快晴であったのに。それとも通り雨だろうか。普段窓からの変わらない景色から外を想像する癖で、自分がいなかったこの街の天候を想像してしまう。
リーリアは徐に今日クラウドを治した後に感じた目の痛みを思い出した。思わず気絶してしまいそうな痛みだったため、思い出すだけで冷や汗が出る。今まで癒しの歌を歌って、あのような痛みを感じたことはなかった。失われた部分を直す時には同調してしまう、等の代償があるのだろうか。
______代償。
今までこの癒しの力は無条件に使えると思い、必要な時に応じて使ってきた。だがこの力を使うことによる代償があるのなら____それこそ命を引き換えにするような____リーリアはそれでも悪くないと思った。ただ最後に自由にたくさんの花たちが咲き誇る草原で息が切れるまで自由にひたすら走って、生を実感してみたい。その時はあのコウモリも一緒に居れたらいいなと思う。コウモリが一緒なら、夜の草原でもいい。生きて、外で息を吸って、大声で叫んでみたい。そんな公爵令嬢とは思えない野性的な考えに思いを馳せた。
大きな赤い月がのっぺりと顔を出した。どこか不気味とも思えるその月は今日がちょうど満月のようだ。血のように染まるこの月はそのまま『血の月』と呼ばれる。人々から恐れられたその月は孤高の美しさを放っている。誰も寄せ付けぬその輝きは、人々の反応とは打って変わってリーリアを安心させるのだ。いつか絵本で読んだ魔王様の輝きだからだ。
そんな思いにふけりながらも、リーリアの馬車はアッシャー家に到着したのだった。
「ぁぐっ…!」
部屋に入るなり、実の父親であるクロードに肩を押され部屋に背中を叩きつけられたリーリアは、肺の収縮が一時的に止まり呼吸ができなくなる。壁に当たる直前に踏ん張ろうとお腹に力を入れたのも虚しく、痛々しい声がもれる。
真っ赤な月明かりがクロードの、憤怒に歪んだ顔を照らして、今なら彼は自分のことを殺してしまうとさえと錯覚してしまうほど_____いや錯覚などではないのだ。彼はいつだってリーリアのことを殺せた。
あの大きく力の強い男性の手で、痩せ細ったリーリアの首を絞めて仕舞えば……たちまちリーリアは死んでしまうだろう。
そんなことを考えてしまえば、リーリアは恐怖で足がすくんで、やっともとの呼吸ができるようになった肺が恐怖で息があがってしまう。そうだ、聖女として少しだけ有名になったとしても、所詮アッシャー家の汚点であり隠し続けられた存在であるリーリアが消えたところで、世界は何事もなく回っていく。
どこからか微かにピアノの旋律が聞こえる。赤い月の日を恐れた義母あたりが弾かせているのだろう。恐ろしくて震える体は、逃げるようにふとそんなどうでもいいことを考えた。
クロードはゆったりとリーリアに近づく。そして手を振り上げた。その横切った影でリーリアはすくみあがって、反射的に両腕で庇うように頭を覆って縮こまった。
その手は両腕に対してはぶが悪いと思ったのか、一度止まってそして勢いよく足蹴りが飛んできた。リーリアは吹っ飛ばされ、腕に鋭い痛みが走ったと思うと、手首のあたりから生温かいものが流れたのを感じる。
今までにもこんなことはあった。自分が思い通りにならない事があったのか、苛立つとこの部屋に来て満足するまでリーリアを殴った。最近はリーリアの件がうまくいっていたのもあってこんなことはなかったのだが、今日は自分より遥かに権力を持つ人に翻弄され、彼のプライドが傷つけられてに違いなかった。
リーリアは生理的に出てきた涙で視界がにじむ。
「お前はっ!私のっ!人形だ!!」
「ぃ______……っ!」
痛みで転がったまま立ち上がれなかったリーリアの指を、クロードは憎しみを込めて踏み潰す。あまりの痛みにリーリアから声にならない叫びが漏れる。
そしてリーリアの髪を掴むと、その狂気に満ちた目で見下ろした。ギラギラと殺気に満ちた凶暴な輝きを放つその目はもはや人間を見るような目ではなく、獲物を殺すときの獣の目だった。
「お前は何も喋らず、私のいうことを聞いてればいいんだ」
「は、い……」
リーリアは声を振り絞ると返事をした。それさえも今は気に入らないらしい。クロードは静かに髪を掴んでいた逆の手をリーリアの首に這わせた。恐怖に、コクリと喉が鳴る。
つぅ、と涙が伝うのを感じる。
こんな生きているか死んでいるのかわからなかった自分でも、確かに今生きていたいと思うのだ。クロードがその手に力を込めた。
まだ、死にたくない_______!
リーリアがそう願ったその時_____あのコウモリがパタパタと寝室から飛んできて、首に這わせている手に音もなくとまった。クロードは一瞬何が起きたのかわからなかったのか、少し間をおいた後、その手を離して汚いものを触ってしまったというように力強く払った。
リーリアは息を勢いよく吐き出す前に、そのコウモリが地面に叩きつけられぬよう寸前で手で捕まえた。
「こうもり、さ…危ないから出てきちゃ…」
「そんな汚い生き物を飼っていたのか。先にその汚らわしいものを殺してやろうか」
リーリアは、まだ利用価値がある。クロードは短気ではあるがそこまで考えられない馬鹿じゃない。だから死にそうになるまで痛めつけるのに留まるはずだ。だがコウモリは違う。
(殺されてしまう!)
リーリアはコウモリを逃そうと、窓に走ろうとしたが腰が抜けていて上手に立ち上がれずにがくりと膝をついた。それならと這ってでも逃げようかとなんとかクロードから逃げようとする。そんな様子をクロードはさも滑稽なものを見ているかのように笑ったが、リーリアは気にしなかった。
静かに手の中にいた小さなコウモリはそんなリーリアを他人事のように見ていたのだが、その時だった。どの怪我のものなのかわからないが、リーリアの掌にまで伝っていた血液を小さな舌でその口に含んだ。
すると、コウモリの体はどろりとしたものに変容した。リーリアは驚いて、いや驚きすぎて声さえ出なかった。
そしてその様子はほんの一瞬で、瞬き一つする頃には______黒曜石のような艶やかな漆黒の髪が横切って、リーリアよりももっと白い滑らかな頬が髪の隙間からちらりとみえ______一人の大人の体躯の男がリーリアの前に膝をついていた。
リーリアの手を、生きているとは思えない冷たい手で取って、じぃと見つめているようで、その男の顔はよく見えない。
漆黒の髪は後ろで三つ編みに結ってあって、その髪がわずかに揺れて_____ゆっくりと顔をあげた彼と目がかち合う。この世の人間の全ての人間の血を集めて濃縮してそして、宝石のように固めたような、そんな残酷なそれでいて孤高な、そしてとても美しい真紅の瞳だ。形の良い唇に、スラッと通った鼻。無表情な彼の顔はもはや作り物のようで、ぞくりと背中が泡立つ。
彼の瞳を見ていると、自分が何を考えているのかわからなくなる。目を背けたい、だけどずっと見ていたい、彼の瞳にうつっていたい……そんな気分になるのだ。そしてその唇が、ニヤリと歪んだのをリーリアはみた。
「誰だっ!貴様は_____ぐっ…!?」
男の背後にいたクロードが声を荒げたが、男はリーリアの手を取ったまま振り向くと、クロードは突然苦しみ出した。
「……コバエが騒ぐな」
美しく、それていて心地よい低音が不愉快だと言わんばかりに、ため息をついた。するとクロードは真っ青な顔をしてその場で倒れた。もしかして死んでしまったのだろうか。
「おとうさま…」
「自分を殺そうとした奴の心配なんて、とんだお人好しだな…あの人間は気絶しているだけだ」
リーリアはほっと胸を撫で下ろすと、少し気まずそうに触れられていた手を離そうとする。が、その手は離れられるどころかさらに指と指を一つずつゆっくり絡めて___握った。
「あ、あのっ…」
そして、その手を彼の口元まで近づけると手首のあたりの蹴られた時にできた傷から滴り落ちる血液を、しめった彼の舌で丁寧に舐めていく。ざらりとした舌の感触と暖かな吐息を感じ、リーリアは顔を赤くした。
艶かしいその姿はなんだかとても見てはいけないものを見てしまっているようだ。言葉を失って口をぱくぱくさせていると、伏せた長い睫毛はおかしそうに震えると、上目でいたずらにリーリアを見ながら、見せ付けるように赤い舌を腕に這わせる。
「ひっ……、や、やめてくださ…」
その男は恍惚とした表情で血を舐め、そして傷のところも舐める。一瞬、ずくりと痛みを感じたが、すぐに痛みはなくなってしまった。彼は舐めるのをやめ、リーリアの手を開放した。そして傷を見ると___なんと治ってしまっていたのだ。
「なんで……?」
男はゆったりと自分の唇についたリーリアの血を舐めとると、満足そうに笑った。
「『吸血鬼の唾液には傷を治す力がある』聞いたことないか?」
「吸血鬼……あなた様が、ですか…?」
恐る恐る尋ねると、彼は「そうだ」と短く答えた。そして立ち上がって、リーリアに手を伸ばした。
「___我の名は、ルーク・レクテーター_______出たいか、人間。この部屋から」
恐ろしく整った顔がいたずらっぽくニヤリと微笑む。
この人が、ずっと待っていた魔王様なのだろうか。赤い月がルークと名乗る吸血鬼を照らしている。その様子はなんとも妖艶で、彼からは確かに人間味を感じない。気づけばリーリアは彼の冷たすぎる手を取っていた。
____彼なら、連れ出してくれるのかもしれない。
「…生きたい、です。ここから出て、自由に生きたい…!」
彼はそんなリーリアの言葉を聞くと満足げな表情をした。そしてリーリアをひょいと持ち上げ、いつもの椅子に座らせた。腰が抜けてしまって地べたに座り込む姿は見ていられなかったのかもしれない。先ほどの冷酷な姿とは打って変わって優しい。
少しだけ癖毛の彼の髪が優雅に舞って、ルークは何かを探してクロードの方へ向かう。
「貴方はあのコウモリさん、なんですよね?」
「ああ、そうだ」
「今までどうして…」
「…少し血を失いすぎていただけだ」
吸血鬼は血を吸って生きる者だという知識くらいはある。だがそんな存在は迷信だと思っていた。それにこんな人間の形をしたものが自分とは違う生き物だということをにわかに信じ難かった。
だが、先ほどの傷を舐めて治してしまったリーリアの奇跡のような力を目撃したら信じるしかなかったし、あんな恥ずかしい目にあったのはただの彼の食事だと思ってしまえば顔の火照りも幾分か落ち着く。
リーリアは悶々と考え込んでいると、ルークは「あった」と小さく呟いた。そして手に持ったのはリーリアの枷だった。
_____そうか、次は彼に飼われるというのか。
一瞬でそう悟ったリーリアは心臓を氷の礫で射抜かれたように顔を青くしたが、次の瞬間、ルークはその枷を手で粉々に砕いた。
「ふんっ、前々から人間が歩くたびにうるさくて耳障りだったのだ」
清正した、と満足げにするルークに、リーリアは思わず椅子から落ちて膝をついた。
そしてぽろぽろと涙をこぼした。大粒の涙は地面にシミを作って広がっていく。リーリアに取って自由を縛る象徴が、あんなにもあっけなく粉々になったのだ。こんなにもあっけなく、自由になった気がしたのだ。
「…おい、なぜ泣く。そんなにこれが大事なものだったのか」
ルークは面倒臭そうに頭を掻く仕草をすると、尋ねながら粉々になった枷を捨てた。大事なものなのかと聞きながら、興味なさそうにそれを捨てる彼がなんだか面白くて、リーリアはふっと笑みをこぼした。
するとルークは訳がわからないものをみたかのように顔をしかめると「泣いたり笑ったり忙しい奴め」と悪態をついた。
「吸血鬼様___」と言いかけてルークに遮られる。
「特別に『ルーク様』と呼ぶことを許可する」
ふん、と大きな態度で腕を組んだ。なんだか子どもっぽいのに、それが似合ってしまう確かな威厳があった。
「る、ルーク様!ありがとうございました!…これってわたし、自由、なんでしょうか…?」
状況が目まぐるしく変わりすぎて混乱していて、変なことを聞いた自覚はあった。けれど、吸血鬼というルークに助けられたというのは父からというだけで、これからルークに血を吸われて殺されてしまうかもしれない。だから質問はあながち間違ってなかった、と思う。だがルークはそんな様子をおかしそうに笑った。彼のツボがわからない。
「…そうか、人間には羽がないからな」
ルークはリーリアを抱き寄せて、持ち上げた。これは本日2度目のお姫様抱っこというものである。しかも2回とも違う相手となるともはや偶然とは思えない。今日だけで何年ぶんかの寿命を縮めてしまったに違いないのだ。
「ルークさま、なにを…」
____これから起こるこの光景を、きっと忘れないだろう。
「___この紅き月のもとでは、強者も虐げられる弱者もみな平等に自由だ。ならばその自由という名の籠の中でもっとも愉快に踊れた方が楽しいだろう?」
真紅の瞳がぼぅと紅く、妖しく輝いたと思うと、彼の背中からバサリと音を立てて大きな黒い羽が生えた。まるでコウモリのような大きな大きな羽だ。
そして決して脆くないアッシャー家の壁を片足で軽く蹴る。するとものすごい音を立てて壁に大人1人通れるような穴が空いたのだ。音を聞いて驚いたのか下の方から誰かの悲鳴が聞こえ、ピアノの音も止む。もちろんリーリアだって叫んでしまいたかったけれど、彼の腕の中にいる安心感のようなものを感じて、出なかった。
そして、大きな羽をぶんっと振る。
リーリアは思わず目を瞑り__そして風を感じてゆっくり目を開けると、そこには大きな赤い月があった。飲み込まれそうなほど大きな月だ。すぐ横を見れば、ルークの美しい横顔がある。彼は我が物顔でリーリアを抱えて飛んでいるのだ。下の人間たちの喧騒も取引も暴力もそんなものを一瞬で通り過ぎて、街の灯りが移り変わる。
実際、彼は空の支配者だ。いつだって自由にこの大地を、世界を飛び回れる_____!
「我は美しいものが好きだ。滑稽なものも好きだ。人間は愚かで、滑稽で実に面白い。お前のような人間も愉快だ」
____この出来事を死ぬ瞬間まで、瞼を閉じればいつだって思い出せるであろう。
____脳裏に焼き付いて離れない。この夜の王とその世界を。
リーリアはまたもや涙をこぼすと、いつもより軽い足の感触を確かめながら、ルークに掴まる腕に力を入れた。こんな伸び伸びとした気分になったのは生まれて初めてかもしれない。
風に遮られてしまわないよう、比較的大きな声をださなければルークに声が届かないと思い、頑張って声を出す。
「ルーク様っ、ありがとうございます!こんな、こんな景色初めてで」
「…構わん。翼を持たぬ者はこのような景色はあまり見れないからな……………血の礼とでも言っておこうか」
ふいとルークはそっぽをむいてしまった。そんな様子にリーリアはふふっと思わず笑みをこぼす。そしてこんなに自然に笑顔が溢れたのはすごく久しぶりで、なんだか幸せだった。
リーリアを抱き抱える彼はきっと間違いなく吸血鬼なのだろう。だとしたらなぜさっき血を吸い尽くしてしまわなかったのか、なぜ助けてくれたのか、わからない。けれど、冷たい体から感じるルークの確かな鼓動に身を任せると、今はいいやと思ってしまう。
だが直近で懸念すべき事柄というものは、状況が理解でき、会話もひと段落したところで浮かび上がる。その懸念はルークにとっては思わぬものであるに違いない。だが今すぐにでも相談しなければならない事柄だ。
「ルーク様、私、自由になったとしても行くあてがないのですが…」
「…は?」
そう、リーリアの肉親である母はもうなくなっているし、父は先程の部屋でルークの手によって伸びてる。もう、戻れないし戻りたくない。
すると、事情を悟ったようなルークは面倒臭そうにため息混じりにこう言った。
「あー……居場所が見つかるまでひとまず、我が城にいるといい」
「そうさせていただければ、とても助かります…!」
しかたない、とルークは天を仰ぐ。迷惑をかけてとても申し訳ないけれど、このまま下に降ろされでもしたら死んでしまうし、丁寧に置いて行ってくれたとしても誰かに見つかってあの家に連れ戻されてしまうだろう。だとしたらとても強い吸血鬼の近くにいるのが1番逃げおおせられる可能性が高いのだ。
そんな風にぐるぐると思考を巡らせていると、意識を失いそうなほどの眠気が襲ってきた。仕方がない、今日は色々と目まぐるしく、非日常的な体験を二つほどしている。コウモリじゃないルークの姿とは初対面であるはずで、しかもクロードよりもはるかに簡単に自分を殺せる存在であるのに、なぜか彼の腕の中ではとても安心していた。そんな確証はないのに、彼は自分を殺さない、と信じきってしまっていたのだ。
「はぁ…おい、人間。少し眠れ、我が無事に城に招待してやる」
「い、え…そんな、ルーク様だけに……」
これ以上の迷惑かけられません、と言ったつもりでいたが、言い終わらないうちにリーリアは眠りの世界へ落ちてしまった。
遥か上空で1人残されたルークは腕の中で呑気に眠りこけるリーリアの首元をみた。血の香りがぷんぷんするリーリアは、低級の吸血鬼であればご馳走にしか見えずに即座にかぶりつくであろう。現にまだ膝や指からは血が滴り落ちている。だが彼はそうしなかった。
なぜならルークこそが始まりの吸血鬼であり、自らの吸血衝動くらい我慢できるからだ。
そんなルークでも味を思い出すだけで、思わずこくりと喉を鳴らしてしまうほどの美味しい血を流すリーリアを一瞬どうしてしまおうかと考える。
こんな面倒ごとを自ら持ち込むなんて馬鹿げている。自分の城、つまり人間の言葉で言うと魔界のような世界では人間はただの餌だ。だから確実にこの人間は『面倒ごと』であり、ルークの最も忌み嫌うものだった。
このまま落として殺してしまおうか____
だがなぜだかそれができなかった。
そう、なぜだか、だ。理由は説明できない。説明のできない気持ちに苛立ちを覚えながら、ルークは静かに夜の空を駆けるのだった。
閲覧ありがとうございます。
ついにルーク様が登場!今後、ルーク様の一人称にもご注目いただけたらなと思います!(本編では言及しません)
それではまた!